【16】わからせ
稲毛が二〇一九年二月九日の一件を語り終える。
すると茅野は得心した様子で頷いた。
「成る程。その一件があったから私たちと初対面のとき、貴方は杉橋さんについて注意を促そうとしてくれた訳ですね?」
「何にせよ、トラブルはごめんだからね。ここの住人として……」
これは稲毛の純然たる本心……ではなく、美少女二人に対して借しを作っておきたかっただけであった。
茅野は次の質問に移る。
「……それで、杉橋さんは、その二月九日以降、どこへいったのか解りますか?」
「……確か、もらったお土産が……
「柿……!? 美味しそう」
桜井がポテトチップスをもしゃもしゃと食らいながら反応した。どうやら、甘いものが欲しくなってきたらしい。
茅野が更に質問を重ねた。
「それで、杉橋さんはいつごろ帰ってきたか解りますか?」
「確か帰ってきたのは、ちょうど矢島の彼女と入れ違いだったと思うけど」
「入れ違い?」
「ああ。矢島と彼女、喧嘩したみたいでね。けっきょく彼女の方がこのグリーンハウスにこなくなった。ぱったりと」
「喧嘩の原因は解ります?」
その質問がくるのを解っていたのだろう。稲毛は得意気な顔で語り始める。
「そりゃ、矢島はプラプラ遊んでばかりの学生で、彼女は社会人だもの。同い年でも価値観がぜんぜん違う。そういうカップルは大抵上手くいかないもんさ」
と、女子高生にドヤ顔で男女の機微を語る、彼女いない歴二十五年であった。
「大方、彼女の方が、矢島の幼稚さに愛想をつかしたんだろうね」
「それは、何月頃の話か覚えていますか?」
「え……? ああ。四月に入る前だよ。杉橋が帰ってきたのは……在校生向けのガイダンスがあった日だから……三月の最終日。その前日が最後。それ以来、矢島の彼女はこのグリーンハウスを訪れていない」
「成る程……」
茅野は思案顔を浮かべて黙り込む。
会話が途切れ、桜井のポテトチップスを頬張るパリパリという音だけが鳴り響く。
そこで、稲毛が調子に乗り始めた。
「……ねえ。矢島の話はもういいからさ、もう一回、ゲームをしようよ。そっ、それでさ……」
顔を真っ赤にしながら、ニタニタと照れ笑いを浮かべる稲毛。
桜井と茅野は
「負けた方が勝った方の言う事を何でも聞くっていうのは……」
二人の表情を上目使いで窺う稲毛。右のこめかみから汗が滴り落ちた。
「どうする?」
と、桜井が茅野の顔を見る。
すると彼女は酷くつまらなそうに「
「まあ、向こうから挑んできた勝負だしねえ」
「は……?」
このときの稲毛には、二人が何の話をしているのか解らなかった。
そして、桜井が「いいよ。やろう」と返事をして、ティシュで指先をぬぐってからコントローラーを握る。
稲毛は鼻息荒く意気込んで余裕の笑みを見せた。
「ああ、ハンデつけてもいいよ?」
「本当!?」
桜井が喜色ばんだ声をあげ提案する。
「……じゃあ、おにーさんが三本先取で、あたしが一本でも取ったら勝ちっていうのは?」
「いいけど……そんなハンデで大丈夫?」
「おーけー」
そう言って桜井が
稲毛は口元が緩むのを抑えられなかった。
さっき対戦した感触では、桜井の腕前はゲーム自体のプレイ経験はあれど、完全にド素人のそれであった。同じ条件ならば、何回やっても自分には勝てないだろう。稲毛はそう分析していた。
……これは、ほっぺにチューぐらいなら許されるかもしれない。
稲毛の
そうした
コースの選択が終わり、カウントダウンが始まる。
そして、レースが始まった。
すると、桜井の車体がスタートダッシュを制し前に出る。初の事だった。
しかし、稲毛は落ち着いていた。
どうせそのうちミスをする。そのとき、追い抜けばいい。
しかし、蓋を開けてみれば、桜井のプレイングは完璧だった。
一部の隙もないブロックにコーナリング……まるで、別人と対戦しているかのようだった。
稲毛は
「貴様、このゲームをやり込んでいるなッ!」
