【07】大座敷にて


「三朗様。お客様をお連れしました」

 女がふすまを開けると、そこはまるで旅館の宴会場のような大座敷だった。

 たくさんの御膳ごぜんが並べられ、大勢の人々がいた。全部で三、四十人はいそうだ。

 その格好や年齢、性別は様々であった。

 和装にポロシャツ、トレーナー、スーツにワンピース、セーラー服……中には足に脚絆ゲートルを巻いた軍服の者もいる。

 めいめいが笑顔で歓談し、御猪口おちょこを傾け合い、御膳の上の料理に舌鼓を打っていた。

 しかし、なぜかはしの使い方がぎこちなく、皿の上の物を掴み損ねたり、落としたりする者が散見さんけんされた。

 そして、桜井と茅野がぎょっとしたのは、すぐ手前の端にちょうど二つ分の空いた席が並んでいた事だった。

 まるで二人が訪れるのを予見していたかのように思えた。

 更に座敷の一番奥に、公家たちが花見をしている様子を描いた屏風びょうぶがあるのだが、その絵柄がどう見ても上下逆であった。

 その屏風の前に座っていた人物が声を張りあげた。

「ようこそ!」

 ざわめきが静まり返る。大座敷にいた全員が箸やお猪口を一斉にお膳の上に置いた。

 視線が桜井と茅野に集まる。

 声をあげたのは、身なりのよい和装の人物だった。かなりの年配の男のようであったが、その面差しはうかがえない。

 なぜなら顔を烏天狗からすてんぐの面で覆っていたからだ。

 その人物は喜色きしょくに満ちた声をあげる。

「これは、めでたい。歓迎しよう!」

 彼が、そう言った瞬間だった。

 座敷にいた全員が拍手――ではなく、手の甲と手の甲をこつこつと打ち付け始めた。

「何これ……?」

 桜井が困惑の表情を浮かべながら、その光景を見渡す。

 茅野は大きく目を見開き、黙り込んでいる。

 和装の人物が、さっ、と左手をあげると座敷にいた面々は、その奇妙な動作をピタリとやめた。

「それでは、新しい客人よ。空いている場所に座りたまえ。我らと共に宴を楽しもうではないか」

 桜井と茅野に座るように促す。

「えっ。いいの?」

 御膳の上には所狭しと豪勢な料理が並んでいた。

 鯛のおかしらつきに茶碗蒸し。山菜や海老の天婦羅てんぷらに漬け物、おひたし。山鶏と筍の煮つけ、お椀にお刺身、山盛りの白飯……桜井が空いた席に向かおうとした。その瞬間だった。


「駄目よ! 梨沙さん」


 茅野が鋭い声で制した。

「え、どしたの? 循」

 桜井は怪訝けげんそうに相棒の顔を見た。その表情は極めて冷静で真剣であった。

 茅野が和装の人物に向かって慇懃いんぎんな態度で言う。

「せっかくのお誘い、申し訳ありませんが、慎んで辞退させていただきます。そろそろ、おいとまいたしたいと思いますので」

 和装の人物が首を傾げる。

「何? 帰るというのか……」

 腕を組み合わせ、唸り始める。座敷にいた他の面々も、桜井と茅野にいぶかしげな視線を向けてヒソヒソと何やら近くの者同士で言葉をかわし始める。

 しばらくその状態が続き、和装の人物がさっと左手をあげた。

 すると、ざわめきが再び静まり返る。

「帰るというのならば、そなたらが持ち帰ろうとした物を、ここに置いていってもらおう」

「持ち帰ろうとした物……?」

「私たちは別に……」

 心当たりがない。

 桜井と茅野は神妙な表情で首を捻った。

 すると和装の人物が左手を、すっ、と伸ばし、茅野を指差す。

「その“かめら”の中に入っている物だ。この場所の事を外で広める事は許可できない。話の種にする程度なら構わぬ。しかし“かめら”と“いんたあねっと”はいけない」

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

 和装の人物は更に言葉を続ける。

「よもや“いんたあねっと”で外の世界に此方の事をばらまいてはおらぬだろうな?」

「いいえ。それはしていません」

 と、茅野が答える。すると和装の人物は、彼女が手に持ったままだったブラザーの帽子を指差した。

「その赤い帽子を被っていた者は、この禁忌を破りおった。だから罰を与えねばならなかったのだ」

 流石の二人もごくりと息を飲み、視線をかち合わせた。

 茅野は諦めた様子で、一つ溜め息を吐いて……。

「わかりました。では、このカメラで撮影したものを消せばいいのですね?」

左様さよう

 茅野は、素直にこれまで撮影した動画データを消去した。

「終わりました」

 茅野が操作を終えると、和装の人物は再び満足げに頷く。そして、

「結構。素直でよろしい。……それにしても……やはり、横着せずにあの入り口は塞いでおくべきか」

 ……などと、ぶつくさと意味の解らない事を言い始める。

 そこで桜井が問うた。

「それで、帰り方はどうすればいいの?」

 和装の人物は天狗の面の裏で鼻を鳴らして笑う。

「日の出までに、またあの橋まで行けばよい。今のままなら・・・・・・お主ら二人は帰れる・・・・・・・・・

「なあんだ」

 桜井が拍子抜けした様子で肩をすくめた。茅野もほっとした様子で肩の力を抜く。

「それでは、失礼します」

「……します」

 茅野が深々と頭をさげた。桜井もそれに習う。

「それでは、末永く息災そくさいでな。……たった今、玄関の所に着いた者に、橋まで乗せていってもらうとよい」

「玄関の所に着いた者?」

 茅野が眉をひそめると、和装の人物は「行けば解る」とだけ答えた。




「何だよ、ここは……」

 石段を登りきった豊治英一の眼前には、大きな屋敷と花咲き誇る庭先が広がっていた。

「今の季節に桜……楓も紅葉こうようしている……」

 その異様な光景におののきながら、豊治は敷石を渡り玄関へと向かった。

 そうして開かれた入り口の鴨居を潜り抜け、三和土たたきへと足を踏み入れる。すると彼の耳へと微かな話し声が届いた。

 誰かがいる……豊治は家の奥に向かって、大声を張りあげた。

「夜分、遅くすいませーん」

 すると、正面右側の階段から誰かが降りてくる。

「あ、あの人かな?」

「そのようね」

 ……などと、会話をかわしながら姿を見せたのは、あのハイカー風の格好をした少女二人であった。

「お、お前ら……あの橋の上にいた……」

 その豊治の言葉を聞いて、黒髪で長身の少女は首を傾げる。

「あの橋の上……?」

 そして、上がりかまちの上で少しだけ考え込んでから、

「貴方、あの赤いリーフに乗っていた人ね?」

 と言った。

 豊治が「あ、ああ……」と曖昧に頷くと、今度はポニーテールで背の低い少女が申し訳なさそうな顔をする。

「もしかして、あたしたちと一緒にこっち側にきちゃったのかな?」

 黒髪の少女が答える。

「どうやら巻き込んでしまったようね」

「え、おい……お前らいったい何を言っているんだ……?」

 事情の飲み込めない豊治が目を白黒とさせていると、二人の少女は靴を履き出す。

「さあ、帰りましょう。元の世界に……この場所は危険よ」

 二人の少女はいそいそと玄関から外に出る。

「ちょっと、待てって……おい。おいっ!」

 慌てて後を追う豊治。

 三人は石段を駆け降りた。

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