【08】帰れなかった


 二〇二〇年五月二十七日、県営団地のリビングにて――。

「……私が言いたいのは、クラスメイトと彼の間には大きな溝があったという事です」

「そっ、そうよ……学校ぐるみで、トシちゃんへの虐めをなかった事にして……本当に酷い……」

 静香は上擦った声でピントのずれた受け答えをした。

 茅野は特に取り合わず話を先に進める。

「それで質問なのですが、息子さんは、千村双葉さんと仲がよかったのでしょうか?」

「千村……は? 誰です?」

 静香は唐突に出てきた聞き馴染みの薄い名前に戸惑う。

「いや、そこだけが解らなかったのですよ。息子さんはずいぶんとクラスメイトにうとまれていたようです。……にも関わらず千村双葉さんは、恐らくあの黒猫坂の家へと一人で訪れている」

「ちょっ……いったい何の話を……」

 と、言いながら、静香は思い出していた。

 あの少女だ。

 十一年前のバレンタインデー。

 戸口の向こうに佇んでいた、赤いマフラーの少女。

 大人しそうな、純朴そうな少女。頬を赤く染めあげ、照れ臭そうに、はにかんでいた……。

「誰なんです? その千村……双葉さんでしたっけ?」

 その静香の問いに答える事なく茅野は話を続ける。

「息子さんに呼び出されたのか。それとも、千村さんが自発的にやってきたのか」

「ちょっと、待って……」

 しかし、茅野は止まらない。

「前者である可能性も捨てきれませんが、私は後者だと考えています。なぜなら当日は二月十四日……この日、十代の少女が誰にも行き先を告げず、クラスメイトの男子の家を訪ねる理由など、そう多くはないからです」

「ちょっと、待って」

「きっと、彼女は息子さんの本性・・を知らなかったのでしょう。この事からも彼が中学生の頃、登校拒否する切っ掛けとなった騒動も、そう大事にはならずに、有耶無耶のまま終息したのではないでしょうか。だから、一部の者以外、彼の本性・・を知る事はなかった……まあ、想像ですが。大きくは外れていないと思います」

「ちょっと、待ってください! だから、その千村双葉というのは誰なんですかッ!」

「十一年前に行方不明になった女の子だよ」

 桜井がぼそりと呟くように言った。

 静香は凍りつく。

 桜井はネックストラップに吊るしたスマホを手に取り、指でなぞり始める。その画面を静香の方へと見せた。

 そこには……。




 『中学二年生女子が行方不明』


 県警は21日、白谷市に住む中学二年生の千村双葉さん(14)が14日から行方不明になっていると発表した。家庭内トラブルや学校でのいじめなど家出の動機が見当たらず、県警は事件に巻き込まれた可能性もあるとみて、情報提供を呼びかけている。

 県警人身対策安全課によると、千村さんは14日の下校後、七沼地区周辺で目撃されたのを最後に、以降の足取りは掴めていない。




「ああ……知らない、知らない……」

 あの日、突然やってきた見知らぬ少女。

 虐めっ子の仲間かと思ったが、その顔には明らかな息子への好意が浮かんでいた。

 やっぱり、息子を疎んでいたのは、一部の心ない子らだけで、こんな可愛らしい味方もいるのだと微笑ましく感じた。

 念のため息子に訊いてみると、家にあげてもいいと答えが返ってきた。

 それを伝えると少女は緊張で凍りついていた相貌そうぼうを笑顔でとろけさせた。

 その表情を見た瞬間に、静香は思った。

 ああ、息子もそんな年頃なのだと……嬉しく思うと同時に寂しさもあった。

 静香は、そのときの感情を思い起こしながらピシャリと言った。

「帰りました」

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

 静香は再び口を開く。

「あの子はちゃんと帰りました。あとの事は知りません」

 当時の記憶が甦る――



 

 千村双葉が御堂寿康を訪ねてきて数日後の昼過ぎだった。

 インターフォンが鳴り、玄関へ向かうと灰色のスーツを着た若い男が立っていた。

 何でも県警の刑事なのだという。

 懐から取り出した身分証を開いたあと、その刑事は静香に質問をした。

「えっと、息子さんのクラスメイトの千村双葉さんが行方不明になっているのはご存じですよね?」

 静香は大袈裟に驚き「そんな話、ニュースではやっていなかったような……」と眉間にしわを寄せた。

「まだ報道されていませんから。でも、息子さんから聞いていませんか? 学校ではすでにそうした話があったと思いますが」

「その……うちの息子は、今、学校にいっていませんの」

 静香がそう言うと、刑事は少しだけ考えてから「ああ。失礼しました」と言って、気まずそうに笑った。

「それで、その子が行方不明って……いつからですか?」

 静香の質問に、刑事は三和土の右側の壁に貼られたカレンダーに目線をやって答える。

「今月の十四日です。四日前ですね。下校後に千村さんらしい少女が、この七沼地区で目撃されたのですが」

「まあ」

 静香は口元を手で覆う。そして、彼女はきっぱりと言った。 

知りません・・・・・そんな子・・・・

「そうですか。では、ちょっと息子さんにも、お話をうかがわせてもらって構いませんか?」

「ええ……でも」

 静香は頬に手を当てて、表情を曇らせる。

「これって、息子が何か疑われているという事なんでしょうか?」

 刑事は首を横に振って笑う。

「ご安心ください。単なる聞き込みです。この七沼地区に暮らす白谷西中学校の生徒さんすべてにお話を聞いて回ってますから」

「そうなんですか。よかった……」

 ほっと胸をなでおろす静香。

「それじゃ、息子を呼んできますね」

「お願いします」

 静香は刑事に背を向けて寿康の部屋へと向かった――




「あの子が行方不明になるだなんて……」

 静香は悲しそうにうつむいた。

 すると、茅野循が首をゆっくりと左右に振った。

いいえ・・・あの子は・・・・帰れませんでした・・・・・・・・

「あなた……何を……何を言ってるの……?」

 御堂静香がもっとも恐れていた事を茅野は口にする。


千村双葉さんは・・・・・・・まだあの家にいます・・・・・・・・・

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