桜井は画面を見たまま答える。
「
実は桜井と茅野の二人は、テレビゲームでもけっこう遊んだりする。桜井が負け続けたのは、稲毛をいい気分にして話を引き出し易くする為に、接待プレイをしていただけだった。
今でこそ機会は減ったが中学生の頃は、茅野の家で日がな一日、対戦プレイに明け暮れたりした事もあった。
このレースゲーム自体は未プレイであったが、同じシリーズは何作がやり込んでおり慣れきっていた。
……そんな訳で勝負はあっさりと稲毛の敗北で幕を閉じた。
桜井が床にコントローラーを置いて立ちあがる。茅野も腰を浮かせた。
「それでは、そろそろ、部屋に帰るわ。お休みなさい」
「じゃあね、おじさん」
「えっ、もしかして、ずっと舐めプで本気出してなかったのか……?」
しかし、答えはない。
二人は玄関へ向けて歩いてゆく。
マウントを取ろうとして失敗した事への羞恥と、侮られていたという怒りで稲毛の顔が歪む。彼は対戦ゲームで負けるとコントローラーを投げたり、台パンする駄目ゲーマーであった。
「ちょ、待て! 貴様……」
彼は勢いよく立ちあがると二人のあとを追いかけて右手を伸ばす。
後ろから桜井の右腕を掴んだ。
その瞬間だった。
桜井が右足を軸に翻り、一歩踏み込んで左手で稲毛の右肘を押した。
「えっ。嘘、あれ……?」
当然そのままでは肘が逆方向に折れてしまうので、稲毛は桜井の右腕から手を放さざるを得ない。
桜井が無邪気に微笑む。
「本気出した方がいい?」
稲毛は青ざめた顔で、首を横にぶんぶんと振った。
今の動きは素人のそれではない。
瞬時に稲毛は解らされてしまった。彼女は自分が手を出していい人間ではないのだと……。
桜井が満足げに頷いて再び彼に背を向ける。
「それじゃ、お疲れ様」
茅野は悪魔のように微笑んで、ひらひらと右手を振る。
二人が一〇一号室をあとにする。ドアの閉まり、静寂が訪れる。
稲毛はしばらく玄関のドアを見つめたまま立ち尽くし……。
「あいつら、いったい何なんだ……」
そもそも、何をしにきたのだ……。
彼の心に残ったのは、仄かな恐怖のみだった。
「何か、解った?」
一〇一号室から帰る道すがら、桜井が隣を歩く茅野に雑な質問を投げかけた。
すると茅野は楽しげに答える。
「まだ何とも言えないけど、見えてきたわね」
「やっぱり、杉橋って人なのかな? 犯人は。矢島さんと喧嘩したあと、どこかであの壺を用意していたけど、春休みいっぱい時間が掛かってしまった。だから、春休みじゃなくて新学期始まって早々の四月一日に壺を埋めた」
いつものように話を聞いていなさそうで、しっかり聞いてる桜井であった。
そこで、ポツリと茅野が呟くように言う。
「あのお土産……」
「ああ、杉橋さんがキモいおっさんに渡した柿の煎餅こと?」
桜井の問いに、茅野は右手の人差し指を立てて振り乱した。
「梨沙さん、違うわ。
「貝の?」
「そうよ。牡蠣を丸々一匹プレスした煎餅があるの。以前に雑誌か何かで見た事があるわ」
「それも、また、おいしそうだねえ……」
「その煎餅は
「岡山……じゃあ」
桜井がはっとする。
九尾の話では、あの壺の蟲術が言い伝えられている土地が岡山近隣であった。
「やっぱり、杉橋って人がもう犯人じゃん」
きっぱりと言い切る桜井。
しかし、茅野は首を横に振る。
「実は杉橋亮悟の他にも、もう一人有力な容疑者がいるのよね」
「え? 誰なの?」
二人は二〇一号室の前に辿り着く。
そして、茅野が扉を開けながら悪戯っぽく微笑んだ。
「それはそうと、梨沙さん」
「何?」
「来週には学年末テストがあるわ。そろそろ勉強をしないと」
「うへえ」
桜井は苦虫を噛み潰したような顔で舌を出す。
二人はそのまま部屋の中に入り、支度を整えて眠りに就いた。
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