【07】工房の入り口


 それは古びた平屋の住宅だった。

 廃屋というほど荒れ果てた様子はないが人の住んでいる気配もない。

 昭和初期ぐらいの古民家をリノベーションした住宅が更に年月を重ねて古くなった。そんな印象の佇まいであった。

 茅野が玄関の格子戸に手を掛けるも、施錠されていた。

 桜井はというと、玄関の左側に続く木製の雨戸を開けようとする。しかし、動かない。

「たぶん、内側から鍵が掛けられているわね。ここは侵入者の様式美として、裏口へ回ってみましょう」

「りょうかーい」

 二人は隣家の敷地との狭い隙間を通って、裏手へと向かう。

 そして扉のノブを見た途端、茅野は勝利の微笑みを浮かべる。

「年代物のピンシリンダー……秒で落としてあげる」

 そして、愛用のピッキングツールを取りだし宣言通り、まるで鍵などかかっていなかったかのような手際であっさりと扉を開けた。

「それじゃあ、いきましょう」

 その言葉に桜井は頷き、茅野と入れ替わるように前へと出た。

 点灯したペンライトを逆手に持って、屋内へと足を踏み入れる。

 茅野も肩にかけていたデシタル一眼カメラを構えて、あとに続いた。




 二人はビニール靴下を靴の上から穿いて家にあがる。

 裏口から入って左奥に開いていた戸口の向こうに、脱衣場らしき空間と浴室のものと思われる格子戸があった。手前には古びた洗濯機が置いてある。

 右側にも格子戸があり、正面には扉があった。

「あんまり、廃墟って感じがしないね」

 桜井が右側の格子戸を開けてスマホで撮影する。どうやら、そこは台所らしい。裏口前の戸口から向かって奥に扉があり、左手は和室に通じているようだ。

「和風のリビングダイニングみたいな感じかしらね」

 茅野も桜井の頭越しに台所を覗き込む。

 ガスコンロの近くにあるラックや、食器棚には、調理器具、皿やお椀などが整然と並べられている。

 流し台の近くには食器用の洗剤も置いてあった。食卓の中央には醤油瓶や卓上塩、胡椒、七味などが並んでいる。

 まるで、誰かが暮らしている普通の家のようだった。

 しかも……。

ほこりが全然、つもってない……」

 茅野が周囲を見渡しながら言った。

 桜井は珍しく不安げな表情で、相棒に問いを投げかけた。

「ねえ……これ、本当に入っていいのかな?」

「聖なるお香で打ち破れる術で隠されているぐらいだから、住んでいる人もどうせまともな奴じゃないんじゃないかしら?」

 茅野がそう答えると、桜井はあっさり「それも、そだね」と納得した。

「取り合えず、全部見て回ったあとにお香を試しましょう」

「らじゃー」

 そんな訳で二人は台所を横切り、奥の扉の向こう……書斎から探索を開始する。

 特に変わったものは発見できなかったが、二人は強い違和感を覚えた。

 日用品や小物などはそつなく揃っているのだが……。

「封書や葉書の類が一枚もないわ」

 茅野は書斎の机の引き出しを漁り終えたあとで眉間にしわを寄せる。

 桜井もクローゼットに首を突っ込みながら言った。

「こっちも空だよ。服が一枚もかかってない」

 なぜかこの家の住人の生活臭を感じさせるものが一つもないのだ。パソコンやタブレットなどの端末も見当たらない。

「やはり、この家はかなり奇妙だわ」

「うん……何かリアルなモデルハウスみたいな……」

「やっぱり住人は絶対にまともじゃないわね。とんでもないサイコ野郎よ、きっと」

「人間じゃなかったらいいなあ。手加減しなくていいし」

 ……などと、のんきな会話をしながら、二人は書斎をあとにした。キッチンに戻り近くの部屋から順番に見て回る。

 和室、仏間、六畳間……縁側を通って、玄関の方へと向かい、昔ながらの広々とした土間に出た。

 すると、そこにあったものに、二人は目を奪われる。

