【File40】長臑村

【00】はずれスポット


 陰々たる闇に揺らめく蝋燭の灯りが真っ白な障子戸に幾人かの影を浮かびあがらせている。

「……もう、山から“長臑様ながすねさま”を呼ぶしかあるまいよ」

 しわがれた声だった。

 その言葉のあと、寂寞じゃくばくとしていた部屋の空気がざわめきに揺れた。

「だけどもさ、そんなのしたらさ……」

 誰かが反駁はんばくの言葉を吐きかけるも、即座に遮られる。

「世話ねえ。この、お不動様ふどうさまの力の籠ったこれがあれば……」

 じゃらり、と音がした。そして、嗄れた声の主は言葉を続ける。

「……結界もあるから他所に迷惑はかからんさ」

 再びざわめき。

 そのあと、誰かが声を張りあげた。

「やろう! 長臑様を招くべえ!」

 そして、次々と賛同の声があがり始める。

 一時、場の空気は熱を帯びて騒然となった。

 それが、静まると嗄れた声が、高らかに宣言する。

「……では、翌日つぐひより長臑様を迎え入れる準備を始めんべ。急ぐぞ!?」

 他の者たちの気勢の声が重なる。

 次の瞬間、隙間風が吹いて蝋燭の炎が揺らめいた。




 二〇一九年の七月上旬。

 その日、桜井梨沙と茅野循は学校が終わると、制服姿のままで夢乃橋記念公園の裏山へと向かった。

 心霊スポット探訪である。

 園内の遊歩道の奥にある未舗装の坂道を昇り、しばらく進むと、やがて沿道に苔むした墓や倒れた卒塔婆、地蔵などが姿を現し始める。

 墓石に刻まれた銘は酷く風化しており、一つも読み取れない。その事から、この場所が人々から忘れ去られて久しい土地であるとうかがい知れた。

 周囲から聞こえるのは油蝉の鳴き声と、山鳥の羽ばたきのみ。

 彼女たち以外の人気ひとけはない。

 いかにも只ならぬ雰囲気であったが、二人は何食わぬ顔で山道を奥へ奥へと進んでいった。

 やがて、道は下りとなり、両側にはならくぬぎが生い茂り始める。それらの枝が頭上に張り出し、まるで洞窟のようにひんやりと薄暗い。

 桜井と茅野は、やはり臆した様子を見せずに軽快な足取りで坂道を降る。すると、葛の這った瓦塀かわらべいが目の前に現れた。

 その向こう側の奥には苔むしてたわんだむくり屋根が見える。どうやら、荒れ果てた廃寺があるらしい。

 桜井と茅野は塀に沿って藪を踏み締めながら歩き、傾きかけた棟門の前へと辿り着く。

 立ち止まり、門を見あげる二人。

 そこで、茅野が満を持した様子で言った。

「……梨沙さん。ここが、今回のスポットである願光寺がんこうじよ」

「中々のふんいきだね」

 桜井が感心した様子で頷く。

「……で、ここはどんなスポットなの?」

 二人は撮影準備を整えたあと、どちらからともなく歩き出し、並んで棟門を潜り抜けた。

 境内は薄暗く、手入れのされていない松や桜の樹が縦横に枝を伸ばしていた。

 地面は雑草に覆い尽くされ、本道まで続く石畳の左端には、潰れた鐘突堂と蔦に埋もれた古井戸があった。どこか近くに小川でもあるのか、せせらぎの音が耳をつく。

「……ここでは、かつての住職の霊が本堂で見られるというわ」

「お坊さんが成仏できないのは、何となく可哀想だね」

 桜井の言葉に茅野は「まったくね」と同意する。

 それから二人は本堂や庫裏くりなどの廃墟を探索したのだが、特筆すべき事はなかった。強いていうなら、桜井が裏手の椚の幹で丸々と肥えたかぶと虫を見つけたくらいである。

 特に危険はないまま二人は帰路に就き、長らくこの寺の名前を忘れていた。

 しかし、それは、一年以上も経った二〇二〇年八月十一日の事だった。

 茅野循は弟の口から再び願光寺の名前を耳にする。

 それは、あの恐るべき強敵・・・・・・・・との対峙を予兆するものであった――。




 その日の朝食の席だった。

「姉さんってさ……願光寺、行った事ある?」

 茅野循の実弟である薫が、トーストにバターを塗りながら言った。

 リビングのローテーブルを挟んで彼の向かいに座る茅野循は、きょとんとした表情で首を傾げ、自らのトーストをかじる。

「願光寺? あの記念公園の裏山の?」

 問い返すと薫は頷き、じっとりとした目付きで姉の事をめつける。

 今後の発言において、一つの嘘も見逃さない。

 そんな強い意気込みを感じさせる眼差しであった。

 茅野循は気圧されながらも、弟の質問に正直に答える。

「行った事はあるわね。梨沙さんと。それが、何かしら?」

「それは、いつの話?」

 目線を上にあげて記憶を辿り、再び弟の質問に答える。

「去年の七月頃だったわ。確か学校から帰ったあとに行ったと思うから夏休み前だったと思うけれど」

「そう……」

 と、薫は静かに頷き、トーストを一口だけ頬張ほおばる。咀嚼そしゃくすると、よく冷えた牛乳で流し込む。

 そのグラスをテーブルの上に戻してから、更に質問を重ねた。

「じゃあ、昨日は……?」

「昨日? 昨日、私が、願光寺に……?」

「そう」と、頷く薫。

 聡明そうめいな茅野循であっても、弟の発する質問の意図がまるで見えて来ない。

 そもそも、弟の口から心霊スポットの話が出てくる事が異例中の異例であった。

 彼は姉の行きすぎたホラー趣味のお陰で、そうしたオカルト的なものを毛嫌いしていた。

 それなのになぜ、何も起こらなかった“はずれスポット”とはいえ、幽霊が出ると噂の願光寺の話などを……。

 いぶかしく思いながらも、再び弟の質問に答えた。

「あそこへは、あれ以来、足を運んだ事はないわね」

「本当に?」

「本当よ。昨日はずっと家にいたわ」

 嘘ではない。

 昨日はずっと、杉川正嗣と白鴉まどかのムサカリ絵馬製作に没頭していた。

「家から一歩も出てないわ」

 そう告げると、薫は半眼で「ふーん……」と言った。

「何なのかしら?」

「別に……」

 薫は憮然とした表情で、朝食に集中し始める。

 このあと、いくら尋ねても彼は不機嫌そうにはぐらかすばかりで、何も答えてはくれなかった。

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