【03】有名人の家


 野添芳美の話によると、彼女たちは二〇一二年の八月下旬に当時仲のよかった友だちと黒猫坂屋敷へと向かったらしい。

 野添の実家から徒歩十分ぐらいの場所にあるのだという。

『……当時はまだ幽霊が出るっていう噂もなくって。えっと……確か私が小四か小三のときぐらいまで、まだ人が住んでいたし』

「できたてほやほやの廃墟だったんだね」

 と、桜井が言うと野添はその言い方が面白かったらしく、くすりと微笑んだ。

『うん。そう。住人の顔も何となく知っていたし、特に事故とか事件があったという話も聞かなかった。幽霊屋敷っていうより留守中の他人の家って感じで』

 近所の子供たちにとっては退屈をまぎらわし、好奇心を満たすには持ってこいの場所であったのだという。

『けっこう家具とかが残されていて、何か泥棒になった気分っていうか、背徳感がすごくて……』

「うんうん。解る。解る」

 深々と頷く桜井。

 そこで、すかさず近藤が、いひひ……と笑い『いやに実感がこもっているねえ……』と突っ込む。

 そんな二人のやりとりを尻目に野添の話は続く。

『でも、何度か入っているうちに慣れてきて、大人からも勝手に入らないようにって言われていたし、特に理由もなくいくような場所じゃなくなってた』

『じゃあ、貴女はなぜ、そのとき黒猫坂屋敷に?』

 茅野が発した当然の疑問に野添は記憶を反芻はんすうしながら答える。

『……近所の子の飼い猫が家出して三日くらい帰ってこなくて』

「毛の色は?」 

 と、桜井が関係ない質問をした。

『サバトラ白』

 律儀に答える野添であった。

「ふむ……」

 桜井は鹿爪らしい顔で、明日の朝は鯖の塩焼きが食べたいな……と、思った。

『その猫を探すために黒猫坂屋敷へいったのですね?』

 茅野が話を本題に戻すと、野添は頷く。

『それで、友だちと二人で母屋を一通り回ったあとに、土蔵へと向かったんだけど』

 そして野添たちは、土蔵の中に入ると入り口の扉を閉めた。特に理由はなく、開けた扉は閉めるというだけの習慣的な行動だったのだという。

 すると、どういう訳か右奥の壁際がやたらと明るい事に気がつく。

『……もちろん、電気なんか通ってないし、土蔵の窓は木製の両開きの扉で閉ざされていて、入り口を閉めちゃうと中は真っ暗になるんだけど、なんかそこだけスポットライトで照らされたみたいに明るくて』

 野添と友人は立ち尽くしたまま、その光を呆気に取られて見続けた。

 その明かりの中には、ぼんやりと何かの影が浮かびあがっていたらしい。

 それが何なのか、先に気がついたのは友人の方だった。

『……その友だちが指を指して“人だ!”て叫んで……そうしたら、私にも、それが何なのかはっきりと解って……』

 右奥の壁を背に、霞んだ輪郭の人が天井に足を置いて逆さまに立っていたらしい。

『それで、どうしたんです?』

 茅野が合いの手を入れると、野添は恥ずかしそうに笑う。

『もちろん、逃げたよ。びっくりして……友だちと二人で悲鳴をあげて、すぐに蔵の入り口の扉を明けて外に出たの』

 それから翌日、もう一度、その友人と自分たちが見たものが何だったのか、黒猫坂屋敷へと足を運んだらしい。

『……何にもなかった。ぼんやりとした光も、逆さまの人影も……』

 以来、その話が友人を介して噂となり、黒猫坂屋敷は地元で有名な心霊スポットとなったらしい。

『……以上が、私の体験談よ』

 と、野添が話を結ぶと、茅野はすかさず質問する。

『その人影の背格好は?』

『あー、たぶん、女の子だと思う』

『女の子?』

『うん。そう。あんまりよく見なかったし、ぼんやりとしていたから覚えてないんだけど、シルエットが冬服っぽかった気がする。髪の毛は肩についていたかな?』

『肩についていた……つまり、髪は重力に逆らって、下方に垂れていた訳ではないのですね?』

『ええ』

 野添は首肯する。

 すると、画面の向こうの茅野が顎に指を当て考え込む。

 そのタイミングを見計らい、桜井は一番気になっていた事を質問した。

「それで、にゃんこの方はだいじょうぶだったの?」

『ああ、うん……その幽霊を見た日の夜に、ひょっこり家に帰ってきたらしいよ』

「なあんだ」

 ほっと、胸を撫で下ろす桜井だった。

『……どうだい? 満足いったかい?』

 話が一段落したのを見て近藤が、声をあげた。いひひひ……と、笑う。

 茅野は『ええ。とっても。興味深い話をどうもありがとうございます』と答える。

「んで、循、何か解った?」

『実際に現場を見てみない事には、まだ何とも……』

「じゃあ、久々にスポる?」

『そうね。学校が始まる前に、ワンスポットこなしておくのも悪くないわね』

「わーい!」と桜井が諸手もろてをあげて歓声をあげる。

 そこで、野添が『……ああ、言いそびれていたけど』と、声をあげた。

 桜井と茅野は画面に映る野添に注目する。

『その黒猫坂屋敷、どうも“トシヤンソン”の生家らしいよ』

「へ? トシヤンソンって、あのゆーちゅーばーの?」

 桜井が目を丸くして言うと野添が頷いた。

『うん、そう。私も最近、地元の友だちから聞いたんだけど……』

『そういえば、オンライン飲み会で、この話が出る切っ掛けも、その動画配信者の話題からだったねえ……』

 近藤が苦笑する。

「まさか……あのゆーちゅーばーの生まれた家がスポットだなんて……」

 驚きをあらわにする桜井。

『いや、本当かどうかは知らないけど、一応、そうだって話だよ』

 そう野添がつけ加えると、茅野は不敵な笑みを浮かべる。

『もしそうなら、かなり面白くなりそうね』


 ……このあと、野添から黒猫坂屋敷の場所を教えてもらい、他愛もない雑談をかわして、この日はお開きとなった。

 そして翌日の二〇二〇年五月十九日。

 さっそく二人は県庁所在地の西にある白谷市の七沼地区にある黒猫坂屋敷へと向かった。

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