【16】後日譚


 風見鶏の館から人骨の発掘を終えたあと、桜井と茅野は武嶋夏彦のスマホと、事件の経緯を書き記した手紙を地下室に残し撤収てっしゅうする。

 それから藤見市の総合庁舎駐車場前にある電話ボックスより、匿名で警察に通報する。

 その通報を元に、藤見少女連続誘拐殺人事件の犯人である武嶋夏彦と、風見鶏の館の所有者であり、ホラー作家の梶尾銀こと芦屋育郎が逮捕されたのは、その翌日の事だった。




 昼休みのオカルト研究会の部室であった。

「羽田さんは、梶尾銀の『猟奇のうずき』はもう読んだのかしら?」

 コンビニのサンドウィッチの包装をむきながら、茅野が問う。羽田は弁当を食べる手を止めて苦笑した。

「いいえ。読んでいません」

 県内在住のホラー作家が逮捕されたというニュースは、各メディアで大きく報道された。

 羽田はテレビで見た光景を思い出し身震いする。

 自宅から警官に連れられて姿を現した、梶尾銀こと芦屋育郎の姿を……。

 それは正に、夢の中で自分の首を絞めていた男そのものであった。

 しかし、画面の中の彼は夢で見た危機迫る表情とは異なり、ヘラヘラと笑っていた。まるで自分の身に起こった事が理解できていないような、そんな態度がとても不気味に思えた。

「あの本を読んだら、何かまたあの夢を見てしまうような気がして……」

 羽田は九尾の言った通り、例の夢を見なくなっていた。

 そして、梶尾銀の本が媒介ばいかいとなって夢を見るようになったという事なら、もう触りたくもなかった。

 彼女が買った『猟奇の疼き』は、今も本棚の隅に差したきりになっている。いずれ誰かに頼んで処分してもらうつもりだった。

 そこで西木が頬張っていた筋子おにぎりを飲み込んでから口を開く。

「茅野っちは読んだの?」

 茅野は「ええ。読んだわ」と頷いた。

 そこで、自作の海苔弁をガツガツと食べていた桜井が顔をあげる。

「どんな話だったの?」

「売れないホラー作家が、妻である女性を殺して自宅の地下室に埋めるんだけど、それからしばらくして彼の身の回りでおかしな事が起き始めるという、割りとオーソドックスな幽霊譚ね」

 因みに現実の地下室に埋められていた白骨死体の身元は、まだ判明していない。

 芦屋は友澤明乃の死体遺棄については大筋で認めたものの、白骨死体に関しては沈黙を通しているらしい。因みに彼は天涯孤独で家族はいないとの事だった。

「……じゃあ、その小説は殺人の実体験を元に書かれたっていう事なのかな?」

 桜井がぞっとしない表情で言う。すると、茅野は首を横に振った。

「それが違うのよ」

「どゆこと?」

 桜井が首を傾げる。

 羽田と西木も怪訝けげんそうに顔を見合わせた。

 茅野は何とも言えない表情で語り始める。

「あの『猟奇の疼き』という小説は元々、二〇〇一年に大判で県内の“あらい書房”というところから出版されたものらしいんだけど、最近になって別の大手出版社のホラーレーベルから文庫本として再版されたのよ」

