【06】オタサーの姫


 以前の『こっぺりあ』は今よりもメンバーが多く、その数は十人を越えていた。

 代表も前沢英人ではなく別な者で、全員が男だった。

 華やかさとは無縁のむさ苦しいサークルであったが、同じ趣味仲間同士の気兼ねしないつき合いが行われていた。

 そこへ現れたのが野島美姫である。

 当初の野島は、今の柊のようなポジションであった。

 メンバーたちは、彼女の一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくに振り回された。誰もが彼女の顔色をうかがい、ご機嫌を取る事に腐心した。

 かつての野島美姫は、今の柊明日菜と同じ“オタサーの姫”だったのだ。

 しかし、野島が柊と異なる点は、その立場を本人が楽しんでいたところにあった。

 彼女はむくつけき男どもを惑わせ、彼らの心をもてあそんだ。

 しかし、その寵愛は常に平等で、誰かを特別扱いするような事はなかった。

 一方のサークルメンバーたちも、姫への献身を競い合いながら、彼女との距離感を一定なものに保つのみだった。

 奥手なメンバーが多かったというのもあるが、単純にサークル内での不和を招かないようにと、各々が遠慮していた為だ。

 不馴れな恋愛よりも現状維持。

 いつしか、それが『こっぺりあ』の不文律となっていた。

 あとから思い起こせば、この頃の『こっぺりあ』がもっとも輝いていたと言う者も多いだろう。

 黄金時代の『こっぺりあ』には、野島という姫を中心とした強い結束があった。

 しかし、あるとき、その王制に終焉が訪れる。

 “姫に手を出してはいけない”

 絶対の不文律ふぶんりつを犯す者がいたのだ。

 それが前沢英人であった。

 とうぜんながら、彼が野島と関係を結んだ事が明るみになったあと、サークル内は荒れに荒れた。

 前沢を糾弾する者、姫に裏切られたと落胆する者、茶番にうんざりした者、あくまでも姫が幸せならばよいと達観する者……。

 結果『こっぺりあ』は見事に分裂した。

 サークルに残ったのは、前沢と野島、そして、姫が幸せならば構わないと考える池田、森山、堤川だけであった。





「森山のやつ、おっせえな……」

 前沢は顔をしかめて、スマホで時刻を確認した。

 十六時二十七分。森山が姿を消してから十分近く経っている。

 気がつくと、重苦しい灰色の雲が空一面を覆っており、辺りは薄暗くなっていた。

「まさか、森山のやつ、堤川とグルなんじゃ……」

 どこかに潜んで隠し撮りされているかもしれない。

 この今の状況は、全部やつらの仕掛けたドッキリで、あとから動画サイトかSNSにでもアップして晒し者にするつもりでは……。

 前沢の脳裏に、そんな疑念が沸き起こる。

 いささか被害妄想染みてはいるが、池田、森山、堤川の三人に恨みを買っている自覚はあった。

 かつては彼らの姫であった野島を手込めにしたばかりか、新たな姫である柊に乗り換えようとしているのだから当然である。

 そもそも、野島に関係を迫ったのも、他のサークルメンバーに対して優越感を得たいというだけの理由だった。別に野島の事が好きだった訳ではない。

 野島は男ばかりのサークル内では姫扱いであったが、客観的に見れば顔は十人並み以下の恋愛に不馴れな喪女に過ぎなかった。

 そのために多少は顔がよく、口が達者な前沢にあっさりと籠絡ろうらくされた。

 どうも野島にとって、前沢は初めての男であったらしい。うぶな彼女は、まんまと初カレにのめり込んでしまう。

 前沢も始めのうちは気分がよかった。みんなの姫だった野島を独り占めする事により、自らの優位性を周囲に示す事ができたからだ。

 サークルは滅茶苦茶になったが、そんな事はどうでもよかった。

 どんなに批難されようが、馬の耳に念仏でしかなかった。

 そもそも、不文律などといっても明文化されていた訳ではない。

 文句を言われるのはお門違いであるし、何を言われたところで負け犬の遠吠えに過ぎなかった。

 前沢にとっての野島は、自らの雄度を示すトロフィーであったのだ。

 しかし、勝利者の気分は、そう長く続かなかった。

 柊明日菜の出現である。

 彼女は野島などよりもずっと垢抜けており、きらびやかであった。

 柊と初めて顔を合わせた瞬間、前沢は自分が手にしているトロフィーが瓦落多がらくたに思えた。

 そこで彼は、あっさりと野島を捨てて、柊に乗り換える事にした。

 おとなしい野島が何も言ってこないのをいい事に、柊に対して露骨なアプローチを開始する。

 池田たちは元々自己主張が苦手なタイプで、再びサークル内に不和が生じるのを恐れている為なのかは解らないが、この件に関して踏み込んでこない。

 しかし、もしも前沢の願望が実現したときは、野島を含めた全員が敵に回るであろう事は火を見るより明らかであった。

 ただ前沢としては、そうなったらなったで構わないと考えていた。

 今度は自分と柊が、このサークルから去ってしまえばよい。

 つかい古しの・・・・・・おさがりなんか・・・・・・・あいつらに・・・・・くれてやる・・・・・……。

 前沢は、あの三人を完全に見下していた……にも、関わらず、ついさっきの池田の得意気な顔。

「……糞ッ!」

 思い出して歯噛みする。

 そして、前沢は再びスマホで時間を確認しようとした、その瞬間だった。

 草木のざわめく音がした。風はない。前沢は咄嗟とっさに視線をやぶの方へ向けた。

 すると、森山が姿を消したあたりの雑草が大きく揺れ動いている。

「おい、森山、おせーよ!」

 若干、キレ気味で声を張りあげる前沢。

「……どんだけクソ出してんだよ。だから、女ができねーんだよ、お前は!」

 しかし、返事はない。

 相変わらず草木がガサガサと揺れ動くのみだった。

 そこで前沢は「ははーん」と、得心のいった様子でほくそ笑む。

「やっぱり、堤川と一緒に俺の事を驚かそうとしてるの? これドッキリ?」

 やはり返事はない。

 そして、草木のざわめきは、彼の背後へと忍び寄る息遣いと足音を完全に消し去っていた。

「おい! くだらねー事をしやがって、文句があるならはっきりと……」


 ……そこで彼の意識はいったん途切れた。


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