【14】正義の味方……ではない


 御堂静香は落ち着きを取り戻すと、まるで憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした顔で言う。

「これから、警察にいきます。そして、私の犯した罪や、息子の事を洗いざらい話そうと思います」

 桜井と茅野は満足げに首肯した。

 すると、静香はすがりつくような表情で申し出る。

「……それで、あなたたちも一緒についてきてくれますか?」

 二人は何とも言えない表情で顔を見合わせた。そして茅野が首を横に振る。

「いいえ。それはできません」

「なぜです?」

「……息子さんのためにも、あくまでも母親である貴女が自発的に自首したという事にした方がよいからです」

「でも……」

 何かを言いかけた静香を桜井が右手をかざして制する。

「あたしたち、別にトシヤンソンやお母さんの罪を暴いて有名になりたいとか、誰かに誉められたいとか、そんな事は思ってないし。だから、お母さんが自分で自首したって事にしてよ」

 半分は建前で、半分は本気だった。

 確かに桜井と茅野は、名声を得たくて御堂寿康の罪を暴いた訳ではなかった。しかし……。

「……ですので、私たちの事は警察にくれぐれも言わないように」

 要するに、面倒臭いから警察に言わないで欲しい……それが本音であった。

 静香はちょっとだけ迷ったのちに、二人の提案を受け入れて頷く。

 そして、こんな感想を漏らす。

「見返りを求めないのね。あなたたち二人って、まるで本当の正義の味方みたい」

 そう言って静香はくすりと微笑んだが、茅野と桜井はかぶりを振って真顔で否定する。

「私たちは、正義の味方なんかじゃないわ」

「そうそう。これ、趣味だし」

「趣味……?」

 静香は意味が解らないと言った様子で首を傾げた。

 すると、その疑問には答えずに茅野がソファーから腰を浮かせて言う。

「それじゃあ、そろそろいきましょう」

「そだね。あたしらも帰らなきゃ」

 桜井も続けて腰を浮かす。

 静香は空になったカップをキッチンの流しに置いてから、二人の元へ戻ってきて頭をさげる。

「本当にありがとう。あなたたちの事は、絶対に忘れないわ」

「どういたしまして」

 茅野は満足げな笑みを浮かべる。そして、桜井がぺこりと頭をさげた。

「お菓子、ごちそうさま」

 それから、三人は県営団地の一室をあとした。

 そして、桜井と茅野は静香の運転する車で警察署の前まで乗せてもらい、彼女と別れる。

 そこから徒歩で駅を目指した。

 その道すがらだった。

「ねえ、循」

「何かしら?」

「万が一、トシヤンソンのお母さんが口を滑らせて、あたしたちの事を喋って、警察がきたらどう口裏を合わせる?」

「そうね……」

 と、茅野は顎に指を当てて思案してから言う。

「一回だけ、すっとぼけましょう」

「そだね」

 と、桜井が笑顔で同意する。

 こうして、いつも通りの平常運転で二人は帰路に着いたのだった。





 トシヤンソンこと御堂寿康は二〇〇八年の武島剛士の一件を通じて、どうも自分が面白いと思っている事は、他人にとってつまらないらしいと自覚する。

 その事は十代の彼に少なくはない絶望を与えた。

 結果、まるですべてに見放されたような気分になり、彼は自分の世界に引きこもる。

 幸いにも――これは、彼にとっての幸いという意味だが――武島は報復を恐れて口をつぐんだ。

 そのために例の一件は有耶無耶のまま終息した訳だが、この事が彼の更正の機会を奪い、新たな悲劇を呼ぶ事となった。

 二〇〇九年二月十四日の千村双葉殺害及び死体遺棄である。

 寿康が彼女を殺すに至ったのは、性的な行為を拒絶され、かっとなったというシンプルな動機からだった。

 彼は千村双葉について、こう考えた。

 わざわざ二月十四日に男の家に一人でやってくるのだから、そういうつもりなのだろうと……。

 寿康は何の迷いもなく彼女にそうした行為を強要しようとした。

 普通ならば、男女経験に不馴れな十四歳が、一つ屋根の下に母親と祖父がいるにも関わらず、そうした行為に及ぼうとする事は少ないだろう。

 しかし、寿康にとって母親と祖父の存在は何の抑止力にもなっていなかった。

 加えて他者への共感能力が低く、人の気持ちをおもんばかる事ができない彼は、あっさりとその一線を踏み越えようとしたのだった。結果として最悪の事態を招く事になる。

 これには流石の寿康も、大きく己のおこないを反省した。

 当然ながら罪の意識にかられた訳ではなく、単純に自分自身を上手くコントロールしないと面倒臭い事になると思い知っただけだった。

 この一件を通じて、彼はようやく普通の人間・・・・・の真似・・・をする事を覚えたのであった。

 それからフリースクールに通い、地元の米菓工場に勤めてしばらくは、普通の人間の中でおとなしく身を潜めて毎日を過ごした。

 そんな彼が“物事の価値は情報の拡散力で決まる”という自論を得たのは二十四歳の頃だった。

 リツイート数、再生回数、いいねの数、閲覧数……世の中で評価を受けている物の多くが、そうした数値の高い物ばかりである事に彼は気がついたのだ。

 そういった評価をされている物の中には、どう考えても品質の悪い物や、道徳的に間違っていると思える物もあった。

 その事から、物事の本質は中身ではなく、情報の拡散力なのだと彼は考えるようになった。

 その結果、十四歳の頃に覚えた世界への違和感……自分が面白いと思っていた事が他人に評価されなかったのは、この拡散力がなかったからなのだと、盛大に勘違いをした。

 しかし、それは彼にとっての真理となり、再生回数や登録者数という数字が結果に直結するYouTuberを目指す動機となった。

 しかし、彼が動画を投稿し始めた二〇一九年末頃には、この業界もレッドオーシャンと化しており、なかなか思うように結果が出ない。

 そのうち彼は自らの信じる真理に従い、拡散力を追い求め、どんどんと過激な動画を投稿するようになっていった。

 そして、あの殺人鬼の母親に断罪を迫る“胸糞動画”が投稿される事となった。

 因みに自らが殺人を犯した経験があるにも関わらず、山田利美を責め立てる事については、自分自身でとんでもないブーメランであると自覚はしていた。

 しかし、拡散力を盲信する彼にとって、その辺りの正当性はどうでもよかった。

 また自らが殺人を犯した過去を晒して、自分自身を燃料にするつもりもなかった。

 くべるまきは他人でよい。

 その薪が燃えあがり、炎の揺らめく様を見おろして笑うのは自分なのだ。トシヤンソンは画面の向こう側から他者を面白半分にネタにする事で優越感と、抑圧されていた嗜虐欲しぎゃくよくを満たしていた。

 ともあれ、あの動画のコメント欄は当然ながら荒れに荒れた。動画は削除され、アカウントも停止された。

 しかし、拡散力のみを盲信する寿康は、まったく気にしていなかった。

 名前が拡散されて有名になる事そのものが目的となっていたからである。

 そんな訳で彼は、アカウントが削除された翌日、再び別なアカウントを習得し、すぐに“あの件の謝罪”というタイトルの動画を投稿した。

 しかし、これが謝罪とは名ばかりの酷い動画で、またもや大炎上する事となった。

 それでも一定数、悪ノリで彼を評価する者もいた。そういった者たちの存在が彼の勘違いを助長させる。

 そして二〇二〇年五月二十七日、トシヤンソンは悪びれる事もなく、新たな動画を製作する事にした。

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