【File24】夢乃橋記念公園
【00】ファーストコンタクト
二〇一三年八月末の水曜日。
そこは藤見市の駅裏の郊外にある大きな公園だった。
『
地元民からは単に記念公園と呼ばれ、休日ともなれば大勢の家族連れやカップル、子供たちが
園内を取り囲む遊歩道を一周して、再び家に戻る。それがお定まりのコースであった。そして、その最中に何本か煙草をふかすのが彼のルーティンである。
蛯沢は重度のニコチン中毒であったが、妻から家での喫煙を禁じられていた。
定年を迎えた現在となっては仕事をしていた頃のように、職場の喫煙所を利用する訳にもいかず、外へ出かける事があまりなくなっていた。
そんな彼にとって、この散歩の時間は貴重なニコチン摂取の機会だった。
この日も公園内の遊歩道を歩きながら、ラッキーストライクをくわえ、鼻や口から煙をもうもうと吐き出す。
やがて、煙草が短くなると、彼はポーチから取り出した携帯灰皿へと吸殻を入れる。
その直後だった。少しだけ吹いていた夜風の向きが変わった。
すると、急にジャックがぐいぐいと右側の植え込みに向けてリードを引っ張り、激しく吠え始めたではないか。
蛯沢は面食らう。
「おい。どうした!? ジャック。おい……」
リードを引き戻してやめさせようとする。
しかし、ジャックは静まろうとしない。
「おい。ジャック……困ったやつだ」
呆れた様子で、そう呟いて何気なく、ジャックの顔が向いている方向へ目線を向けた。
すると、それは
どうやら、ジャックはそれに向けて吠えているようだった。
「は? 何だ……?」
蛯沢は目を凝らす。左手に持っていた懐中電灯を、その白い何かに向けた。
やがて不鮮明だった像が結ばれ、その姿がはっきりとしてくる。
蛯沢の顔が凍りつく。
それは、白い服の胸元を真っ赤に染めた少女だった。
深夜の公園に絶叫が轟いた。
すると、玄関の扉が慌ただしく開く音がした。次にドタドタと騒々しい足音が聞こえ、彼女の夫である佑都が姿を現す。
血相を変え
よく見ると靴も脱いでいない。
朋美は眉をひそめる。
「あんた、どうしたの?」
佑都は唇を小刻みに震わせながら、彼女の質問に答えた。
「ゆっ、幽霊……」
「ハァ?」
「だから、幽霊を見たんだよ!」
怒鳴り声をあげる佑都。少しムッとしつつも朋美は聞き返す。
「幽霊? どこで?」
「きっ、記念公園。皐月と紫陽花のあるあたりの銀杏の樹のところに……白い服を着た……ほら、幽霊がよく着てるやつを着た女の子の幽霊……」
「ああ……。見間違えたんじゃないの?」
「いや、間違いない。あれは絶対に幽霊だった……」
「それはそうと、あんた靴を脱いできなさいよ」
……後日、朋美は数人のお茶飲み友達に、この事を話した。
すると噂は拡散し、九月の初週頃には既に、記念公園の幽霊の話は、藤見市で有名なものとなっていた。
当時十歳の小学五年生だった茅野循は、その日の早朝、家を抜け出すと補助輪つきの自転車に乗り、夢乃橋記念公園へと向かった。
遊歩道に沿って園内を回る。
辺りはまだ薄暗く、空気は冷えきって澄み渡っていた。
いつもなら、この時刻になればジョギングや犬の散歩をする人たちの姿が見られるはずであったが、
平日という理由もあるであろうが、恐らくは
そして、彼女の自転車が遊歩道の奥まった位置に差しかかったときだった。数メートル先に、誰かが立っていた。
それは小柄な少女だった。
明るい色合いの半袖のパーカーを着ており、首からネックストラップに吊るしたキッズ携帯をかけていた。
ハーフパンツから伸びた足は一見すると細身であったが、よく観察するとしっかりとした筋肉に覆われている。腕も同様であった。
この事から彼女が何らかのスポーツにかなり高いレベルで取り組んでいる事が
栗毛のボブカットを頭の後ろで無造作にまとめ、丸顔だった。
その少女は遥か彼岸を見据えるかのような眼差しで、植え込みの皐月と紫陽花の奥をじっと睨みつけている。
茅野は彼女の視線がどこにあるのかを悟り、その端整な口元を歪めて、年齢に相応しくない笑みを浮かべた。
彼女の数メートル手前でブレーキをかける。
すると、ポニーテールの少女が、ようやく茅野の存在に気がついたらしく、視線を銀杏から引きはがした。
ぼんやりとした眼差しを茅野に向けながら、
その唇が動くよりも早く、茅野は質問を発した。
「貴女も例の少女の幽霊の噂を聞いてやってきたのね?」
これが、桜井梨沙と茅野循のファーストコンタクトであった。
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