【08】救世主


 西嶋里佳は松岡芳光の死体を埋めたあと身支度みじたくを整えて、阿久間SAへと向かった。

 このSAを客との待ち合わせ場所に使うのは初めての事であったが、駐車場で車を停めた途端、里佳は後悔した。

 なぜなら、血塗れで首の折れ曲った少年が軒先の自販機の前をうろうろしている事に気がついたからだ。

 もちろん、その少年はこの世のモノではない。

 もうすっかり視える事にはなれていたので、そうした存在への恐怖はない。しかし、少年の顔は明らかに耐えがたい苦痛に冒されて歪んでいた。

 何とかしてあげたかったが、西嶋はその術を知らない。

 少年は自動販売機へ訪れる人にすがりつくようにして何かを訴えているが、彼の存在に気がつく者は誰もいない。

 何もできない事への罪悪感と自己嫌悪に胸が締めつけられた。

 堪らなくなり、西嶋は助手席のシートに放り投げておいたスマホを手に取って、画面をのぞき込む。

 待ち合わせ時間の三分前。

 客の男からメッセージが届いており、十分程遅れる旨が記されていた。

 西嶋は了承のスタンプを返し、スマホを再び助手席に放り投げ、顔をあげた。

 すると、フロントガラスの向こうを銀色の軽自動車が通り過ぎる。

 その瞬間、西嶋は大きく目を見開いた。

「何、今の……」

 目の前を過ったばかりの銀の軽自動車を二度見して、恐怖にうち震える。

 その軽自動車は自動販売機にほど近い位置に駐車した。

 ドアが開き、二人の少女が降りてくる。

 背の高い黒髪の少女と、癖のある栗毛をポニーテールにした小柄な少女だった。

 どちらも、どこかへハイキングにいった帰り……というような格好である。

 しかし、そんな事よりも、二人の背後にいる存在……。

「今日は……いったい何ていう日なの……」

 二人の少女は、ソレ・・に気がついた様子もなく、楽しげに談笑しながら自動販売機の方へ近づいてゆく。

 少年の霊が動きを止めた。

 すると、次の瞬間だった――


「あああ……あ……」

 それは、あまりにも恐ろしい……。

 しばらく絶句し、乱れた呼気を整える。

 しかし、このとき西嶋は天啓を得た。

 もしかしたら、あの凄いの・・・を利用すれば、今のどん詰まりの状況を何とかできるかもしれないと――。




 桜井梨沙は銀のミラジーノを停めたあとシートベルトを外しながら、きょろきょろと阿久間SAの駐車場を見渡した。

 トラックが数台。

 紺のワゴンRが一台。

 コロナ禍の影響だろうか。休日の割りには閑散とした駐車場だった。

 自動販売機のある軒下から向かって左側の隅に献花やお供え物が供えられた一画があった。

「いないねえ……」

 しょんぼりと眉尻をさげる桜井。

 茅野がドアを開けながら言う。

「まずは、ジュースとお菓子でも買って手を合わせましょう」

「そだね」

 桜井も車から降りる。

 そして、二人は自販機に向かう。

「ドクターペッパーがあればいいのだけれど」

「いや、喜ばないんじゃないかなあ……」

「そうかしら?」

 などと、呑気に自販機へと近づく二人。

 残念ながらドクターペッパーはなく、仕方がないので茅野は甘ったるい缶珈琲を買った。

 桜井はコーラを購入する。

「さて、どうぶつビスケットがあればいいんだけど」

「それ、梨沙さんが食べたいだけでしょう?」

「い、いや、子供はみんなどうぶつ好きでしょ」

「そうかしら?」

 と、二人は店内へと向かおうとした。

 すると、そこで突然……。

「あの……ちょっと」

 見知らぬ女から声をかけられる。

「ん?」

「私たち?」

 桜井と茅野は立ち止まり、女を爪先から頭の天辺まで睨めつける。

 歳は三十程で化粧は濃かったが、その顔色は随分と青ざめているように感じられた。

 鼻に怪我をしているのか、ガーゼが当ててある。

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

「あの……その……何というか……」

 女はしどろもどろになりながら、何と言ったらいいのか言葉を口の中でさ迷わせている。

「何ですか?」

 茅野が怪訝そうに眉をひそめる。そこで、ふと気がつく。女の目線がチラチラと自分たちの背後を見ている事に……。

「後ろに何かあるのかしら?」

 後ろを振り向いて見るが何もない。SAの硝子張りの自動ドアがあるだけだった。

 そこで、女は意を決した様子で、桜井と茅野の顔を交互に見渡し、言い放った。

「お願いします。何も言わずに私についてきていただけますか?」

 再び何とも言えない表情で顔を見合わせる桜井と茅野。

「えっと、何で……?」

 桜井は困惑気味に首を傾げる。

 すると、女は言った。


「その、貴女たちの後ろにいるモノ・・・・・・・の力を是非とも借りたいのです」


「後ろにいるモノ……?」

 茅野は眉をひそめた。




 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』にて。

 怪しげな占いグッズが並ぶ棚の間には、客の姿は見当たらない。

 そんな何時も通りの閑散とした店内に、少し調子の外れた鼻唄とティーカップをかき回す音だけが響き渡る。

 奥のカウンターで、九尾天全はのんびりとティータイムを楽しもうとしていた。

 カップを持ちあげ、湯気にのった香りを吸い込む。

 以前、依頼人からもらったアールグレイの高級茶葉である。

 一口含み、舌の上で転がす。

 すると、そこで充電器に繋ぎっぱなしだったスマホが電子音を鳴らし、メッセージの着信を告げた。

「梨沙ちゃんからか……」

 何気なく、もう一口だけ紅茶を含み、スマホを手に取った。カップを置いて画面に指を這わせる九尾。

 桜井からのメッセージには本文はなく、どこかの店の軒先のような場所で撮影された画像だった。

 桜井と茅野が二人並んでピースをしながら微笑んでいる。

 それを見た瞬間、九尾は盛大に口の中の紅茶を噴射した。

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