【17】後日譚


 死体遺棄および殺人、爆発物ばくはつぶつ取締罰則とりしまりばっそく違反いはん武器等ぶきとう製造法違反せいぞうほういはんなどの容疑で逮捕された北野啓大の供述や、その他の証拠などから、次のような出来事が起こったと推察された。

 発端は二〇二〇年二月十日の十八時過ぎだったという。

 啓大の母親である悦子は、銀行預金の百数十万がほぼ全額なくなっている事に気がついた。

 この件について啓大に確認する為に、自宅二階にある彼の自室へと向かった。

 そして、話を持ち出した途端、啓大は盛大にぶちギレて悦子に暴力を振るう。

 彼女は啓大の部屋から逃げ出したのだが、階段で揉み合いとなり転倒。

 頸椎けいついを損傷し、死亡してしまう。

 因みに、この百数十万を使い込んだのは北野啓大で、使い道はゲームへの課金であった。

 彼が長年プレイしているリズムゲーム『プリンシバルアイドル』のイベント限定ガチャに全額つぎ込んだのだ。

 そのガチャの目玉であった“二〇二〇年バレンタインイベント限定の七海瑞希URユニークレア”が、どうしても欲しかった。

 このゲームは同じカードを五枚集めると“覚醒”し、そのカードに描かれたキャラが着ている限定衣装が貰える。

 この限定衣装のために百数十万という金は使われて、彼の母親は死に至った。

 そして最悪だったのは、ちょうど帰宅した父親の孝がその現場に居合わせてしまった事だ。

 すぐさま、自らの携帯で救急車を呼ぼうとした孝に襲いかかり扼殺やくさつした。

 そうして、警察に捕まる事を恐れた彼は、すべての罪を母親に被せる事にした。

 父親の死体を狐狸無山の廃工場に運んで、ほこりの積もった床に母の靴あとをいくつかつけた。死体を燃やしたのは警察の捜査を撹乱かくらんするためである。

 当然ながら警察も馬鹿ではないので、徐々に北野啓大へと疑いの目を向けてゆくのだが、少なくともこの時点では彼の思惑通りに事が運んでいた。

 しかし、居間の押入れに隠していた母親の死体を処理しようとしたところで、彼の心は乾燥した枯れ枝のように、ぽっきりと折れてしまう。

 もちろん、良心の呵責かしゃくに苛まされた訳ではない。

 母に濡れ衣を着せた訳だから、彼女の死体は絶対に見つからないように処分しなくてはならない。

 しかし、そのために手間をかけるのが面倒臭くなってしまったのだ。

 この世から完全に個人の存在を物理的に消し去る。それは生半可にできる事ではない。北野はその途方もなさに気がつき、諦めてしまった。

 そんな訳で、彼は母の死体を居間の押入れに放置したままソーシャルゲームに没頭する。

 そうするうちに、すぐに両親の遺産を食い潰し、現状が詰んでいる事にようやく気がつく。

 そこで北野啓大は“こんな事になったのは、あの四人のせいである”と、お得意の妄想で責任転嫁をして爆弾を作り始めたのだった――。




「……で、けっきょく、ヤマナリサマって何なの?」

 その言葉を発したのは、西木千里である。

 それは、連休明けの昼休み。いつものオカ研部室だった。

 昼食がてら桜井梨沙と茅野循は、 部室へと遊びに来ていた西木に、狐狸無山での体験談を語って聞かせた。

 西木は、またやばい事に首を突っ込んでいるな……と、内心で呆れたが、弁当を食べる手を止めて思わず話に聞き入ってしまう。

 そんな彼女の問いに、茅野はたっぷりと甘くした食後の珈琲を口にしてから、あっさりと答えた。

「ヤマナリサマの正体はよ」

「え……狐?」

 西木は困惑した表情を浮かべ首を傾げる。

「ちょっと、待ってよ、茅野っち」

「何かしら?」

「だって、そのヤマナリサマのせいで、狐も狸も恐れをなして逃げ出したから狐狸無山なんじゃないの? 狐はいないんじゃないの?」

 そこで、桜井が悪戯っぽく微笑みながら言った。

それが・・・嘘なんだよ・・・・・

「嘘? 何で……」

 それは誰に対しての、何のための嘘なのか。ますます意味が解らなくなる西木であった。その彼女の疑問に茅野は答える。 

「あの狐狸無山に住む化け狐は、恐らく団三郎狸に佐渡を追い出された狐の末裔まつえいなのだと思うわ」

「団三郎狸の……」

 佐渡に棲む化け狸の親分。そして、日本三名狸に数えられる伝説の化け狸……。

「伝説では“佐渡に狐がいないのは、団三郎狸が追い出したからだ”と、言われている」

「相当、容赦なくやったみたいだね。団三郎は」

 そう言って、桜井が自作の稲荷寿司をはしで摘まみ、むしゃむしゃと頬張る。茅野は解説を続けた。

「……狐を草履ぞうりに化けさせて海の中に放り込んだり、言葉巧みに言いくるめて、本物の大名行列に狐を突っ込ませたり。そんな事を続けるうちに、佐渡には狐が寄りつかなくなったと言われているわ。実際に一九六〇年代、野兎対策に本土から数頭が連れて来られるまで、佐渡には狐がまったく生息していなかったそうよ」

