【01】テレワーク


 二〇二〇年五月六日十五時。


 コロナ禍により暗雲立ち込める世相を象徴するかのように、その日の東京都心の空模様は暗澹あんたんとしていた。

 本来ならばゴールデンウィークの最終日であるはずだったが、街に人影は少なく、浮かれた雰囲気や慌ただしさはいっさいない。

 世界が終わりに近づいているという、無根拠で密やかだった絶望が、現実のものとしてにじりよる気配を誰もが感じていた。

 そんな最中、占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』の店舗二階にある居住スペースにて。

 家主の趣味で集められた、骨董家具の並ぶリビング中央にある応接。

 古めかしい猫脚ソファーに腰をおろした九尾天全の格好は、いつものだらしない半裸ではなく、余所行きのものだった。

 メイクも髪型も整えており、表情も仕事用である。

 九尾は胡桃ウォルナットの座卓に置かれたウェブカメラの位置を調整し、ヘッドセットを被った。

 そしてノートパソコンを操作して、ビデオ会議アプリに繋ぐ。

 すると、じきにディスプレイに一人の男の胸像が映し出された。

『……あ、こんにちは。どうも』

 陰気な声音がヘッドセット越しに聞こえた。

 中肉中背で冴えない顔をしている。

 背景に映り込んでいるのは、ライトブラウンのソファーの背もたれと白い壁。その右上にカレンダーの角が映り込んでいる。

 どうやら彼も自宅にいるらしい。

 九尾は営業スマイルを浮かべながら挨拶をする。

「こんにちは。畠野俊郎はたのとしろうさんですね? 九尾天全です。今日はよろしくお願いします」

『……お願いします』

 画面の中の畠野が、カクカクとした動きで頭をさげた。

 彼から店に電話があったのは先日の事だった。何やら相談事があるらしい。

 因みに彼が、九尾を頼ってくるのは初めての事……つまり新規の客である。

 九尾は基本的に占いや心霊関連の仕事に関して、広告を打っている訳ではない。

 しかし、これでも彼女の名前は、その界隈かいわいで腕利きとしてよく知られている。

 それゆえに畠野のような一見さんからの電話は、さほど珍しい事ではない。

 九尾としても新規の顧客を得れるのは嬉しい限りなのだが、不要不急の外出を控えなければならないこのご時世である。

 それならば……と、電話で先方と協議した結果、流行りのビデオ会議アプリを使ってリモートで会う運びとなった。

「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」

 と、九尾は問いながら画面越しの畠野をつぶさに観察する。

 畠野はモゴモゴと口を動かしながら相談内容を切り出す。

『実は僕の婚約者フィアンセだった人と連絡が取れなくなりまして……』

「なるほど……」

 “だった”という過去形が気になったが、取り合えず話の先を促す。

「その方のお名前は?」

桃田愛美ももたまなみって言います。“果物の桃”に“田んぼの田”、“恋愛の愛”に、“美しい”です』

「生年月日を差し支えなければ……」

『十一月二十七日生まれ。今年で三十だから一九九〇年生まれですかね』

「彼女のご職業は?」

『美容器具の販売員という話でした』

「警察には行きましたか?」

『いいえ。行きませんでした』

 何か警察に言えない事情があるのだろうか。

 思ったより面倒な話になりそうだと、九尾は居ずまいを正す。

 取り合えず、その理由を質問するのは後回しにして、先に他の情報を引き出す事にした。

「桃田さんと最後に連絡を取ったのはいつごろでしょう?」

『彼女と直接顔を会わせたのが今年の一月二十五日でした。その日を境に連絡が取れてません』

「その方の写真はありますか?」

『はい……今、そちらに送りますね』

「お願いします」

 それから、しばらくしてパソコンの画面に画像ファイルを受信した旨を通知するメッセージが表示される。

 クリックしてダウンロードし、開いてみる。

 それは有名なテーマパークの広場で撮影されたものだった。

 植え込みを背に鼠耳のカチューシャをつけた女性がダブルピースで微笑んでいる。

 黒のセミロングで小柄。

 少女趣味な襟つきのワンピースを着ている。肩にかけた鞄はエルメスだ。贈り物だろうか。その他のアクセサリも値段の張りそうなものばかりである。

 身なりがいい。まるで遊び慣れているセレブか芸能人のような華やかさがあった。そして、男受けがよさそうに見える。

 それが九尾の桃田愛美に対する第一印象であった。

 ともあれ、その画像をドラッグして隅に押しやると、畠野に問うた。

「彼女とは、どのようにして知り合ったのですか?」

『SNSで向こうからフォローされました』

 桃田と畠野は出身県が一緒であるらしい。彼女は畠野のSNSのプロフィールを見てその事を知り、彼に興味を持ったのだという。

 そこから話が弾み、三年ほど前の夏ごろに直接顔を会わせ、交際に発展したとの事だった。

『ネット越しとはいえ、しょ、正直、女性と話すのはあまり得意ではなくって……』

 照れ臭そうに頭を掻く畠野。

『それなのに、あんなに話が弾んだのは生まれて初めての事でした。出身県が一緒だったのも、運命を感じましたね』

「成る程」

 そこで九尾は座卓の上に置いてあった愛用のタロットカードに手を伸ばした。

「それで、わたしに彼女を探して欲しいと?」

『それも……まあ、あるんですが』

 なぜか歯切れが悪い。

 九尾は怪訝けげんに感じて眉をひそめる。

『……それで、ちょっと、そのあとに色々と妙な出来事がありまして』

「妙な? “そのあと”というのは、彼女……桃田さんと最後に会った日の後日という意味ですか?」

 畠野は首肯する。

『そうです。ちょっと、不気味と言いますか……訳の解らない事が……そもそも、先生の事を知った経緯が……その……』

「この店の電話番号ですか?」

『はい』

 そこで、ふと思い出す。

 初めて彼がこの店に電話を掛けてきたとき、“相談がある”としながらも、九尾が何者であるか解っていない様だった。

 九尾は普段のポンコツ具合を感じさせないキリリとした表情で、彼との会話から得られた情報の一つ一つを脳に刻みつけながら、言葉を発する。

「では、その妙な出来事というのをお聞かせください」

『ああ……その、どこから話せばよいのやら』

「最初からです。最初からお願いします」

『解りました。では、まず彼女と最後に会った一月二十五日の夜の話から……』

 畠野が語り始める。

 すると、外から微かに遠雷のいななきが聞こえてきた――

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