【03】伝説の真実
「この絵は天保元年あたりに描かれたものだよ」
九段はそう前置きして語り始める。
「その頃、柿倉と呼ばれていたのは、田園地帯を挟んで、ここよりもっと東の山沿いの地域だったらしい。この辺には大きな湿地が広がっていたのだとか」
その湿地は大規模な干拓により埋め立てられ、広大な田園となった。それが天保元年の事なのだという。
「その田んぼを耕す為によそから移り住んできた人々に、柿倉で昔あった出来事を伝える目的で描かれたのが、この絵らしい」
そう言って、九段は座卓の上に広げたみすぼらしい男の絵に視線を落とす。
「けっきょく、これって誰なの?」
桜井が首を傾げる。
九段は目を弓なりに細めた。桜井と茅野が真剣に自分の話を聞いてくれるのが嬉しいようだ。
「人喰い忌田の昔話は、田起こしで見つかった地蔵を粗末に扱ったが為に、田んぼが底無し沼になってしまった……という筋書きだったね?」
「うん」と、事前に茅野から聞いていた昔話を思い出しながら相づちを打つ桜井。
真剣な表情で絵に見いっていた茅野が視線をあげて九段に問う。
「元は違ったという事ですか?」
「そう……この本によると」
と、九段は一冊の古書を座卓の上にあげて
「地蔵を粗末に扱ったからではなく、この絵に描かれた男を
「つまり、本来は“殺された男の怨念”によって人喰い忌田は誕生したという事ですか? それが後の世に言い伝えられる際に“地蔵の祟り”に改変された」
茅野の言葉に九段は頷く。
本来の“人喰い忌田”はこんな話らしい。
ある百姓夫婦が、行き倒れる寸前であった旅の物乞いに食べ物を分け与えて助けた。
ところが物乞いは恩を返すどころか、百姓夫婦の田んぼに居座り田植えを邪魔し始めた。
物乞いは
数人がかりで退かしても、また隙を見て田んぼにやってきては邪魔をする。
とうとう
すると次の日、その田んぼは一瞬にして底無し沼に変わったのだという。
「……以降、柿倉では、その物乞いの幽霊が現れるようになったらしい。村人は、その霊を鎮める為に忌田のほとりに地蔵堂を建てた。それでも物乞いの霊は鎮まらず、たびたび村に現れ続けたんだそうな」
「地蔵を祀っても駄目だった……そこは昔話と同じなんだね」
桜井の言葉に九段は頷く。
「そう。そして物乞いの霊が現れると凶事が起こると云われているんだ」
「凶事というと?」
その茅野の問いに九段は申し訳なさそうに笑う。
「そこまでは、この本には書かれておらんな。ただ……」
「ただ?」
桜井がきょとんとした表情で首をかしげた。すると九段は神妙な表情になる。
「これは、その……怪談話とかオカルトの類の話になってしまうのだが」
「おっ!」
「ええ、構いません!」
「お、おう……」
……と、二人の食いつきのよさに、気圧される九段であったが話を続ける。
「……その物乞いの幽霊を見たという話が未だにあるのだよ。この柿倉では……。あれは、何年前だったか」
九段は両腕を組み合わせて、しばし思案する。
「まあ、兎も角、何年か前に地滑りがあって、この町で何人も亡くなった事があったんだが……」
「ああ、確か、小学校の頃にニュースでやってた気がする」
「私も覚えてるわ」
その事故は二人の記憶にもあったらしい。
「その直前にも地滑りのあった場所の周辺で、物乞いの霊を見たっていう話が……」
そこで、九段は申し訳なさそうに笑いながら頭を掻いた。
「ああ……すまないね。話が少し脱線してしまったね。でも、それだけ、この昔話は今も柿倉の人々の心に大きな爪痕を残しているんだよ」
「……大変、興味深いです」
「興味深い……」
茅野と桜井は真面目な顔つきで、温くなったお茶を
それは桜井と茅野が九段宅に着く前の事――。
二〇二〇年二月九日の朝だった。
関越自動車道の下りパーキングの閑散とした駐車場に、スモーク硝子のワンボックスカーが停車した。
運転席の扉が開き、ちらちらと雪の舞う寒空の下に姿を見せたのは、源邦一だった。
小走りでパーキングエリアの方へ向かうと、軒下に並ぶ自販機へと百円玉を三枚投下し、ミネラルウォーターのペットボトルと暖かい缶珈琲を買った。
すると源の着ていたジャンパーの右ポケットの中でスマホが震える。
ペットボトルと缶珈琲を左腕で抱え、スマホを取り出す。画面に表示された名前は“田仲麗佳”となっていた。
源は電話に出る事にした。
「はい」
『先生、今どの辺?』
源は
『……今度は遅刻なんかしないでくださいよ? 十年前みたいに』
「しないさ」
同窓会の案内葉書に記された文面を思い浮かべる。
開催は二月九日十四時から。今年も例年通り変わらない。
「やっと、三年A組の仲間が全員揃うんだからな」
『先生……ありがとう』
「何がだ?」
『滝川さんを説得してくれて』
源は鼻を鳴らして微笑む。
「当たり前だろ。お前たちは俺の教え子だったんだから」
『うん』
「それじゃ、切るぞ? そろそろ出ないと、また遅刻しちまう」
『あははは……先生、私たちが遅刻してきたときは滅茶苦茶厳しかったですよね? 時間にルーズな奴は社会に出ても通用しない! ……とか言って』
「ああ、そうだった。そうだったな」
源は懐かしそうに微笑む。
「それじゃあ、また後でな?」
『うん。そせば、またね』
その懐かしい方言の混ざった言葉を最後に、源は電話を切る。
軒下から飛び出し、小走りで自らの車へと戻った。
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