【06】演技力


 二〇二〇年六月二十二日の十七時頃。

 桜井梨沙と茅野循が突入準備を整えている頃だった。

 『Hexenladenヘクセンラーデン』の入り口の扉が開き、その軽薄な声音が響き渡った。

「ちわーっす、九尾ちゃん」

 ずかずかと店内を横切り、カウンターへと近づいてくるのは、黒いマスクで口元を覆った夏目竜之介であった。

「このご時世に、わざわざ直接来なくてもいいわよ」

「いやあー、可愛い九尾ちゃんと久々お喋りしたくてさ。仕事は口実」

「また、そういう事を言って……」

 苦笑する九尾を尻目に、夏目はヘラヘラと笑いながら懐からスマホを取り出して指を這わせ始める。

「……ところで、近くにオシャレなカフェを見っけたんだけど、こんなひまな店、閉めちゃってお茶しない?」

「いやいやいや、客くるし! 今日の午前中も常連さんがきたし! 一昨日もガーネットの原石売れたし!」

 と、ムキになったところで、夏目がスマホの画面を九尾に見せた。

 そこには、こんな文字が記されていた。


 『九尾ちゃん、盗聴器の反応があったから、外で話そ?』


 九尾は目を丸くして、しばらく言葉に詰まったあと……。

「……んー、あー、やっぱり、喉乾いたわ、急にお茶したくなってきたわ」

 と、棒読みで言った。

 夏目はヘラヘラと笑いながら再びスマホに指を走らせる。

「ああ、そう……なら、この店なんだけど」

 再び九尾にスマホの画面を掲げて見せる。そこには、こうあった。


 『この大根役者』


 九尾はぐうの音も出なかった。




 同じ頃だった。

 藤見市駅裏の茅野宅の門前に、銀のミラジーノが停車した。

 ふぁん、と軽くクラクションが響くと、玄関から準備を整えた茅野循が姿を現す。

 そのまま、助手席に乗り込んだ。

 車は来津市の駅裏へと向かって走り出した。

「……ところで循」

「何かしら?」

「何か文章力のショボい小説家だと絶対に描写できなさそうな香りが微かにするんだけど……」

 桜井がくんくんと鼻を鳴らして言った。

「……的確な表現よ。梨沙さん」

「それは、どうも。……で?」

「実はフランキンセンスだけじゃなくて、家にあったあらゆるお香を持ってきたわ。ちょっと、梨沙さんが来るまでの間、試していたの」

「ふうん」

「フランキンセンス、ミント、ラベンダー、ローズマリー、アンゼリカ、パチョリ……全部、香炉にぶち込んで炊いてみましょう。その結果によっては、今後の我々の心霊探索において、大きな武器になるかもしれないわ」

