【02】禁后


 菅野が補足する。

「“禁止”の“禁”に、“皇后こうごう”の“后”でパンドラって読むんだけど」

「ぱん……どら……?」

 案の定、桜井は怪訝けげんそうな顔で小首を傾げる。

 しかし、当然ながら茅野は……。

「もちろん、知っているわ。二〇〇九年に某ホラーサイトにて投稿された実話という体裁の・・・怪談ね。その後、匿名巨大掲示板のオカルト板に再び投稿されて有名になった」

「そ、そこまでは、よく知らないけど……」

 と、苦笑する菅野。

「ともあれ、“リアリティ・・・・・のある話・・・・”として、今でも根強い人気のあるネット怪談ね」

 桜井はポテトチップスをぱりぱりやりながら、茅野に問うた。

「んで、どういう話なの?」

「一言で説明するのは、難しいのだけれど……しいて言うならば」

「しいて言うなら?」

「玄関のない奇妙な空き家にまつわる話よ」

 そう前置きをして、茅野は淡々と語り始める。

「語り部の故郷の町外れに広がる田園の中に、その空き家は建っていたというわ……」




 くだんの空き家には玄関がなく、この場所に関連した話をするだけで、町の大人たちに厳しくしかられたのだという。

 その理由や、空き家がいったいどういう場所なのかはタブーとなっているらしく、教えてはもらえなかった。

 そこで興味を抱いた語り部と友人A、B、C、D子、Dの妹の六人で、その空き家にこっそり忍び込む事にした。

 六人は一階のガラス戸を割って屋内に侵入を果たす。




「このガラス戸というのは、恐らく掃き出し窓の事よ」

「ああ。なるほど」

 桜井は得心して頷いたのちに話の続きをうながした。

「……で、中はどうなってたのさ?」

「家具などは何もなく、人が住んでいたような様子もなかったそうよ……」




 侵入した部屋はどうやら居間らしく台所と隣接していた。

 その居間から出て左側に延びた廊下の先には浴室、突き当たりにトイレがあった。

 右側に延びた廊下の先には二階への階段と、普通ならば玄関があると思われる場所があった。

 そして、廊下の左側……浴室とトイレの中間辺りだったという。そこに奇妙なものがあった。




「何……?」

 桜井が神妙な表情で問うた。すると、茅野はあっさりと答えを述べる。

「それは鏡台よ……その前に棒が立てられていて、長い黒髪のかつらが引っかけられていたのだというわ」

「はぁ……?」

 桜井が眉間にしわを寄せて首を傾げる。

「作中では『女が鏡台の前に座ったのを再現したかのよう』と描写されているわね」

「まあ、何となくイメージできたけど……」

 両腕を胸の前で組み合せ、難しい顔をする桜井だった。

「その鏡台と鬘があまりにも不気味で、語り部たちは尻込みしてしまうの……」




 いったん居間まで戻り、探索を続行するか否かでめ始める語り部たち。

 しばらく経って、ふと気がつくと、D妹の姿がない。

 ここで語り部たちは、D妹は二階へと行ったのではないかと推測し、居間を出て階段を登った。




「……で、妹ちゃんの行方は?」

「二階にいたわ」

「何だ。よかった……」

 ほっと、桜井は安堵あんどの溜め息を吐く。

「それで、そのD妹のいた部屋には、一階にあったものと同じ鏡台と棒にかけられた鬘があったの」

「何なの? その鏡台は……」

「長くなるから、その説明はまたあとで……」

「何だか難しい話なんだねえ」

「まあ、そうね」

 茅野は苦笑して話を先に進める。




 そこで、D妹が鏡台の三段ある引き出しの一番上を開ける。

 中から一枚の紙を取り出して「これなあに?」と、他の五人に見せて質問した。

 その紙には、筆で“禁后”と書かれていた。

 ただならぬものを感じて凍りつく五人。

 それを尻目にD妹は、二番目の引き出しを開ける。

 そして、再び中に入っていた紙を取り出して五人に見せた。

 そこにも同じく“禁后”という文字が書かれていた。

 そのあと、不穏な雰囲気に耐えきれなくなったD子が妹を怒鳴りつける。

 その“禁后”と書かれた紙を妹から取りあげ、引き出しの中に戻そうする。

 しかし、ここでD子は間違えて三番目の引き出しを開けてしまったのだという。

 D子はしばらく中を見つめたまま呆然としたあと、三番目の引き出しを閉める。

 そのあと、とつぜん自分の髪の毛をしゃぶり出す。

 他の五人が話しかけても反応はない。D子は一心不乱に髪の毛をしゃぶり続けた。




「それは、腹パンでしょ」

 桜井が確信を持った口調で言う。ずっと黙っていた菅野が苦笑してアイスティーに口をつけた。茅野の話は更に続く。




 語り部たちは、様子のおかしくなったD子を連れて、その家をあとにする。

 取り合えず、一番距離的に近かった語り部の家に向かった。

 そこで、六人があの家に入った事を知った語り部の親たちは大激怒する。

 それから他の五人の親たちも集まって大騒ぎとなった。

 後日、D子の一家は町を離れ、彼女がけっきょくどうなったのかは語られていない。




「……と、まあ、だいたいこんな話よ」

 茅野が話を結ぶ。

 桜井は両腕を組み合わせ、深々と頷いたのちにきっぱりと言う。

「なるほど……さっぱり、解らん」

 桜井個人の感想は“ただひたすら意味の解らない話”であった。

 怪談というより、精神を病んだ人の支離滅裂しりめつれつな妄想を聞かされたような気分であった。

 しかし、一つだけ今の話を聞いて、解った事もあった。

 それは、茅野循が、この“禁后パンドラ”という話を、あまり好んでいないのだろうという事だ。

 粗筋あらすじを語っているときの茅野の顔はどうしようもないZ級ホラー映画の話をしているときのものと同じであったからだった。

 それは、付き合いの深い桜井にしか解らないであろう微細びさいな表情の変化であった。

「それで、この話がどうしたのかしら?」

 と、茅野が黙ったままの菅野に話を振ると、彼はアイスティーに口をつけてから答える。


「実は先週の日曜日、その鏡台があるという家に行ってきたんだ」

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