【08】説教


 ビデオ会議アプリ越しに畠野は語る。 

『……それから、その少女たちになぜか説教をされました』

「説教て……」

 苦笑する九尾。

 そして畠野は照れ臭そうに頭をかいた。

『命の大切さを説かれ、自殺の事後処理がどれだけ大変かという話をされました。僕は何だかよく解らなかったのですが、彼女たちの剣幕が凄くて……その話を黙って聞いていました』

「それで、そのあと、どうしたのですか?」

『それで、凄い気分が悪くて、頭がくらくらして……』




「おじさん真っ青だよ? 本当に大丈夫なの?」

 小柄な少女が畠野の顔を心配そうにのぞき込む。

 そして背の高い黒髪の少女が、有無もいわさぬ口調で言う。

「貴方はもう帰りなさい。事情は聞かないし、その義理もないから深入りはしないでおくけれど、もう一度、一晩ぐっすりと寝て、冷静に考えてみて? 本当に大切な人はいないのか。頼れる人はいないのか。貴方が死んで悲しむ人はいないのか……」

「は、はあ……」

 ここで畠野はピンときた。少女たちは、自分の事を自殺者だと勘違いしているのではないのだろうか。

 そして、見ず知らずの自分に対して、ここまで親身になってくれている事に感動し、この少女たちは悪い人間ではないのだと結論づけた。

 ……もちろん、大いなる誤解である。

 ともあれ何と言うべきかまごついていると、黒髪の少女がリュックからメモ用紙とペンを取り出し、何やら走り書きをし始める。

「もしも、家に帰って、おかしなモノを見たり、不思議な事が起こったら……」

「えっ……え? おかしなモノ? 不思議な事?」

 畠野は意味が解らず首を傾げる。

 しかし少女は面倒臭そうな表情でメモを破り、それを畠野の方へ差し出す。

「この番号に電話しなさい。お金はかかるけど、きっと貴方の力になってくれると思うわ」

「えっ……はぁ……」

 畠野がそのメモを受け取ると、黒髪の少女はデジタル一眼カメラを取り出して撮影の準備をし始めた。

 それが終わると二人の少女はきびすを返し、B棟の入り口へと歩き始める。

 畠野は声を張りあげ、少女たちを呼び止める。

「あのッ……ねえ、ちょっと!」

 少女たちが足を止めて振り向く。

「その……君たちは、これから何を……」

 その曖昧な問いに小柄な少女が端的に答える。

「調査だよ」

 調査……ますます意味が解らない。

 よりいっそう困惑する畠野を残して、そのまま入り口の向こうへと消えた。

 と、そこで畠野は、自らがこの場にきた目的を思い出す。

「あっ、そうだ」

 上着のポケットに手を入れ、あのUSBを探すが、どこにもない。

 焦って辺りを見渡すと、B222の真下の花壇に落ちているUSBが目に止まる。

 鎌田は必ずベランダからUSBを落とせと言っていたが、そうした記憶が畠野にはなかった。

 しばらく悩むも、再び少女たちのあとを追って団地に入る気にはならなかったので、畠野は引き返す事にした。

 無事に車を停めた駐車場に戻ると、少し休んだあとで車を走らせる。けっきょく何事もなく都内の自宅に辿り着いた。

 それから、人心地ひとごこちついたあとで鎌田へと電話をかける。

 電話はしばらくすると留守電に切り替わったので、畠野は「完了しました。お金の方、よろしくお願いします」と短く吹き込んで就寝した。




「あの二人は元気だな……」

 九尾は遠い目をして呟く。

『あの二人?』

 画面の向こうできょとんとする畠野に向かって九尾は苦笑する。

「いえいえ……それから、どうなったのです?」

『……それから後日、マナちゃんと何度か連絡を取ろうとしたのですが……』

 彼女の反応は一切なかったのだという。

 心配した畠野は、翌日の仕事終わりに彼女が住んでいる三鷹のマンションへと向かった。

 しかし驚くべき事に、そのマンションには桃田愛美などという女性は、最初から住んでいなかったのだという。

『……ここで、ふと思い返してみれば、いつも送り迎えはマンションの前でしたし、僕が彼女の部屋に行きたいと言っても、何だかんだ理由をつけて断られていた事に気がつきました』

「はあ……」と、何とも言えない表情をする九尾。

 改めて畠野が桃田に対して、三年間も何の疑念も抱かなかった事に驚愕きょうがくする。

 よほど桃田愛美を好きだったのか、それとも頑なに現実を直視する事を拒否していたのか。

 彼に問題があったというよりも、桃田という女性が人の心理を操る術に長けていたのかもしれない。

 犯罪者の中には呼吸をするように嘘を吐き、自らを魅力的で価値のある存在だと装う事が得意な人種がいるのだという。

 桃田もそういったタイプの人間であったのかもしれない。九尾はそんな風に結論づけた。

 いずれにせよ、畠野は長い悪夢より、ようやく目を覚ます。

『そこで、僕の気持ちはふと切れてしまいました。やっと、気がついたんです。騙されていたんだろうなって……馬鹿ですよね、本当に』

 畠野は自嘲気味じちょうぎみに笑う。

『あと、お金を借りる必要がなくなったので鎌田さんにその旨を伝えようと電話しました』

 しかし、鎌田へは繋がらず、またもや留守番電話であった。

 数日経っても折り返しの連絡がない。

『それから、少しおかしいなって、思って、実家の両親に鎌田さんの事をそれとなくたずねたんですけど……』

 確かに鎌田絵美という女性は実在した。

 父方の従叔母いとこおばの娘なのだという。

 畠野は彼女の自宅の電話番号を両親から聞き出し、連絡を取ってみる事にした。

『電話で彼女の声を聞いた瞬間に解りました。彼女は僕が会った鎌田さんとは、まったくの別人でした』

 彼女によれば、確かに小さい頃は両親に連れられて盆と正月に一回ずつ畠野本家を訪れた事はあるらしいのだが、それっきりらしい。

 最近、畠野の両親と顔を会わせた事はないし、大人になった畠野本人とも会った事はないのだという。

 因みに畠野の口座に入金されるはずだった二百万は、現在にいたるまで振り込まれていない。

『……そんな事があって、少し怖くなってきたので、一連の出来事を忘れるために、仕事に打ち込んで気をまぎらわせる事にしました』

 そうして時は流れて三月に入り、いよいよコロナ禍が深刻なものとなり、日常に大きな変化がもたらされた。

 その頃にはもう、この一件をそれほど思い出さなくなっていたらしい。

『それで、つい先日、衣服を整理していたら、ウインドブレイカーのポケットの中からしわくちゃになったメモ書きを発見したのです』

「それが、この店の電話番号だったと」

 九尾の言葉に畠野は頷く。

『ふと、あの少女の言葉を思い出しまして。いったいあの一連の出来事は何だったのか、急に気になり始めて、それで先生のところに連絡した次第なのです』

 画面の向こうの畠野はそう言って、長い話を締めくくった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る