「……循、これ」

「階段ね……」

 土間の中心に地下への階段があった。

 木枠に囲まれた四角い穴の底へ向かって木製の階段が続いている。

「こんな場所に階段があるだなんて、不自然ね」

「いよいよ、まともじゃないね……」

 二人は階段を覗き込みながら、ペンライトを照らす。

 かび臭い湿気を含んだ闇が渦巻くばかりで、何も見透せない。

 桜井は慎重な足取りで階段の一段目を左足で踏みしめる。わずかにきしんだが、体重をかけても板が折れたりするような事はなさそうだった。

 茅野に目配せをすると、逆手に持ったペンライトを掲げて地下へと降り始める。

 その桜井のうしろに茅野が続く。

 やがて、二人は横に長い部屋へと降り立つ。

 左右の隅には無造作に置かれた段ボールや木箱などが積み重なっていた。階段の後ろには棚があり、そこには様々な工具が乱雑に置かれている。そして、正面には木製の扉があった。

 その下部の隙間からは、黄色い光がわずかに漏れている。

 桜井と茅野は目配せをし合うと、足音を立てないようにゆっくりと扉に近づいた。

 まず茅野がドアノブに手をかける。鍵は閉まっていなかった。

 そっと開けて、わずかな隙間から様子をうかがう。

 そこで桜井と茅野は思わず息を飲んだ。

 まず彼女たちの目に飛び込んできたのは、部屋の中央で天井からくくられた男の姿であった。

 不自然に脱力していて、明らかに生きていなかった。まるでリアルな人形のようにも見えた。

 しかし、その縊られた男の真下にできた生々しい血溜まりと、切断された両手首の先から滴る鮮血が、本物の死体であるという事を証明していた。

 幸いな事に室内には誰もいない。

 二人は目配せをしあうと、ゆっくり扉を開けて中に忍び込んだ。

 室内は学校の教室ほどはありそうな、コンクリート打ちっぱなしの部屋だった。

「この部屋では何が行われているのかしら?」

 茅野はカメラを構えて、ぐるりとその場で一回転する。

 ごちゃごちゃとした棚、流し台、作業台、ビーカーやフラスコなどの器具、正体不明の薬瓶……。

 まるで、古い映画の中に出てくるマッドサイエンティストの実験室のようだ。

 そして桜井と茅野が入ってきた場所から吊るされた死体を挟んで反対側にもう一つの扉があった。

「しかし、何か臭いね。ここ……」

 桜井が顔をしかめた瞬間だった。


 がたん。


 と、音がした。

 二人は、その音源の方を見た。

 

 がたん。


 すると壁際に立て掛けてあった棺桶のような三つの箱のうち、向かって右側が微かに揺れた。

「循……」

「梨沙さん……」

 顔を見合わせる桜井と茅野。

 二人は躊躇ちゅうちょなく、それでいて慎重に、その金属の箱へと近づく。

 どうやら、前面が掃除用具入れのような扉になっており、その取っ手に鍵穴があった。桜井が開けようとするも施錠されていた。

 再び、がたん、と音が鳴る。

 中から「ううう……」と呻き声が聞こえた。

「循」

「了解よ」

 桜井と茅野は場所を入れ替わる。

「これはシンプルなウォード錠ね」

 茅野がピッキングツールを取り出した。あっさりと解錠する。

 すると突然、がたん、と扉が勢いよく開いた。さしもの桜井と茅野も驚いて飛び退く。

 しかし、茅野は咄嗟とっさの反応でカメラを構え、桜井は拳を構えて前に出る。

 その箱より飛び出してきた何かは、床に倒れ込んでむせび泣き始める。


「あぁあ……助けてぇ……殺さないでぇえ……」

 

 桜井と茅野は思わず顔を見合わせる。

 それは、後ろ手に拘束された鳶服姿とびふくすがたの男であった。

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