【01】胡乱な客


 二〇二〇年五月二十日の昼さがり。県庁所在地にある県営団地の一室であった。

 リビングのソファーに腰をおろしていた御堂静香みどうしずかは、テレビのリモコンを手に取り、チャンネルを変えた。

 しかし、この時間はどこも同じようなワイドショーばかりで、静香は眉間にしわを寄せる。

 今年に入ってから、いいニュースがまったくない。

 当然ながら、猫も杓子しゃくしもコロナ……コロナ……である。

 思い起こしてみれば、ここ数年、世の中はずっとこんな調子だ。

 災害、不景気、公人の醜聞しゅうぶん、異常犯罪、国際問題に環境汚染……。

 本当に世の中はどうなってしまったのかと呆れ返る。

 そうなると、彼女が心配するのは息子の寿康の事である。

 彼が唐突に“やりたい事がある”といって上京したのは、去年の春先だった。

 何でも今は動画配信で得られる広告収入で生計を立てようとしているらしいが、そういった事に詳しくない静香にとっては、何が何やらさっぱりと理解できなかった。

 先月電話をかけたときは仕事が軌道に乗り始めたという話であったが、今はどうなのだろうか……。

 変わり者で友だちはおらず、中学生のときは虐めが原因で学校にはほとんど通っていなかった。

 そんな息子が立ち直り、ようやく成功を掴もうとしている。

 しかし、世界はまるで、それを邪魔するかのように暗澹あんたんとした未来へと進んでいるように思えた。

 息子は今がチャンスであると言っていたが、静香は不安でたまらない。

 そして、息子の頑張りを無下にしようとしているかのような世界に対して強いいきどおりを感じていた。

 ふと、息子の声が聞きたくなり、リビングの隅にある棚に置かれた固定電話へと目線を移す。

 しかし、以前のように仕事中で、うとましく思われたらどうしよう……息子を怒らせてしまったらどうしよう……と気が引けてしまった。

 再びテレビに目線を移すと、緊急事態宣言解除に沸き立つ都心の居酒屋の風景が映し出されていた。

 スーツ姿の男二人とOL風の女性が立ったまま、一本足の丸テーブルを囲み、ビールジョッキをかち合わせている。

 どうやら新橋付近の立ち呑み居酒屋らしい。

 次に女性が突きつけられたマイクに向かって答える。

 『……断然、オンライン呑みより、リアル呑みですねー!』

 その彼女の表情は解放感に溢れ、心の底から楽しそうであった。

 映像はスタジオに返り、司会者に振られたコメンテーターが『ようやく、失われた日常へと回帰するための貴重な一歩を踏み出せた感じですね』などと言う。

 しかし、静香の顔色は浮かない。


 ……どうせ、すぐに何かが・・・やってくる。


 そうして、一時ひとときの幸せなど、滅茶苦茶に踏みにじってゆくのだ。

 その何か・・が何なのかについては検討もつかない。

 しかし、静香には、そうした確信があった。

 そして、彼女はこのあと、その予感が当たっていた事を知る。

 おもむろに、がたん、と玄関で音がした。

 何らかの郵便物が郵便受けに届いた音だった。

 静香はソファーから腰を浮かせて立ちあがり、玄関へと向かった。

 扉の裏側の郵便受けの籠から、その茶封筒を取り出す。

 そこに記された送り主の名は……。


 “茅野循”






 二〇二〇年五月二十七日。

 その日の昼下がりであった。

 御堂静香は玄関の扉口を挟んで二人の少女と向き合っていた。

 一人は背が高く、長い黒髪と切れ長の目が特徴的であった。

 もう一方は、小柄で栗毛を後ろでまとめた可愛らしい丸顔だった。

 二人ともマスクをしていたが、その顔立ちが整っている事は一目でうかがい知れた。

「こんにちは。私、先日、御手紙を差しあげた茅野と申します。こちらは付き添いの……」

「桜井です」

 小柄な少女が続いて名乗る。

 一週間前に、この茅野循と名乗る少女から届いた手紙の内容は、丁寧な筆跡と言葉使いで“YouTuberとして活躍中の息子と、黒猫坂の家について是非とも話したい事がある”というものだった。

 更に手紙には、ビデオ会議アプリのURLとメッセージアプリのアドレスが記載されていた。 

 しかし、静香の持っている端末はガラケーのみである。

 ビデオ会議アプリもメッセージアプリも利用する事ができない。

 そこで、迷った末に送り名の住所へと、その旨をしたためた手紙を返した。

 すると、すぐに返事の手紙がくる。そこには茅野なる人物の元と思われる電話番号が記されており“電話で一度話したい”と書かれていた。

 もちろん無視するか、警察へと連絡する事も考えた。

 昨今ではコロナ禍に乗じた特殊詐欺が増えている。それは、世相にそれほど詳しくない静香も流石に知っていた。

 しかし“息子の事”と“黒猫坂の家について”という部分が引っ掛かった。

 自分は、この話を聞いておかなければならない。そんな予感を強く覚えた。

 因みにあの黒猫坂のたもとにあった家は、彼女の実家である。

 離婚が切っ掛けで再びあの家へと出戻りしたのは、寿康が物心つく前であった。

 それから、静香の父の善一が死んで間もなく、寿康をフリースクールに通わせるために二人でこの県営団地へと移り住んだ。

 母は静香が結婚する前に他界しており、他の親族もいなかった事から、あの家は捨て置かれて廃屋となっているはずだった。

 もう十年近く前の話になる。それ以来、一度も足を踏み入れた事はない。

 息子の事ならいざ知らず、あの家がいったい何だというのか……静香には、さっぱり・・・・思い出せ・・・・なかった・・・・

 けっきょく、丸一日ほど悩んだあと、手紙に記載されていた番号へと電話をかけてみた。

 すると、受話口から聞こえてきたのは、静香の想像から大きく外れた若い女性のものだった。

 落ち着いた声音と理知的な喋り方で、これならば特殊詐欺犯ではないだろうと、彼女は漠然とした確信を抱き、胸を撫でおろした。

 ……しかし、得てして詐欺師とは、詐欺師に思えないような人物である事がほとんどであるのだが、それはさておき……。

 茅野によれば、かなり込み入った話になるという事だったので仕方なく、彼女を自宅へと招待する事にした。


 その茅野循なる人物から真実という破滅がもたらされるとも知らずに――。

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