【01】ケミストリー


 二〇二〇年六月二十日であった。

 海沿いのバイパスを銀のミラジーノがひた走る。

 ハンドルを握るのは桜井梨沙であった。

 彼女の運転は、その性格通りに攻撃的……ではなく、いたって模範的な、おとなしいものだった。

 これは、まだ免許を取り立てであるという他にも、自らが交通事故に遭った経験からだろうと助手席の茅野循は分析していた。

「それにしても、渋い趣味の車ね」

「義兄さんは、こういう昔の車が好きらしいよ」

 と、フロントガラスの前方を見据えながら答える桜井。

 年齢より幼く思える彼女であったが、ハンドルを握るその横顔は、いつもより大人びて見える。

 その事が助手席の茅野には微笑ましく感じられていた。

「まあ確かに。販売当初のコンセプトは“クラシック風”なのだけど、もう二十年近く前のモデルだから、クラシックに片足を突っ込んでいるとも言えなくはないわね」

「ふうん……」

 と、桜井はいつもの調子で相づちをうったあとで、いつもの質問を切り出す。

「……で、今回はどんなスポットなの?」

「今回のスポットはいつも以上の激ヤバスポットよ。あの九尾先生の・・・・・・・御墨付き・・・・なのだから……」

「え? センセの?」

 茅野が悪戯っぽい笑みを浮かべながら頷く。

「ええ。ずばり“死人しびとの森”よ」

「しびとの……もり……?」

 桜井はいったん眉間にしわを寄せて考え込むも……。

「ああ! そう言えば、センセ、言ってたねえ……」

 すぐに思い出した。

 それは、二〇一九年十一月二十三日の事であった――




 それは、あの隠首村からの帰還後だった。

 幽玄荘の山茶花さざんかの間にて。

「あんたたちねぇ……」

 片手で上善じょうぜん如水みずのごとしの四合瓶を傾け、並々と湯飲みについだ酒を一気に呷ったあと、赤ら顔の九尾天全は言った。

「いいかしらぁ!? あんたらの住んでる県で絶対に行っちゃいけないのはぁ……旧猿川村トンネル! あとは死人の森よぉ! それからあとは……あとは……あとは……何だっけぇ? 兎に角、もうね。心霊スポットは、行っちゃ、駄目なの! 解ったぁ!?」




 隠首村で発見されたモノのあまりの途方もなさにやけ酒をかっ食らう九尾天全が漏らした謎の地名、死人の森……。

 このあと、茅野はどうにか九尾天全をなだめすかして、その所在を聞き出そうとしたが、まったく要領を得なかった。

 けっきょく、その努力は虚しく、九尾は衣服を脱ぎ散らかしパンツ一丁で寝てしまった。

 その当時を振り返りながら、桜井は何とも言えない表情で言った。

「……大人になって、お酒は飲みたいけど、ああはならないようにしようって思ったよ」

「まったくね」

 と、同意する茅野。

 桜井は九尾の醜態を忘れてやろうという優しさから、話を強引に元へと戻す。

「……じゃあ、その死人の森の場所をついに突き止めたんだ」

「ええ。中々、苦労したわ」

 あの隠首村の探索以降、茅野は当然ながら、旧猿川村トンネルと双璧をなす激ヤバスポットの所在地を調べようとした。

 しかし、これが上手くいかない。

 インターネットをつぶさに調べても、まったく名前が引っ掛からない。

「そもそも“死人”とつく地名は割りと珍しくないわ。宮城や福島……探せば、たぶんもっとあると思う」

「そなんだ。由来は何なのかな? わざわざ死人なんて縁起でもない言葉を地名につけるなんてさあ」

「そのものずばり、昔たくさんの人が死んだ場所だったり、飢饉のときの口べらしや、疫病で亡くなった死体を捨てた場所だったり……だいたい、そういった由来である事が多いわね」

 そこで茅野は言葉を切って、ドリンクホルダーに刺してあった、たっぷりと甘いコンビニのアイス珈琲に口をつけた。

「……そういった地名は、現在だと大抵は無難な名前に変更されていたりするわね」

「そりゃあ、そうだろうね」

 と、桜井は納得した様子で頷いたあとに問うた。

「……それで、九尾センセの言ってた死人の森も、名前が変更されてたの?」

「そうよ。だから、中々見つからなかったの……」

 茅野がそれを発見したのは、ほんの偶然であった。

「とある郷土史の本を読んでいたときに見つけたのよ。そこは今は桜野森という地名らしいのだけれど、昔は死人野森しどのもり。地元の人からは死人しびとの森と呼ばれていたらしいわ」

 そこで桜井が唐突に吹き出す。

「死人から桜って脈絡ないし。ずいぶんと綺麗になっちゃったもんだね」

梶井基次郎かじいもとじろうの小説からの引用かもしれないわ」

「かじい……?」

 と、桜井は首を傾げたが、桜野森という地名と小説『櫻の木の下には』を結びつけたのは半ば冗談のようなものだったので、茅野は話を脱線させずに先へと進める事にした。

「兎も角、これから向かう桜野森自然公園には遊歩道があるのだけれど……」

 そこには、山間の谷間に広がる森林公園があるのだが、航空写真地図を検索してみると不自然に遊歩道が弧を描いている場所があるのだという。

「まるで、何かを避けるように……。そこが、ちょうど、桜野森の中心に当たる場所なのよ。今回は、そこに行ってみようと思うわ」

「なかなか、面白そう……」

 桜井は前方を見据えた双眸そうぼうに好奇心を宿らせた。

「それで、その死人の森には、どんな云われがあるの?」

 その質問に茅野は首を横に振る。

「それが、いくら調べても“禁忌の土地”としか書かれてないのよ」

「それは、かなり本格派のスポットっぽいねえ……」

 桜井が楽しげにそう言ったところで、前方の右側に……。


 『阿久間あくまSA この先500メートル』


 サービスエリアの看板が見えてくる。

「あ、どうする? 寄る?」

 茅野は少し考えたあと首を横に振る。

「私は大丈夫よ」

「んじゃ、スルーします」

「あ、でもちょっと待って……」

 と言って茅野はスマホを手に取り、指を走らせる。

「今のサービスエリアも、心霊スポットみたい。駐車場で子供の霊が目撃されるらしいわ」

「おっ、どうする?」

「じゃあ、帰りはあのサービスエリアでご飯を食べるっていうのは、どうかしら?」

「いいねえ。一日で二ヶ所のスポットを回るのは柿倉以来だね」

「ええ。でも、まずは死人の森に集中しましょう。九尾先生が言うくらいなのだから、よほどの場所よ。きっと」

「そだね」

 そうして二人を乗せた銀のミラジーノは、阿久間SAの前を通り過ぎた。


 ……この心霊スポットの梯子はしごが、あとで思わぬ化学反応を巻き起こす事となる。

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