【02】蔵の中


 大きな真鍮しんちゅうの鍵が、鍵穴に差し込まれる。

 東藤綾は、その鍵を回して南京錠を外すと蔵戸前くらとまえの観音扉を開けた。

 続いて現れた裏白戸うらしろども解錠して開ける。

 薄暗い闇から湿ったほこりの臭いが滲み出てきて、佐島莉緒は顔をしかめた。

 入り口前の東藤がおびえた顔で佐島の方へと振り返る。

「莉緒……先、お願い」

 佐島は蔵の入り口の向こう側へ目線をやって、大きな溜め息を吐いた。

 そして「解った」と、口にして東藤と位置を入れ替わる。そのまま、蔵の入り口を潜り抜けた。

 東藤の夢とは違い、窓は開いておらず、蔵の中には薄闇が漂っていた。

 佐島はスマホのバックライトで蔵の中を照らす。

 二階への階段は、正面の最奥にあった。

 そこへ行くまでの両端の壁には、大小の葛籠つづらやら桐箱などが、乱雑に積みあげられていた。硝子ケースの中に入った振り袖の日本人形や、鞘に納められた日本刀などもあった。

 不気味だったのは、それらのすべてに何やら意味ありげな御札が貼られている事だった。

「これ、全部、お爺さんのコレクション?」

「そう」と東藤は頷く。

 彼女の祖父である善文よしふみの趣味が骨董蒐集である事は、佐島もよく知っていた。

 美術品から宝飾品、アンティークな調度品やレトロな玩具、古本まで、幅広いジャンルのものを現在進行形で集めているのだという。

 因みに孫娘である東藤綾のアンティーク趣味も、彼の影響なのだとか。

 そして、以前に善文本人の口から聞いたところによれば、その中には所謂いわゆるいわくつき”と呼ばれる品々が、多数含まれているのだという。

 その話を思い出し、佐島はごくりと生唾を飲み込んだ。

 もしかしたら、この蔵はそうした品々をしまっておく場所なのかもしれないと……。

 お化けがいるから蔵には入っていけない。その言葉は、本当なのではないか。

 そんな考えが頭を過り始めたところで、佐島はかぶりを振る。どうせ、子供を驚かせたかっただけに違いないと、即座に思い直す。

 善文は怒らせると怖いが、そういった嘘を吐く稚気ちきを持った人物でもあったからだ。

 では、この御札は何なのかと問われれば、返答にきゅうしてしまうのではあるが……。

 ともあれ、佐島は前方を見据えたまま、背後の東藤に向かって「行くよ?」と声をかけて、奥の階段に向かって歩き始めた。

 東藤は佐島の着ていた上着の裾を摘まみ、びくびくと視線を惑わせながら彼女に続く。

「ねえ、アヤちゃん」

「何?」

「蔵の中は、どう? 夢で見た通り?」

 その佐島の質問に、東藤は少しだけ間を置いて答える。

「うーん。たぶん、同じ」

「アヤちゃんは、今まで、この蔵の中に入った事はあるの?」

「ない」と、きっぱりした返事が背中越しに聞こえてきた。

 佐島は思った。

 きっと、東藤は、蔵に入った事を忘れているだけなのだと……。

 小さな頃に蔵へと入った事があり、潜在意識の奥へと沈んだその記憶が夢となって現れただけなのだと……。

 そうでなくては、おかしいではないか。

「どうしたの? 莉緒」

 東藤が急に黙り込んでしまった佐島に対して不安げな声をあげた。

「いや。ごめん、アヤちゃん。何でもない」

 佐島は気安い調子の声を出して誤魔化した。

 そんなやり取りをしながら、二人は急勾配きゅうこうばいな木製の階段を登り、二階へと辿り着く。

 二階も壁際にはいくつもの御札つきの箱が無造作に積みあげられていた。

 しかし、何よりも目を引いたのは、中央の床に鎮座ちんざする旅行鞄くらいの葛籠であった。

 他の箱のような御札が貼られていない事から、それが逆に特別なものである事は一目で知れた。

 この中央の葛籠が周囲の曰くつきの品々に睨みを利かせている……佐島には、そんな風に感じられた。

 そして、東藤は佐島の背中越しに手を伸ばして、その箱を指差す。

「莉緒。あの箱。夢に出てきた箱……」

「えぇ……あれなの……」

 よりにもよって、もっともヤバそうな箱ではないか。佐島は盛大に呆れる。

 しかし、ここでおくして引き返すのも馬鹿馬鹿しい。

 佐島は決心を固めて、中央の葛籠に歩み寄る。

 思い切って、蓋を開けた。しかし……。

「あれ?」

 佐島は拍子抜けする。

 中には、小さな桐箱がぽつんと置かれていたからだ。

 蓋の大きさは三〇×二〇センチ程度。深さは弁当箱くらいだろうか。

「御本尊はこの桐箱の中って事ね」

「何でもいいから、早くお願い。莉緒!」

 東藤が佐島の背中に顔を埋めて言う。

「はいはい。ちょっと、待ってて」

 いったん拍子抜けした分、恐怖が遠退き緊張が和らいでいた。

 佐島は、その箱を手に取り躊躇ちゅうちょなく開けた。すると、中には……。


「数珠……?」

 東藤が佐島の背後から、おっかなびっくりのぞき見て言った。

 真っ赤な数珠が箱の中に敷き詰められた綿の中に納められていた。

 その数珠の玉には同じ形の梵字が一つ一つ刻まれている。

「何これ? 莉緒」

「さあ?」

 東藤と佐島は、きょとんとした表情で顔を見合わせた。




 ちょうど、その頃だった。

 朝食を終えた茅野薫は自室へと引きこもり、机に向かって夏休みの課題にせいを出していた。

 しかし、向かいの菅原さん家の犬がしきりに吠えて集中できない。

 いつもは大人しい犬なのに……。

 薫はいったんシャープペンシルを置くと背筋を伸ばす。

 そして、朝食のときの姉の反応を思い出す。


 ……見たところ、嘘は吐いてなさそうだった。


 もちろん、あの茅野循である。油断はできない。また、何かしらの悪ふざけをたくらんでいる可能性は大いにありうる。

 だが、しかし、昨日のアレ・・が姉の悪戯ではないとするならば、いったい何だったのだろうか。

「まさか、本物のゆうれ……いや……」

 薫は頭を横に振り乱し、その考えを瞬時に打ち消す。

 そんなものがいるはずがない。

 では、あの奇妙な音・・・・は、いったい何なのだろうか。

 気泡が弾けるような、ペットボトルからグラスに水を注ぎ入れたときのような、何かが擦れるような音。

 それは、まるで人の声のような……。

「馬鹿馬鹿しい!」

 すぐに頭に浮かんだ益体やくたいもない考えを打ち消す。

 そして、薫は両肘を机に突いて思案顔を浮かべ、昨日の夕暮れ時に願光寺で起こった出来事を振り返る。


 ……犬は依然として吠え続けていた。

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