【03】ゴシップ


 姫宮あかりは松崎健介と名乗った男が出ていった扉をじっと見つめ続けていた。

 ついさっき耳にした着信メロディが脳裏に引っ掛かっている。あの曲を、自分は知っている。

「ふーん、ふふーん……ふふふーん」

 鼻歌で朧気おぼろげな記憶をなぞる。すると、その歌の歌詞がするすると口をついた。 

 次の瞬間、目蓋の裏に蘇る。

 広大な薄暗い空間に揺れ動く色とりどりの灯火。

 赤……青……黄色……緑……様々な光が曲と共に前後へと揺れ動いている。

 何十人……何百人……もしかしたら、それよりもっと沢山の合いの手がタイミングよく一斉に鳴り響く。

 が叫ぶ。

 

『ほらーっ! まだまだいけるでしょ!? 声出そー!』

 

 怒号のような歓声……。

「あ……ああ……ああ……」

 姫宮はしきりにまばたきを繰り返し、唇を戦慄わななかせる。そうして、彼女は思い出す。

 自分はこの光景をステージの上から眺めていたのだ。

「あ……ああ、そうか……私は……姫宮あかりは……」

 多くの人々を魅了して羨望を集める存在だった。

 その事を彼女は思い出した。



 坂道の終点には蔦に埋もれた門があった。その向こう側へと銀のミラジーノを乗り入れる。

 そして、所々ひび割れて雑草が飛び出たロータリーの奥にある、その巨大な廃墟の玄関前に辿り着く。

 えびす荘である。

 二人は車を降りて装備品の詰まったリュックをトランクから取り出して点検する。それが済むと建物を見あげた。

 五階建てで白かった外壁は黒ずみ、地表に近い場所や庇の柱などには、おびただしい蔦が這っていた。

 見える範囲に存在する窓硝子はすべて割れており、玄関扉もなくなっていた。その奥から何やら妖気めいた陰鬱いんうつな気配が吹き出しているかのように感じられる。

「なかなかのふんいきだね……」

「ええ。これは期待が持てそうだわ」

 茅野はそう言いながら、肩から提げたデジタル一眼カメラの撮影準備を整え始める。

「そういえば、聞くのを忘れていたけど……」

 と、桜井がネックストラップに吊るしたスマホで外観を撮影しながら、唐突に切り出す。

「そのアイドルの子って、何で自殺したんだっけ?」

「直接的な切っ掛けは不明だけど、原因は、はっきりしているわ」

「そなんだ」

「彼女が自ら死を選ぶ二年前に、大手週刊誌が彼女の熱愛スキャンダルを報じたの。彼女が所属していたGirly7は、弱小プロダクションに所属するアイドルながら、流行り始めたばかりのTwitterにいち早く目をつけ、上手くプロモーションに取り入れた事で、徐々に知名度をあげていたときだった」

「ふうん……」

 と、桜井の気のない返事。そして、どちらともなく歩き出し、二人は庇の下へと続くステップを昇る。開け放たれたままの玄関を潜り抜けた。

「……そのスキャンダルからしばらくして、姫宮あかりが参加した合コンの様子を映した動画がYouTubeにアップされ、酒に酔った彼女の嬌態が晒されてしまったの。それが普段、メディアに露出している彼女とはまるで別人のようだったので、炎上の火の手は更に燃え広がる事となったわ」

「それは、弱り目に祟り目ってやつだよ……」

「それからしばらくして、重大なコンプライアンス違反があったとして、事務所との契約解除という形でグループを去る事となった。どういう違反があったかは未だに明かされてはいないけれど、一連の騒動が関係している事は間違いないとされているわ」

「うへえ……」 

 顔をしかめる桜井。

 二人が歩くたびに、床に散らばったままの硝子片がじゃりじゃりと音を立てた。そのまま、玄関ホールの中央まで行くと足を止めて周囲を見渡す。

 床や壁はコンクリートが剥き出しになっていて、ペットボトルや空き缶、ビニール袋や弁当の容器、花火の燃え殻など、様々なゴミが大量に散らばっていた。所々に焚き火の痕跡も見受けられる。

 二階と地下へ続く階段が入り口から向かって右奥にあり、両翼からは回廊が延びていた。階段の左横には受付のカウンターとエレベーターの扉が並んでいる。

 二人はしばらく口をつぐんで撮影に勤しむ。

 旅館としての、ありし日の姿がうかがえるのは受付カウンターの周辺のみで、他には何もない。心霊の気配もまったく感じない。

 ただ朽ちるのみの存在が醸し出す虚無感が、その広い空間に満ちていた。

 そうして、撮影が一通り済んだ頃だった。

「……姫宮さんのお相手は、どんな人なの?」

 と、桜井が質問を発した。茅野はサブディスプレイで撮影した映像を確認しながら答える。

「ファンの一人だっていう話ね」

「ファンかー……」と、渋い顔をする桜井。

「一番、荒れそうなパターンだよね」

「まあ、そうね。特にGirly7は清純派で売り出しており、姫宮本人もラジオや雑誌インタビューなどのメディアで“彼氏いない歴=年齢”だとか、好きなタイプにアニメキャラをあげるなど、現実の男に縁のないオタクキャラで売っていたものだから、かなり荒れていたわ」

「いやさあ……何というかさあ……」

 何か釈然としない様子で眉間にしわを寄せる桜井に対して茅野は問う。

「……何か言いたい事がありそうね」

「“彼氏いない”とか“好きなタイプはアニメキャラ”とか……普通はそんなの信じる? あたしは無理……」

「まあ、ファンも心の中では解っているのだと思うわ。偶像ぐうぞう偶像ぐうぞうに過ぎず、目の前にいるのは、神様でも何でもない、ただの生身の人間だって。でも、ファンの心理としては“信じてやるから、ずっと騙し続けて欲しい”っていうところじゃないのかしら? “実際の彼女がどういう人間だったのか”よりも、実態が明らかになってしまった事に憤っているのよ」

「そんなもんかねえ……」

 桜井は渋い表情のまま両腕を組み合わせて唸る。そして、鹿爪らしい顔で次のように述べた。

「……まあ、確かに、あたしも九尾センセが“彼氏いない”って言ったら信じちゃうよ」

「梨沙さん、それは、ちょっと論点がずれているわ」

「そかなー?」

 桜井が首を捻る。

「……ともあれ、姫宮あかりは突然の契約解除のあと一年の活動休止期間を経て、別な芸能事務所に移籍。タレント活動を再開させたのだけれど、上手くはいっていなかったみたいね。バッシングも続いていたようだし……」

「うーむ……今回はなかなか重いスポットだね。姫宮さんの霊が出てきても、腹パンチはやめておくよ……」

「そうしてあげなさい」

 と、柔らかな声音で言ってから、茅野は歩き始める。

「取り敢えず、入り口から左の壁伝いに、ぐるっと一周してみましょう」

「お、ダンジョン攻略の基本だね」

 ……などと、呑気な会話を交わしながら、桜井と茅野は入り口から左手の回廊へと向かう。




 ……その様子を物陰からじっと見つめる者がいる事に二人は気がついていなかった。

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