【08】藤女子オカ研VS黒騎士


 茅野は急いで廊下を引き返す。階段前に着くと廊下を左側に曲がる。

 そのまま突き当たりの裏口の扉を開けて出たところで後ろを振り向くと、洗面所の入り口前まで来ていた桜井の背後で、黒騎士アレスが大きく右手を振りかぶっていた。

 影の剣が振りおろされる。

「梨沙さん、上から来る! かわして!」

「何!? 何!? 何なのさ!」

 茅野の咄嗟とっさの言葉に反応して、素早く右手の壁際に寄る桜井。

 同時に黒騎士アレスの影の剣が、つい一瞬前まで彼女のいた空間を縦に割った。

 剣先が床に当たり突き刺さる。

「後ろに何かいるなっ!」

 桜井は飛びあがり見えない敵に向かって、ソバットをかました。

 しかし、茅野の目に映ったのは、その大斧の斬撃のごとき蹴りが黒騎士の身体をすり抜けるところだった。

「梨沙さん、効いてない!」

「嘘でしょ!」

 驚きながらも、すぐさま切り替えて黒騎士に背を向け、裏口までダッシュする桜井。

 そのとき茅野は洗面所の入り口の方に目線をやり、スリッパを脱ぎ捨てて裏口の三和土たたきにあったサンダルを突っかける。桜井が扉口を潜り抜けたと同時に扉を閉めた。

 ドアストッパー用のブロック片を扉に当てて、裏口から離れる。

 裏庭の真ん中まで来たところで立ち止まり振り返った。

「時間がないわ。梨沙さん」

 裏口のドアノブがガチャガチャと音を立てる。すぐに扉に当てたブロック片を押し除けて扉が開き始める。

「私があいつを引きつけている間に、梨沙さんはこれから私の部屋に行って、ある物を持ってきて欲しいの」

「何!?」

 扉口から黒騎士アレスが姿を現す。

 茅野は、その“ある物”の名称と在処ありかを桜井に告げた。

「がってん」

 黒騎士が茅野へ目掛けて突っ込んできた。

「循、死なないでね!」

「誰に言ってるのよ!」

 桜井は裏庭から茅野邸の玄関へと回り込む為に駆け出す。

 茅野は裏庭の奥にある竹藪たけやぶへと飛び込んだ。




 【グラビディフェンサー】で入り口の扉を壊した黒騎士アレスの前に現れたのは……。

「六月!」

 銀髪に黒マントを羽織った六月と、見た事のないドワーフの少女だった。

 二人は何やら訳の解らない会話を交わしたあと、背を向けて逃げ出した。

「待てッ!」

 すぐに黒騎士アレスも二人のあとを追う。

 階段前まで来ると左側に延びた廊下の先を行く。

 そうして、ドワーフの少女の背中にもう少しで追いつくというところで、彼女の頭にターゲットマーカーが点滅する。

 攻撃範囲レンジに入ったのだ。

「邪魔だ! どけッ!!」

 黒騎士アレスは振りあげた片手剣で、ドワーフ少女の背中を切りつけようとした。

 同時に廊下の突き当たりの扉口から顔をのぞかせていた六月が声をあげた。

「梨沙さん、上から来る! かわして!」

「何!? 何!? 何なのさ!」

 攻撃はドワーフ少女にあっさりとかわされる。がつん、と剣先が床板を穿うがつ衝撃。

 そして、凄まじい鋭さの回し蹴りが飛んでくる。

「ぬおッ!!」

 かわせない。この甲冑は打撃防御が紙レベルである。このまま、打撃属性の格闘技を食らうのは、相手のレベルにもよるが、かなり危険である。

 黒騎士アレスは大ダメージを覚悟した。

 しかし……。

「何ぃ!?」

 少女の足は黒騎士アレスの身体をすり抜ける。

 だが、彼はそれほど驚く事はなかった。

 何故なら・・・・この手のゲームで・・・・・・・・はよくある・・・・・事だからだ・・・・・

 フレーム毎に行われるポリゴン同士の衝突判定が間に合わないと、そのポリゴンがすり抜けたり、めり込んだりする。

 しかし、ダメージすら表示されないというのは、AWOを長年やっている黒騎士アレスでも見た事がなかった。

「何だ、これは……新手のバグか?」

 唖然あぜんとしながら床に突き刺さったままだった剣を抜いた。

 その間にドワーフの少女は扉口を潜り抜けていた。六月が扉を閉める。

「……後で運営に報告しよう」

 黒騎士アレスは、気を取り直して六月たちの後を追った。




 桜井は裏庭で茅野と別れたあと、表玄関へと周り込んでかまちにあがる。そこでようやく自分が来客用のスリッパを履いたままであった事に気がついた。スリッパを脱ぎ散らかし、廊下を全速力で駆けて急いで階段を上る。

「これは、けっこうまずい展開かもしれない」

 桜井がいつになく真面目な表情で独り言ちる。

 彼女には、今回の敵の姿は見えていなかった。

 しかし、あの扉を真っ二つにした物理的な破壊力。

 何より今回は桜井自身の攻撃がまったく通用していない。

 どうせキモいサイコ野郎の幽霊だろうと高を括っていたが、これまでにない強敵かもしれないと、その評価を改め直していた。

 そして、言うまでもなく、茅野循は天才だ。

 彼女は必ず正解を導き出し、絶対に間違わない。

 桜井はそう深く信じていたが、それは思考する時間と余裕がある場合に限る。

 そして、何より戦闘能力は・・・・・普通の女子高生・・・・・・・と変わらない・・・・・・

「ああいう物理でぐいぐい来る脳筋バカとは、相性が悪い……」

 自分の事を棚にあげて、桜井は茅野の私室に飛び込んだ。

 そして、彼女に言われた通りの引き出しから、それ・・を取り出して部屋を後にする。

「あった。これ・・だな……」

 桜井はそれ・・を右手に持ったまま、再び二階の廊下に飛び出した。急いで階段へと向かう。

 すると、その途中だった。

 裏庭に面した窓の向こうで、乾いた音が鳴り響く。すると、茅野が逃げ込んだ竹藪たけやぶが大きく揺らめいて、何本かの竹が倒れ始めた。

 どうやら、例の見えない黒騎士が何らかの攻撃を行ったらしい。

 その光景を横目にしながら階段を一つ飛ばしにして降りる。急いで廊下を駆け抜け裏口を目指した。

「循、待ってて!」

 しかし、このときの彼女は知らなかった。

 桜井が目的の物を取って戻るまでのほんの二、三分を稼げれば、茅野にとって充分であったという事を。

 桜井は裏口から飛び出す。

 その時点で戦いの趨勢すうせいは、ほとんど決まっていた。

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