【08】約束
二〇二〇年四月二十五日――。
『……と、言う訳で、記念公園の幽霊の正体……それは、私よ!』
「えぇ……」
画面に映る茅野のどや顔に苦笑する西木。
「じゃあ、最初の蛯沢さんが見た幽霊も……」
『それも、私』
茅野は親指で自らを指し示した。
「な、何で、幽霊の振りなんて……」
西木の問いに、茅野は遠い眼差しで過去を振り返る。
『それには、深い事情があったのよ……』
夜の公園のベンチで並んで座る小学生女子二人。
しかも、一人は血塗れの幽霊の格好をしている。
「事の発端は、先月の定期メンテの日だったわ。その日はいつもなら昼から夕方頃に終わるはずのメンテが夜まで長引いていたの」
茅野は語る。なぜ、己がこんな格好をする事になったのかを……。
しかし、桜井が話の出鼻で首を傾げた。
「ていきメンテ……?」
茅野は何と説明すべきか迷い、そして答える。
「戦士の休息の時間って事よ。でも、今は、そんな事はどうでもいいわ」
「ふうん……」
「兎も角、家でメンテが明けるのを待つのにも飽きた私は、久々に外へ出る事にした。何となくコンビニへと向かったの。日頃の運動不足を解消するために徒歩でね。時刻は十九時二十分ちょっと前だったかしら?」
すると、そのコンビニではちょうど激辛タイカレーフェアが始まったところだった。
激辛系を好む茅野は当然ながら興味を
家に帰ろうとしたところで、ふと瀬名の顔が頭に浮かぶ。
この時刻に、こんなものを買って帰ったら、また小言を言われるかもしれない。
『私の作る夕御飯が気にくわないのかい!』などと……。
瀬名の作る食事には文句はない。悔しいが美味い。しかし、激辛好きの彼女にとって辛い物は別腹なのだ。
茅野は思い悩んだ末に、外でゲーンペッを平らげてから帰ろうと思い立った。
この頃は、藤見市のような田舎ではコンビニのイートインなどは一般的ではなかった。
そのために茅野は、少し歩いて記念公園へと向かう事にした。
そして例の植え込みの近くのベンチに座ってゲーンペッを食べようとした、そのときだった。
遊歩道の向こうから懐中電灯の明かりと共に「へっ、へっ、へっ……」という犬の吐息が近づいてくるではないか。
「……そこで、私はゲーンペッへと突き刺そうとしたスプーンを止めた。周囲は既に真っ暗。そんな夜の公園でゲーンペッを独りで食べる小学五年生。明らかに怪しい……」
「あ、歳、同じだったんだね」
桜井が話の本題と関係ない部分に反応する。
一方で茅野の語りは更に熱を帯びる。
「取り合えず、恥ずかしくなってきた私は、隠れる事にした。ゲーンペッを持ってベンチから立ちあがり……」
「今更で申し訳ないんだけど、ゲーンペッって何?」
桜井がおずおずと質問を挟んだ。茅野は話の腰を折られて唇を尖らせる。
「本当に今更ね」
「ごめん」
「
「ああ……」
桜井は深々と頷く。だいたい何が起こったのか、この時点で察する事ができたからだ。
茅野の語りは、なおも続く。
「……それで、私は植え込みの柵を跨ごうとしたところで、
「やっぱり」
「起きあがってみれば、胸には真っ赤なゲーンペッがべったりと……。それでも、どうにか起きあがって、
「でも、突然、犬に吠えられて、蛯沢さんにバレてしまったと……」
茅野は頷く。
「そうね。あのときは悪い事をしたと思っているわ。彼を驚かせてしまった」
それから一月近く経って、久々に学校へ登校した茅野は、例の定期メンテの夜の事が怪談として広まっていたという
「それで何となく、あの日の朝、ここにきてみたら、貴女がいたという訳よ」
「なるほど。君は幽霊がいないと知っていた。だから、あんな勝負を持ちかけてきたんだね?」
桜井の問いかけに神妙な表情で頷く茅野。
「そうよ。貴女の事を驚かせようと思ったの。ごめんなさい……」
「ん、別にいいけど」
桜井はさりげなく、あっさりとそう言った。
そこで茅野が申し訳なさそうにうつむいたまま話を切り出す。
「……それで、勝った方が負けた方の言う事を何でも聞くっていう約束だけれど……」
「うん」
「何でも言って! 私にできる事なら何だってするわ!」
「いやいや」
桜井は苦笑いをして首を横に振る。
「あたしも、幽霊を倒した訳じゃないし無効試合でいいよ」
しかし、茅野は譲らない。
「いいえ。それじゃあ、私の気がすまない。こうも見事に思惑を外されたのは初めてよ。私の負けで構わないわ」
「でも」
「いいの。何でも言って! これは、私を敗北に追い込んだ貴女への敬意よ。余計な気を使う事はないわ」
桜井は困り顔で、しばらく例の銀杏を見つめながら思案する。
そして、茅野の方を向いて言った。
「じゃあさ、また遊んでよ」
「はい?」
目が点になる茅野。
桜井は心安い笑顔を浮かべる。
「今日みたいに全力で。君といると、退屈しなさそうだから」
「それでいいの?」
「うん」と力強く頷く桜井。
その瞬間、茅野の表情が暖かい紅茶へと落とした角砂糖のように溶け出す。
「ええ。解ったわ。絶対に貴女を退屈させない」
自分が楽しい事や好きな事は自分以外のすべての他人にとって、つまらないもので、それが普通だと思い込んでいた。
しかし、それは勘違いで、この桜井梨沙は自分と同じ景色を見る事ができるかもしれない。茅野循はそんな思いを抱いた。
一方の桜井も、再びやる気を出して柔道に取り組むようになった。
茅野が試合を観たいと言い出したので、彼女に恥ずかしい戦いを見せたくなかったからだ。
「それじゃ、よろしく。茅野さん」
桜井がベンチから腰を浮かせて右手を差し出す。
「循でいいわ」
茅野も立ちあがり、しっかりとその手を握った。
「じゃあ、あたしも梨沙で」
ここに、後の藤見女子高校オカルト研究会の最強コンビが誕生したのであった。
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