「じゃあ、その団三郎狸にやられて逃げた狐が、狐狸無山に……?」

 西木の言葉に首肯する茅野。

「きっと、その化け狐は村の人々に何らかの恩恵を授ける代わりに、かくまってもらったんじゃないかしら? そして、村の人々は狐狸無山の伝説をでっちあげ、ここには・・・・狐がいない・・・・・という事にした・・・・・・・

「あの神社の裏手で遭遇した狐も、犬に化けていたよね」と、桜井。スマホを手に取ると、廃屋の庇の下で佇む狐の写真を西木に見せた。

 すると、茅野が己の見解を述べる。

「もしかすると、団三郎狸を恐れるあまり、普段は犬に化けて出歩いているのかもしれないわ」

 そこで西木が、桜井のスマホの画面から目線をあげる。

「じゃあ、お稲荷さんが“亥也”だったのも……」

「そうよ。普通の稲荷とはまったく関係のない字を当てた。狐とは関係ないという事を強調したかったんじゃないかしら?」

狛狐こまぎつねもジャッカルっぽかったし、村の名前も“野干やかん”だしね」

 そう言って、桜井は愛用のくまさん水筒のキャップにほうじ茶をついだ。

 茅野が頷き補足する。

「そこは“狐と関係ない”と強調する意味合いよりも、呪術を司る恐ろしい荼枳尼天ダキニてんとの関係を匂わせたかったのだと思うわ」

「“俺の村に手を出したらヤバい”みたいな?」

「そんな感じね」

「でもさ……」

 西木が最後に残った疑問を切り出す。

「その、工場内にいたパンツのおじさんが謎なんだけど」

「それなんだよねー」

 桜井が稲荷寿司をもう一個つまむ。

 二人が廃工場で遭遇したパンツのおじさん――北野啓大が自らの両親を殺害した容疑で逮捕された事は、連日のニュースで大きく取りあげられていた。

 更に彼は手製の爆弾で高校の同級生の殺害も企てていたらしい。

「……もしかして、狐狸無山の化け狐の目的は、あのパンツのおじさんを騙す事だった。それを邪魔されたくなくて、私たちを脅かして帰らせようとした……とか」

 と、言ったあと、茅野はチキンサンドを噛り珈琲を口に含んだ。

「もっとも、これは私の想像であって、真実かどうかは確かめようがないのだけれど。もし、そうだったとしても、結果オーライじゃないかしら?」

「そだね」

 と、二人は顔を見合わせて笑う。

「オーライ……なのかな……? まあ、オーライか……うーん……」

 西木は深く考えるのはやめて、手製の海苔弁のりべんに箸を突き立てた。




 冷房が温く効いた居間に電話の呼び出し音が鳴り響く。

 そのサイドボードの上にある電話の受話器を取ったのは、篠澤鮎子しのざわあゆこ――篠澤麻友子の母親である。

「もしもし、どちらさん?」

『あ、お母さん、私。着信あったみたいだけど何?』

 紛れもなく娘の声である。それを聞いた途端、母の眉間にしわが寄る。

「麻友子け? なーに、こっちが電話したの三日も前だが。何でもっと、はよ、かけ直してこねーんらが?」

『仕事が忙しかったんだって。てゆーか、どうせ大した用事でもないんでしょ?』

「んな事はねえって。おめさんの高校の同級生が、ほら、警察に捕まってよー。ほんにまあ、びっくりして……」

 鮎子は懸命に捲し立てるが、娘はうんざりした様子で溜め息を吐いた。

『そんなの、ニュースでやってるんだから知ってるに決まってるでしょ』

 実際その件に関しては、仕事の合間に七海瑞希らとメッセージで散々語り尽くしていた。

 因みに彼女の感想としては“やっぱり、やったか”であり、北野が逮捕された事にさしたる驚きはなかった。

 しかし、そんな事は知るよしもない鮎子は、興奮冷めやらぬ様子で言う。

「だどもさ、こんな田舎ざいごで、警察沙汰らなんてよ、かーちゃんびっくりして……」

『はいはい……』

 と、苦笑して、しばらく母の話に耳を傾ける麻友子。

 どうやら単にあまり連絡を寄越さない娘と喋りたかっただけらしい。

 そして、話が一段落したのを見計らい、麻友子は通話を打ち切ろうとする。

『それじゃあ、もう仕事に戻るけど……』

「やんや、悪りがったね、長話につき合わせて……」

『……あ、そうだ。お母さん』

「なした、麻友子?」

『ポチは元気?』

 ポチとは、八年前に麻友子が保護した子狐・・の事である。

 篠澤家の面々は、ポチの事を保護した当初は子犬だと思い込んでいた。

 まだ幼いために狐としての外見的な特徴が強くなかった事もあったが、なぜか獣医ですらも初回の診察では犬であると勘違いしていた。

「ああ、元気らよ。最近はすっかり年取ったのか、寝てばっかいるけどよ」

『そう。ならよかった。それじゃ、お父さんにもよろしくね』

「元気でな? 身体、壊さんように。それから、たまには連絡してきなっせ」

『解ってるって。コロナ終わったら一回、そっち帰るから』

「ああ。したらね」

『じゃあね』

 と、そこで通話を終えた。そして、鮎子が受話器を措くと、ポチが首をもたげて欠伸あくびをした。

 篠澤家の人間は、そのポチがときおり、こっそりと家を抜け出している事を知らなかった。





(了)

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