【11】平凡な怪物


 藤見市郊外にあるアパートの一室だった。

 赤坂友利はソファーに寝転びながら、鈴木要へとメッセージを打った。

 要件は他愛もない雑談で、しばらくしても既読はつかなかった。

 しかし、赤坂は悲しむどころか、してやったりという顔をしてソファーから起きあがる。

 鈴木からはコロナウィルスの感染対策を理由に、あまり頻繁ひんぱんに顔を合わせるのはやめようと提案されていた。

 しかし、これなら“メッセージを送り、返事がなかったから心配になった”という口実で会いにいける。

 赤坂はソファーから起きて入念に身支度を始める。少しでも彼好みの女になれるように……。

 そして、今日の夕御飯は何を作ろうか考える。

 そうだ、鶏のコンフィにしよう……赤坂はそう思い立って、覚えたてのレシピを頭の中で反芻はんすうする。

 そして彼女は想像する。

 彼はきっと、また美味しくなさそうに自分の作った料理を食べるのだろう。

 赤坂にはよく解っていた。

 ……確実に彼は自分の事を愛していない。下手をするならうとましく感じている節すらある。

 しかし、それでも彼女は鈴木要の隣にいられて幸せだった。




 赤坂友利は、鈴木美里――旧姓、諌早美里いさはやみさとと同じ大学のサークルで知り合った。

 二人は周囲からは親友だと思われており、実際、美里の方は赤坂の事を親友であると周囲に触れ回っていた。

 しかし赤坂からすると、それは大きな誤解だった。

 美里はいつも要領よく、老若男女周りに好かれ、何をやっても笑って許されるようなところがあった。

 そんな彼女は赤坂からすると、小狡こずるくて甘えているように感じられた。

 一番、赤坂の心を波打たせたのは美里の明るさだった。

 ちょっとやそっとでは動じない。常にポジティブで、自分は幸せだと言ってはばからない。何があっても笑顔を絶やさない……。

 そんな彼女の態度が空々しく、薄ら寒く感じ、赤坂はうんざりとした。

 美里と仲よくなった切っ掛けは、サークルの新歓コンパで酔い潰れた彼女を介抱したのが切っ掛けだった。以来、なつかれてしまい、その付き合いは途切れずに続く事となった。

 始めは自分を慕ってくれる美里に対しては悪い気はしなかった。

 しかし、付き合いが深くなるにつれて、そういった彼女の言動に疑問を覚え、徐々に苛立ちを覚えるようになっていった。

 そして、大学三年生のとき、当時の赤坂が密かに想いを抱いていた同じサークルの鈴木要が、美里に対して好意を持っていると人づてに聞いて知ったときだった。

 赤坂は自分が諌早美里の事が大嫌いであると、はっきりと自覚した。




 鈴木要と美里が付き合い初めてからは地獄だった。

 赤坂は自らの鈴木に対する想いを誰にも打ち明けてはおらず、当然ながら鈴木と美里もそれを知らない。

 だから二人に悪気はまったくない。

 しかし、ところ構わず幸せオーラを振り撒き、能天気に想い人であった鈴木要といちゃつく美里を見るにつけ、赤坂の精神はやすりを当てられたように磨耗まもうしていった。

 今更、鈴木への想いや美里への秘めたる鬱憤うっぷんを表に出す訳にはいかない。

 そんな事をしたら、諌早美里に男を取られた負け犬であると周囲に知られてしまう。

 自分が諌早美里より下の存在であると認めてしまう事になる。

 赤坂は己の自尊心のために、諌早美里の親友の振りをし続けた。

 因みに、あの年賀はがきに、美里が間抜けなピエロの格好をした写真を使ったのも、愛あるいじりなどではなくシンプルな嫌がらせであった。

 あのとき、いつもノリがいいはずの美里は本気で嫌がっていた。

 きっと鈴木に滑稽こっけいな仮装をした自分を見られたくなかったのだろう。

 それはさもしい赤坂の心をほんのわずかに満たしてはくれた。

 しかし、その年賀はがきのせいで、鈴木要に自らの薄汚い正体を知られてしまうという、皮肉な運命を招いてしまう事に彼女は気がついていなかった。




 赤坂友利が諌早美里に明確な殺意を抱いたのは、二〇一七年の正月だった。

 場所は県庁所在地の雑居ビルにある大衆居酒屋。その宴会用の座敷であった。

 旧友たちとの飲み会の最中、どういう流れであったかは覚えていないが、お互いの名字についての話題となった。

 自分の名字の由来や発祥、そして、その名字が珍しいか否か……。

 そこでも全国的には珍しい“諌早”という姓を持つ美里が、周囲にもてはやされる。

 そんな光景を苦々しい思いで静観しながら、ハイボールに口をつけていると、すっかり酔いが回った様子の美里が「はい、はーい」と、ビールジョッキをテーブルに置いて右手をあげた。

 どうせくだらない事を言い出すのだろうと思ったのは赤坂だけではなかっただろう。

 しかし、その場で美里が高らかに宣言したのは……。


「ワタシ、あともう少しで、名字が珍しくなくなりますっ!」


 その回りくどい言葉の意味を、その場にいた誰もが瞬時に悟った。

 彼女が鈴木要と結婚するのだと……。

 当の鈴木は「まだ、言うなよ」などと唇を尖らせていたが、その言葉で美里が冗談を言っている訳ではないのだと知り、赤坂の内心は千々ちぢに乱れた。

 このとき、旧友たちの祝福を受けながら幸せそうな顔をする美里を見て、赤坂は明確な殺意を覚えた。

 しかし、言うに及ばず、殺人ほどリスクの高い犯罪行為はない。

 美里を殺したせいで警察に捕まり、人生を棒に振りたくはなかった。

 それだけが、美里を殺そうとしない唯一の理由であった。

 以降の赤坂は、幸せな未来へと寄り添いながら歩んでゆく鈴木要と諌早美里を近くで目の当たりにしながら、心の中に殺意を募らせていった。

 それはまるで、誰も立ち寄らない山奥深くで積もりゆく雪のように……。

 しかし、そのどす黒い殺意は年が明けても、春が来ても、夏が来ても、溶ける事はなかった。

 そうして、赤坂は二〇一八年の四月末、ネットサーフィンで偶然にも大津神社の存在を知る。

 呪いならば、罪にはとわれない。

 これで赤坂が美里を殺さない動機はなくなった。

 それからすぐに赤坂は、七晩の丑の刻参りを終えて満願を迎える。

 その頃から、徐々に鈴木美里は幸せの頂点から転落を始めたのだった。




「よし」と化粧が終わり、姿見の前から腰を浮かせようとする赤坂。

 すると、その瞬間だった。

 思わず彼女は凍りつき、長細い鏡面を二度見した。

 なぜなら、自らの右肩に青白い何者かの手が乗っていたように見えたからだ。

 その手は右肩の後方へ、かさかさと蜘蛛のように動いて消えた。

 赤坂は背後を振り向く。

 しかし、誰もいない。そこには見慣れた自分自身の部屋があるだけだった。

「気のせい……よね……?」

 赤坂は気を取り直し、バッグと車のキーを持った。

 そそくさと逃げるように自宅をあとにすると、食材を買いに近くのショッピングセンターへと向かった。

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