【10】矢車菊の家
『だから、アマビエじゃないって!』
その“ぷんぷん怒っている訳の解らないゆるキャラ”のスタンプと共に送られてきたメッセージを、茅野は既読スルーする。
「既存の商業作品のキャラなのか、オリジナルのキャラなのか……せめて、何のキャラなのかが解れば、ヒントにはなるのだろうけれど……」
すると、桜井が車のエンジンをかけてから、さもとうぜんのように言った。
「なら、これは杉川さん家へ乗り込むしかないね」
「え、今から!?」
西木が声をあげる。そして、渋谷が今更な事を言い出した。
「それって、不法侵入じゃ……」
「大丈夫よ。ここから先は、私と梨沙さんでやるわ。二人に迷惑はかけない」
「スポットは、素人には危険だからね」
と、桜井が言ってサイドブレーキをおろした。
渋谷は、じゃあ、自分たちはプロだとでも言うのか……と、思ったが突っ込むのをやめた。
この二人の妙に自信のある態度や落ち着き払った様子。きっと、これまでに何度も同じような事を繰り返してきたのだろう。
渋谷は西木に向かって言った。
「この二人、凄いね」
「でしょ?」
西木が得意気な顔で言葉を返す。
銀のミラジーノが、ゆっくりと動き出した。
雨はいつの間にかあがっていた。
渋谷を自宅に送ってから、西木を来津駅前に降ろして、二人はいったん自宅へと戻り、手早く探索の準備を整えた。そして、再び来津市の朝日野町へと向かう。
古い閑静な住宅街を進むと、例の藤棚のある公園へと辿り着く。時刻は既に二十一時を過ぎていた。
桜井は公園の入り口近くの垣根沿いに、ミラジーノを停める。
車を降りると、遠くの田園から聞こえる蛙の大合唱が
そして、茅野がデジタル一眼カメラを肩にかけると、それを見た桜井が声をあげる。
「おっ、新しいカメラ、また同じやつ?」
「ええ。動画撮影ならGHシリーズよ」
「それゴツくて、取り回しがよくなさそうだけど」
桜井の指摘に茅野が首を横に振る。
「でも、馬頭村では頭部への投石を防ぐ事ができたわ」
「いざというときに盾にもなるなんて、優秀な機種なんだねえ……」
もちろん、メーカーの売りはそこではない。
「そんな事より行きましょう。ここから、歩いて三分くらいよ」
「そだね」
二人は闇夜に沈んだ住宅街の向こうにある杉川邸へと向かった。
古びたブロック塀に囲まれた庭先は、矢車菊で溢れ返っていた。
既に花期が終わり、種を実らせているものも多かったが、まだ大半は紫色の花が咲き誇らせている。
一メートルぐらいに伸びて、地面に倒れているものもあった。
そして、二人が門前に立つと、あの甘い香が強烈に鼻を突く。
「綺麗な花だけど、ここまでくると、ちょっとキモいかも」
桜井がうっそりとした様子で言った。華やかではあったが、あまりにも無秩序に咲き乱れる矢車菊の群は、どこか狂気染みており不気味に思えた。
茅野が門の間に張られたプラスチックの黄色い鎖を
「矢車菊は、西洋では“バチェラーズボタン”とも呼ばれていて、独身男性の象徴とされているわ。なかなか、皮肉めいていると思わない?」
「彼には、お似合いの花って訳か……」
桜井が後に続く。
杉川邸は塗炭板の外壁の二階建てであった。
ごく普通の古びた一軒家であったが、周囲を取り囲む矢車菊の華やかさとの対比により、暗く沈んだ墓所のように感じられた。
玄関の引き戸は例の
桜井が磨り硝子越しに懐中電灯の光を当てると、うっすら碁盤目のタイルと靴箱らしき棚が見えた。
「今回は、いかにも幽霊屋敷といった、オーソドックスなスポットだね」
「そうね。取り合えず、裏口へ回りましょう」
「らじゃー」
二人は矢車菊の群を掻き分けて裏手へと回る。
すると、玄関とは反対側に面した場所に簡素な裏口の扉がある。
その鈍色に曇ったドアノブについた鍵穴を見るに、年代物のシリンダー錠であった。
何の苦労もなく茅野が秒で解錠してみせる。
二人は杉川邸へと侵入を果たした。
裏口の向こうは台所だった。
そこから順番に部屋を見て回る。ほとんど家具も生活用品も残されていない。
閑散とした
これは、もう何も残されてはいないかもしれない。侵入して早々に、二人の心には若干の
しかし、それはそれとして、スポット探索をしっかりと楽しむ二人であった。
扉や戸を開けるなりカメラのレンズを這わせ、スマホでぱしゃぱしゃと撮影しまくる。
そうして、二人は二階へと足を踏み入れ、いよいよ最後の一部屋となった。
そこは、これまでの部屋と違い、家具などがそのまま残っていた。
窓際の勉強机の上に鎮座した古いデスクトップのパソコン。
ブラウン管のテレビと古いゲーム機。
本棚には、漫画やライトノベルが多い。
そして部屋の中央には、いくつかの段ボールや衣装ケースが山積みになっている。
「循、これは……」
「間違いないわね。恐らく杉川正嗣の部屋よ。幸いな事に遺品整理はずっとされていなかったみたいね」
二人は室内を見渡す。
この部屋は、杉川正嗣が人生において長い時間を過ごした場所であり、人生を終えた場所でもある。
そこに漂う空気は、陰鬱で胃の
しかし、そんな事を気にしている場合ではないし、気にする二人でもなかった。写経漬けとなった橘を救うために二人は動き出す。
「取り合えず、杉川さんが渋谷さんに執着するヒントを探してみましょう。私は勉強机の回りを調べるわ。梨沙さんは本棚を。それが終わったら、段ボールや衣装ケースを開けてみましょう」
「らじゃー」
二人はさっそく各々の分担に取り掛かった。
「あ、えっちな漫画みっけ」
「梨沙さん、そっとしておきましょう。それがマナーよ」
「うん、そだね……ごめんなさい」
桜井はいたたまれない表情で、紙のカバーが掛けられたままのエロ漫画を元の位置に戻した。
すると、机の引き出しを改めていた茅野が、それを手に取る。
「梨沙さん……これ」
そう言って、桜井の方へと掲げたのはビニールの包装に入った例の
包装の口は開いており、変色の具合は渋谷の元に送られてきた手紙のものと似通っていた。
「……でも、志熊さんみたいに遺品を見られて、恥ずかしがって邪魔してこない辺りが逆に怖いね」
「よほど、渋谷さんへの執着が強いのかもしれないわ」
そう言って、次に茅野は、机の引き出しの中にあったUSBを持参したタブレットで改め始めた。
USBは複数あり、中身はエロ画像もあったが、自作の詩や小説といったテキストデータも多数あった。
「うーん、けっこう上手いわね……」
「志熊さんと、どっちが?」
その桜井の問いに茅野は即答する。
「杉川さんの勝ちね」
「そか。負けか……」
と、がっかりした様子で肩を落とし、眉をハの字にする桜井であった。
そこで、おもむろに茅野が声をあげる。
「これは……」
「どしたの?」
桜井は本棚の前から離れ、茅野のタブレットを
画面に表示されていたのは、杉川正嗣が生前に書いたと思われる小説であった。
「これ『コーンフラワーの花束を君に』っていうタイトルの作品で、序盤をざっと速読したのだけれど……」
「何系の話?」
「たぶん、ラブコメよ。でも、そんな事はどうでもいいわ」
「何なのさ?」
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます