【09】リアルな物真似


 二〇二〇年七月八日――


 『早く鏡を見つけないと、この写真の男の子は死んでしまう』


 その文面を目にした桜井は目を丸くする。

「今回のスポットはのっけからハードな展開を見せるねえ……」

 と、まったくハードじゃない口調でそう言ったあと、九尾に詳しい事情を聞こうと、返信を打とうとした。

 しかし、茅野はそれを止める。

「待って、梨沙さん」

「何?」と指を止める桜井。

「この九尾先生が本物だとは限らないわ」

「ええ……それは流石に疑い過ぎじゃないのお? いきなり死ぬとかって話になるのは何か嘘臭いけど」

 と、呆れた様子の桜井。しかし、茅野は極めて冷静に反駁はんばくする。

「疑う根拠はあるわ。それは昨晩の梨沙さんの文字化けよ。今回の怪異が何なのかは解らないけれど、文字化けの件を考えるなら少なくともスマホのメッセージアプリに影響を及ぼせるという事になるわ。それに、前回の疫病神の件もあるし……偽物には用心した方がいいと思うのだけれど」

「うーん、慎重になり過ぎじゃない?」

 どうにも納得しかねる様子の桜井。

「でも、用心に越した事はないわ」

 しかし、茅野の方はあくまでも慎重な態度を崩さない。

「じゃあ、ちょっと、色々と質問をしてみよう」

 そう言って桜井は素早く画面に指を這わせて返信を打った。文面は次の通り。


 『九尾センセ、今何をやってるの?』


 すると、すぐに向こうから返事がある。


 『今は仕事中よ。詳しい経緯は言えないけど、知床半島しれとこはんとう羅臼岳らうすだけ近辺の森の中よ 。しばらく本州に帰れそうにないわ』


 その返信を見た桜井と茅野は真顔で視線を合わせる。

「いきなり知床とか、嘘くっさ」

「どうしてこう、怪異のやる物真似ものまねは雑なのかしら?」

「そもそも、知床半島ってスマホ使えるのかな?」

 さあ……と首を傾げる茅野。

「十年くらい前は、ウトロから先は圏外みたいな話は聞いた事があるけれど、今はどうなのかしらね?」

「世界遺産の辺りは流石に無理なんじゃないの?」

「……怪しいわね」

 などと、呑気に話し合っていると、続けて九尾からメッセージが届く。


 『わたしは動けない。だから貴女たちに鏡を探しに行って欲しいの』


「そもそも、鏡って何の鏡なのかしら?」

「そこだよ。まさか“禁后”の鏡台?」

「いや、あれはフィクションだから……ありえないわ」

 茅野は鼻で笑う。

「取り合えず聞いてみよう」

 桜井が再び九尾にメッセージを打つ。


 『鏡って禁后の鏡台の事?』


 すぐに返信があり、九尾がよく使用する意味の解らないゆるキャラがサムズアップしているスタンプが帰ってくる。

「この微妙にズレたスタンプの使い方は九尾センセっぽいね」

「この前の疫病神よりは、物真似が上手いようね」

 二人が感心していると、再び九尾からメッセージが届いた。


 『鏡は“かの一族”に伝わるもの。遠い昔、大和朝廷により滅ぼされ、今はもう存在していた記録すらほとんど残されていない。しかし、密やかに生き延びた末裔たちの間で、その鏡を用いた儀式は続けられてきた』


 桜井と茅野は顔を見合わせる。

 すると、再びメッセージが届く。 


 『鏡を探せ』

 『さもなくばあの男は死ぬ』

 『鏡を探せ』

 『さもなくばあの男は死ぬ』

 『鏡を探せ』

 『さもなくばあの男は死ぬ』

 『鏡を探せ』

 『さもなくばあの男は死ぬ』

 『鏡を探せ』


 ……アプリの画面がこの二つのメッセージで埋まってゆく。

「きっも」

 と、桜井はバッサリと切り捨てた。

「嘘がばれたと知って、おどしをかける方向に切り替えた?」

「今の時代、怪異も、ふれきしぶるなんだねえ」

「それにしても、前回もそうだったけれど、こうして連絡手段を潰されるのはいただけないわね……何か上手い対応策はないかしら?」

「九尾センセに聞いてみようよ。もちろん、本物の」

「そうね」

 そこで、桜井が物騒なメッセージの並んだスマホの画面を再び見て『きっも』と打ち込んだ。そして、話題を転換する。

「でもさあ、これ、急いだ方がいいよね」

「まあ、人質に何かあっても不味いわね……いつまでか期限は切られていないから急ぐ必要はなさそうだけれど、できるだけ早目に行動したいわ」

「取り合えず、義兄さんに車を借りれるか頼んでみるよ」

 そう言って、桜井は武井建三へとメッセージを打ち始めた。

 すると明日の放課後、車を借りる事ができた。

 なお、二人はこのあと、あらゆる手段で本物の九尾天全と連絡を取ろうと試みたが、返事はいっさいなかった――




 その頃、九尾天全は――




 本当に知床半島の羅臼岳近辺の山林の中にいた。

「うぅ……何でこんな事に」

 などと、迷彩柄のテントの中でぼやきながら左の二の腕に止まった蚊を手で叩いて潰した。

 向かいには、胡座あぐらをかいた膝の上に口径7.62㎜の狩猟用ライフル銃を乗せ、腕組みをして目を閉じる夏目龍之介の姿があった。

 テントの入り口の向こうから同じくライフルを担いだ穂村一樹が顔を覗かせる。

「異常は特にない。今のうちに飯にしよう」

 九尾は「う、うん……」と頷き、夏目は気だるげな欠伸をした。

「ああ……帰りてぇっす……」

「じゃあ、真面目にやれ」

 と、穂村はにべもなく言って、自分のリュックの中からレーションを取り出した。


 事の起こりは、東京都内で起こった奇怪な殺人事件であった。

 それから、何やかんやあって、三人は知床半島へやってこざるをえなかったのだが、その複雑極まる経緯は今回の件とは一切関係がないので割愛する。

 因みに現在の知床半島は、場所によってはスマホの電波が届くところもあったりする。

 つまり、桜井と茅野を騙そうとした何かは、かなり忠実に現在の九尾天全の物真似をしたのだが、二人にはまったく伝わっていなかった。




 そして、二〇二〇年七月九日の放課後。

 茅野循は煙草屋の前にある郵便ポストに二通の封筒を投函すると、沿道に止めてあったミラジーノの助手席へと戻った。

 因みにどちらも桜井と茅野が本物の九尾天全に宛てたものである。

 茅野の手紙は万が一のために事の経緯を記したものだった。

「それで、梨沙さんは、手紙に何を書いたのかしら?」

 この質問に運転席の桜井は鹿爪らしい表情で答える。

「本当にセンセが知床にいる可能性を考慮して、お土産のリクエストをしといた。因みにウニ」

「梨沙さん……」

「何?」

「もしも九尾先生が本当に知床にいたとしても、その手紙を見るのは、帰ってきてからよ……」

 その指摘を受けて、桜井はがっくりと肩を落とす。

「そうか……」

 茅野は呆れ顔で肩をすくめた。

「取り合えず、いきましょう。あまり遅くなってもいけないわ」

「そだね」

 桜井は気を取り直して、銀のミラジーノを走らせる。

「因みに親には循の家で鬼滅アニメ全話観ながらディナーって言ってあるからけっこう遅くなってもだいじょうぶ」

「なら、念のために我が弟にも話を合わせるように言っておきましょう」

 茅野がスマホを手に取り、メッセージを打ち始める。

 こうして、二人は榛鶴の湖畔の家を目指したのだった。

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