【10】悲愴な決意
中年男がやってきて、恐る恐るSAの軒先に立つ西嶋の顔を
「あの……リカさんですか?」
どうやら客のようだが、相手にしている暇はまったくない。
「いいえ。違います」
「でも、その服装……」
待ち合わせのために服装を教えていた事を思い出す。
「違います」
ぴしゃりと断り、スマホを弄る振りをして無視する。
男はしばらくすると舌打ちをして立ち去っていった。
そのあと、銀のミラジーノに乗り込んだ二人へと視線を移す西嶋。
二人の少女は、何やら話込んでいる様子だった。
運転席の小柄な少女が、がっくりと肩を落として眉をハの字にさげている。
その隣の助手席では黒髪の少女が冷静な顔つきで口元を動かしていた。
どうやら、誰かと電話で話しているらしい。
兎も角、あの二人……の背後にいる
西嶋は確信していた。これが地獄から抜け出す最後のチャンスであると……。
あの凄まじいアレ――何と形容してよいのかまったく解らないソレは、二人の少女と共に現れた。
ぷかぷかと浮かびながら車を追尾するソレを見た瞬間、西嶋は我が目を疑った。
植物……昆虫……魚類……甲殻類……そのどれでもない。人を思わせる部位もあり、
本当に何と言っていいのか解らないモノ……ただ、ソレがこの世ならざるモノである事は、西嶋もすぐに理解した。
ソレはずっと眺めているだけで狂気をもよおしそうになるほど恐ろしい姿をしていたが、特に何かをする訳でもなかった。
車を降りた少女の真後ろをぷかぷかと浮かびながら追いかけているだけだ。
少女たちは、それにまったく気がついた様子を見せない。
和やかに談笑しながら、自動販売機に近づいてゆく。
……と、そのときであった。
今まで自動販売機の周辺をさ迷っていた少年の霊がぴたりと足を止めた。
次の瞬間、ソレから触手のような、鎖のような、節足のような何かが、びゅっ……と勢いよく飛び出た。
その管状のモノは小柄な少女の頭部を貫いて長く伸び、少年の霊を薙ぎ払う。
あまりの気持ち悪さに「ひっ」と声をあげる西嶋。
もちろん、二人の少女を始めとして、誰もその出来事に気がついた様子はない。
少年の霊は真っ二つになり光の欠片となって消滅してしまう。
かなり衝撃的な光景であったが、苦痛に満ちていた少年の顔が、最後の瞬間は安らいでいるように見えたのが唯一の救いであった。
そして、頭部を貫かれた小柄な少女の方にはまったく異変は見られない。
その瞬間、西嶋はひらめいた。
西嶋はあのよく解らないモノに自分と娘の人生を賭ける事にした。
ワゴンRの運転席を降りると、少女たちの元へと向かったのだった――
少女たちが車から降りて、西嶋の元へと向かって歩いてくる。
訳の解らないモノを引き連れて……。
急な話だし、訝られて断られるかもしれない。
十中八九、こんなよく解らない頼み事を引き受ける者などいないだろう。
先に報酬の話をすればよかったと、西嶋は後悔する。
彼女は宇野がかなり貯め込んでいるのを知っていた。もしも、少女たちが難色を示した場合は、その金を報酬に当てるつもりだった。
そして、首尾よく宇野を何とかできたときは、娘をどこかに預けて自首するつもりだった。
宇野の霊に関しては、どうせ言っても信じてくれないだろうし、万が一にも娘が罪を被ってしまう事を危惧して、警察に言わないつもりでいた。
西嶋は理解していた。
宇野がどうにかなったとしても、たぶん自分は娘を幸せにできない。それに、命令されたとはいえ、これまで行った罪をすべてなかった事になどできはしない。
そもそも、この地獄を招いたのはすべて自業自得である。
少なくとも娘の……麻鈴の父親を殺したのは、宇野の甘言があったとしても、自分自身の意思だった。
ならば、自ら責任を取らなくてはならない。
何にせよ、あの少女たちを上手く乗せて、連れて帰らなければならない。
黒髪の少女が困惑気味に話を切り出す。
「ええっと、じゃあ……」
西嶋は息を飲んだ。黒髪の少女は、あっさりと、その言葉を続けた。
「……貴女についていけばいいのね?」
「は?」と思わず声が漏れた。
更に小柄な少女が話を続ける。
「何か心霊がらみで困ってるんでしょ? だから、あたしたちに声をかけた」
「はい?」
西嶋の目が点になる。最初は何を言われているのか解らなかった。この二人、物解りがよすぎる。
西嶋の困惑をよそに黒髪の少女が言った。
「取り合えず、話せる限りでいいから事情を説明して欲しいわ。中のフードコーナー辺りで、珈琲でも飲みながら」
そう言って、綺麗な細い顎の先でSAの自動ドアを指した。
その瞬間、西嶋は自分が涙を流している事に気がついた。
もうずいぶん前に、どうしようもないのだと諦めていた。
誰を頼っても、もう運命を変える事はできないのだと絶望していた。
愚かで失敗続きの自分にとって、人生をやり直す事すら贅沢なのだと……。
しかし、ようやく、光が見えた気がした。
西嶋は慌てて自分を気遣おうとしてくれた二人の少女を右手で制して、涙をぬぐう。
まだすべてが上手くいった訳ではないと気を引き締め直す。
そして、桜井梨沙と茅野循と名乗る少女と……訳の解らない名状しがたき何かと共に、SAの自動ドアを潜った。
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