「それ、全部、魔除けの効果があったりするの?」

「そうね。そう言い伝えられているわ」

「ならさあ、もう臭いのする草なら何でもいいんじゃないかな? パセリとか大葉とかパクチーとか小口ネギでもいけそうな気がするけど……」

「その辺りは次回の課題にしましょう」

「そだね」

 ……などと、本気とも冗談ともつかない会話を交わす二人。

 このあと、とりとめもない無駄話をするうちに来津駅裏へと辿り着く。

 車を津村宅のブロック塀沿いに停めさせてもらい、二人は例の旗竿地の入り口に向かった。

 すでに黄昏色の空の向こうからは宵の闇が顔をのぞかせている。

 見送りにきてくれた西木、羽田、津村に“ちょっとコンビニへ行ってくる”程度の極めて軽い調子で別れの挨拶をして、二人は旗竿地の奥へと侵入した――




「たぶん、保険じゃないかな?」

 夏目は飄々ひょうひょうとした調子で言葉を紡ぐ。

 そこは『Hexenladenヘクセンラーデン』より二キロ程度、離れた住宅街の一角にあるお洒落なカフェであった。

 閑散とした店内のテーブル席で、二人は向き合っている。

「……使い魔が見つかってしまえば、更に盗聴器が仕掛けられているなんて思わないでしょ?」

「それは、まあ……」

 と、頷いてアイスレモンティーに口をつける九尾。

「でも、盗聴器が仕掛けてあるなんて、よく気がつけたね。夏目くん」

「あー、まあ、気がついたっていうより、念のために盗聴器が仕掛けられてないか、高感度の発見機を店の前で使ってみたら反応があったってだけだよ」

 そう言って、アイス珈琲のストローをくわえる夏目。

 九尾は相変わらず抜け目がないと感心するが、もちろん、口に出しては言わない。調子に乗るから。

 何でも夏目は某有名私立大学の出身者らしいが、そんなエリートがなぜ、こんな事に・・・・・なっちゃったのか・・・・・・・・、はなはだ疑問であった。

 やはり勉強し過ぎて頭が逆にはっちゃけたのかと、失礼な事を考えていると……。

「どしたの、九尾ちゃん。ぼんやりして。……まさか、オレに何か憑いてる?」

 夏目に怪訝けげんそうな顔をされたので「何でもない」と笑って誤魔化す九尾であった。

「……まあ、九尾ちゃんが今、オレに見とれてた件は置いといて……」

「見とれてない!」

「たぶん、hogの奴は、九尾ちゃんのお店によく来る人間で間違いなさそうだね」

「そうね」

「九尾ちゃんは抜けてるから、ちょっと目を放した隙に、カウンターの中に入って、盗聴器の仕掛けられた電源タップを交換するくらいの事は簡単にできそうだけど……」

「悔しいけど、反論はできないわ」

 ずずず……と、アイスレモンティーを力強くすする九尾。

「でも、何で、わたしの店に」

「そりゃ、二年前のときにhogの隠れ家の入り口を突き止めたの九尾ちゃんでしょ」

「まあ、そうだけど」

「今回はhogが何をするつもりなのか知らないけど、たぶん、前回の一件で九尾ちゃんは侮れないと向こうは思ったんだろうね」

 忘れられがちであるが、九尾天全はこれでも一流の霊能者である。

「hogは自分が何かの事件を起こせば、九尾ちゃんが必ず出てくると踏んでいたんじゃないかな? つまり、ライバルだと認められたんだよ。おめでとう」

 ぱらぱらと拍手を送る夏目。

「嬉しくないなぁ……」

 九尾はうっそりと溜め息を吐く。

「それともう一つ」

 そう言って、夏目は右手の指を一本立てる。

「けっこう、あの店のカウンターで仕事の話とかしてるでしょ? 穂村さんも言ってたけど、あの店、客がいないからそういう話をしやすいし」

「いや、そんな事は……」

 ……あるな。と、思い直し、口をつぐむ九尾であった。

 そして、そういうときにタイミング悪く客や業者が店内にやってきて、話を中断するという事も度々あった。

 hogはそうした光景を見た事があるのかもしれない……九尾は、そう考えた。

「……まあhogとしては、裏をかこうとしたんだろうけど、これは逆にチャンスだね。オレも二年前はヤツにしてやられているし、絶対に今回でリベンジしたいところだけど」

 前回は夏目の車から使い魔が見つかった。つまり、彼が捜査情報の漏洩元ろうえいもとであった可能性が高いのだ。

「そんな訳で、オレは今回、チョーやる気だから、店に出入りしている怪しい人間がいたら教えて?」

「怪しい人間……」

 そこで九尾は思案顔を浮かべたのち、

「それなら心当たりがあるわ」

「おっ、誰よ?」

 食い気味で身を乗り出す夏目。

 九尾は、その顔を指差す。

「あなた」

「は?」

 夏目は困惑気味に苦笑する。

「何で?」

「いや。用もないのによくウチの店にくるし、推理小説だったらあなたみたいなのが、だいたい犯人でしょ?」

 これまで散々、いじられてきた仕返しのつもりだった。

 しかし、どういう訳かいつまでたっても夏目は反応を返そうとしない。

 そうなると、焦り出すのは九尾の方である。

「えっ、ちょっと、何、急に黙り込んでるのよ?」

 夏目は答えない。

「えっ? え……夏目くん……?」

 真剣な表情で、じっと九尾を見つめている。

「いや、冗談、だよね……?」

 恐る恐る尋ねる九尾。

 そこで、ようやく夏目が破顔はがんする。

「そうだよ、冗談だよ。九尾ちゃん。なーに、マジになって焦っちゃってるの?」

「もう……びっくりした。やめてよ、本当に」

 ほっと溜め息を吐いて、唇を尖らせる。けっきょく、いじられる九尾であった。

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