 茅野と羽田が購入したのは、その文庫本の方である。

「……どうやら、その“あらい書房”は『猟奇の疼き』を出版してまもなく倒産しているらしいのだけれど」

「……売れなかったんだね」

 桜井が哀れみのこもった調子で言った。すると、そこで西木が「あ……」と声をあげる。

「どうしたんですか? 先輩」

 羽田に促され、西木が恐る恐るといった様子で答える。

「確か、芦屋育郎が風見鶏の館を購入したのが、前の所有者の脱税事件の翌年だから、二〇〇三だっけ? 茅野っち」

「ええ。そうよ。『猟奇の疼き』は彼が館を購入する前に書かれた……つまり・・・殺人の方が小説を・・・・・・・・なぞらえて・・・・・いるのよ・・・・

 茅野の言葉に三人は息を呑む。

「で、でも、何で……自分の小説の真似をして人殺しなんか……」

「とんだ、サイコ野郎だね」

「どういう事なの? 茅野っち」

 と、西木に問われた茅野であったが、彼女がその答えを口にする事はなかった。

「流石にまだ何とも言えないわね。今の段階では……」

「循が、まだ何とも言えないという事は、本当にまだ何とも言えないって事か……」

 桜井が鹿爪らしい表情で腕組みをする。

 そして茅野は、スマホを手に取り、指を走らせながら言った。

「まだこの件は、騒がれていないみたいだけど、すぐに誰かが気がつくでしょうね」

 そこで桜井は物陰から顔を出した鼠を見つけた猫のような顔で笑う。

「まだまだ、闇が深そうだねえ……」

「ええ。面白くなってきたわ」

 茅野もスマホの画面から目線をあげて、桜井の言葉に答える。

 そんな二人を見て西木と羽田は呆れながら顔を見合わせた。


 のちに桜井と茅野は、梶尾銀こと芦屋育郎にまつわる謎へと再び挑む事となるのだが、それはまた別の話となる。




 二〇二〇年一月最後の日曜日だった。

 藤見少女連続誘拐殺人の犯人である武嶋夏彦は素直に己の罪を自供していた。

 しかし、芦屋育郎の方は地下室の白骨死体について、依然として黙秘を貫いている。死体の身元も解らないままだった。

 そして茅野の予想通り『猟奇の疼き』とこの事件の関連性が徐々にマスコミやネット上で取りざたされ始めた。

 そんな中で羽田継美は自転車に股がり、独りで再び白鈴地区を目指していた。

 その彼女の肩にはニコンのクールビクスが、そして自転車の籠には仏花の束が差してあった。

 この日、彼女は写真部内の品評会に向けた作品撮影のかたわら、友澤明乃の墓参りをするつもりだった。

 しかし、当然ながら友澤明乃は沖縄生まれである。墓もそっちであろうと気がついた羽田は、彼女が猫に餌付けを行っていたお社に献花けんかをする事にした。

 大して意味のない自己満足なのかもしれない……と、ペダルを踏み締めながら、心の中でそう自嘲じちょうする羽田だった。

 しかし、もしもあのとき友澤が短冊に書いた願い事をんで話し掛けていれば、彼女の運命は変わっていたかもしれない。

 更に彼女が一人ではなく、二人だったなら、恐ろしい殺人鬼に目をつけられる事はなかったかもしれない。

 あの夢を見るようになり、見なくなった今も、悔恨かいこんの念が頭から離れない。

 この事に踏ん切りをつける為には、どうしても友澤をちゃんと弔う必要があると羽田は考えた。

 彼女に手を合わせるのは、事件後に藤見市郊外の国道沿いの式場で行われたお別れ会に、クラス一同で出席したとき以来だった。

 そのとき、自分はどんな気持ちだったのだろうと記憶を探りながら古い住宅街の路地を右へ曲がる。

 そして、躑躅つつじの生け垣とブロック塀に挟まれた狭い路地に差しかかったそのときだった。

 前方から悠然とした歩調で、大きな鴉の首をくわえた猫がやってくるのが見えた。

 羽田は思わずブレーキを握る。

 白黒の八割れ。背中の模様が四国の地図のようだ。

 丸々と肥った凶悪な……そして、どことなく愛嬌のある面構えの猫である。

 尻尾をゆらゆらとゆらめかせている。向こうも羽田の十数メートル手前でぴたりと止まった。鴉をくわえたままアスファルトに腰をおろす。

 羽田はゆっくりとカメラを持ちあげ、ファインダー越しに猫を覗き込んだ。

 静かな睨み合い……。

 そして、シャッターが切られる。

 すると、猫は驚いたのか慌てた様子で、首輪についた鈴を鳴らしながら躑躅の生け垣の隙間へと消える。

 後には大きな鴉の死体が残されていた。






(了)

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