【13】後日譚
警察での聴取を終えて、桜井と茅野の二人が藤見市へと帰還を果たしたのは、二〇一九年十二月二十九日の二十時頃だった。
終電からホームに降りた二人は、寒風に背筋を震わせた。自然と早足になる。
降車した他の客たちと共に白い息を吐きながら地下通路を渡り、改札を目指した。
「……多分ピラコちゃんが夢で言ってた“彼の者”って、あの黒ヤッケの男の事だったんだろうね」
「そうね……。座敷わらしは元の
「優しい妖怪だね。ピラコちゃん」
桜井の言葉に茅野は頷く。
「座敷わらしが去っても凶事の前触れという訳ではない……逆にいえば座敷わらしの力があっても必ずしも幸せになれるとは限らない」
「世の中、どうしたって上手くいかない時はあるからねえ……」
しみじみとした口調の桜井。
そうして、二人は同じペースで地下通路の階段を登る。
茅野が改札の前でSuicaの入ったパスケースを取り出そうとコートのポケットに手を突っ込んだ。
すると、彼女の右手が別な物を掴む。
「どうしたの?」
既に改札を潜り抜けた桜井が振り返り、
茅野は改めてパスケースを取り出し、改札を抜ける。そして右手のそれを桜井に見せた。
「何これ?」
それは茅野の掌より少し大きな紙切れだった。
桜井はその紙切れを手に取り、まじまじと見つめる。
どうやら和紙のようだが蝋のようなワックスが塗られている。そして裏表にびっしりと
いかなる魔も鬼も払うといわれる護符。酒本の黒ヤッケの右ポケットに入っていたはずの“
「何かしら? このお札」
「何か、怪しいねえ……」
「全然、見覚えもないし、ポケットに入れた記憶もないのだけれど」
「もしかしたら、ピラコちゃんからの成功報酬かも」
桜井は札の端を摘まんでヒラヒラと扇ぐ。
「まあ、もらっとけば? どーせ、こんな紙切れなんて大した物でもないでしょ」
一枚あたり数千万である。
「それもそうね。何か厄介な呪いでもあったら面白そうだし」
「そうだ。九尾センセに聞いてみよう」
桜井はそう言ってスマホを取り出し、手早く写真を撮る。
そしてメッセージを打ちながら茅野に問うた。
「ところで、これからあたしはお母さんに迎えにきてもらうけど、循はどうする? 一緒に乗ってく?」
茅野は首を横に振る。
「遠慮しておくわ。駐輪場に自転車停めてあるし」
「あ、そっか」
桜井は返事をしながら送信ボタンを押した。
「それじゃあね」
茅野が駅の出口の方へと向かう。
桜井はスマホを持った右手を振りあげて答える。
「よいお年を!」
「まだ早いわよ」
茅野は一度だけ振り返り、くすりと笑ってから再び背を見せて遠ざかってゆく。
その姿を見送り、桜井は……。
「さてと……」
と、独り言ちて母にメッセージを打とうとした。
すると、あの札を手に持ったままだった事に気がつく。
「あ……」
桜井は遠ざかる茅野を追いかける。
「おーい、循! このお札!」
茅野が立ち止まり振り返る。
そして、小走りに駆け寄ってくる桜井を見て目を丸くする。
「梨沙さん!」
「何?」
茅野に追いついた桜井が首を傾げる。
「今走ってたけど……」
「へ?」
桜井はきょとんと自分の足元を見おろしたあと、その場で跳びはね、屈伸を何回かする。
そして……。
「全然、痛くない!」
その頃、都内某所の自宅で晩酌中だった九尾天全は、桜井梨沙からのメッセージに添付された画像を見て思い切り酒を吹き出した。
それから数日後。
年は明け二〇二〇年の一月四日だった。
『洋食、喫茶うさぎの店』
フライパンを傾けながらとんとんと揺らし、ふわとろのオムライスを巻いてゆく。
それを手早くハヤシライスの上に乗せ、その皿をカウンターへと通じた台に乗せた。
フライパンを素早く洗い流す。
武井健三は次のオーダーを作り始める。
同時に隣で桜井梨沙のカルボナーラが完成した。
ペッパーミルで薄黄色のソースの上に黒い斑点を作り、オムハヤシライスと同じく台に乗せた。
するとカウンターで姉の武井智子が二つの皿を丸盆に乗せてテーブルへと運ぶ。
桜井は素早く自分が使ったコンロやまな板周りをダスターで拭くと義兄である健三に「お皿、さげてくるね」と言って厨房を出た。
彼女の背中に健三は「頼む」という短い言葉を投げかける。
桜井がダスターを手にカウンターから出ると、皿やグラスをたくさんお盆に乗せた智子とすれ違う。
「レジやるから、残りのテーブルお願い」
「りょうかーい」
間延びした声だったが、てきぱきとテーブルを空け始める……。
この日も店は大盛況であった。
そうして時間は過ぎ去り、閉店となった。
「ふう……」
一通り後片付けを終えて、カウンターのストゥールに腰を落ち着ける桜井。
姉の智子がカウンターで三人分の珈琲を入れ始める。
「決めた。新しいバイト雇うわ……このままじゃ死ぬ」
「おーっ!」
パラパラと拍手をする桜井。
「んで、梨沙。循ちゃんにウチで本格的にバイトする気がないか聞いてみてよ」
「うーん……」
桜井は少しだけ思案顔を浮かべながら、姉の言葉に答える。
「多分、丁重にお断りされると思うよ。あれで色々忙しいからね。循は勉強家なんだ」
その勉強の内容が、ピッキングのような常識的ではない技術の習得や無駄知識蒐集、ホラーやBL鑑賞だとは知るよしもない智子は納得した様子で頷く。
「そうよね。お小遣いにも困ってはいないだろうし」
「まあ、今回みたいにたまになら力を貸してくれると思うけど……」
「またお願いしたいわー。循ちゃん、メチャクチャ仕事覚えるの早いし」
そこでサイフォンのお湯がコポコポと煮立ち始める。
それを見た桜井は「あっ」と声をあげる。
「何よ? びっくりした……」
智子が眉をひそめて妹の顔を見る。
「いや、年末に循と温泉行ってきたんだけど」
「ああ、そうなんだ」
「そのお土産。持ってきたから食べよう。珈琲のお茶うけにさあ」
「いいわね。持ってきてちょーだい」
「うん」
桜井は返事をすると更衣室のロッカーから月夜見銘菓“白い
「これ。おまんじゅう」
桜井は白い繭の入った箱を智子に見せた。
「ああ……あんたたちも月夜見に行ったんだ」
「へ? お姉ちゃんも行った事あるの……?」
桜井は姉の言葉に目を丸くしながら、再びカウンターのストゥールに腰をおろした。
「お盆休みの時に一泊二日で。向こうのお義父さんとお義母さんと一緒に……ていうか、あたし実家にそのお
呆れ顔の智子は腰に手を当てて溜め息を吐く。
「ああ、そうだっけ……」
智子は当然ながら実家を出ており普段はそれほど顔を合わせる訳ではない。
『温泉旅行に行った』くらいの話は聞いたとは思うが、どこへ行ったかまでは聞いてはいなかった。
更に……。
「ほら、あの
そこで桜井はふと思い出す。
夏頃に姉の口から『幸運を呼ぶ小豆荒らしがどうこう』という話を聞いた事を。
何を言ってるのか意味が解らなかったので「ふうん」と、適当に返事をして話を終わらせたのだが……。
「お姉ちゃん、その“小豆荒らし”って、
「そう、それそれ。そんな感じの」
この姉、妹と同じく興味のない事に関しては、とことんテキトーであった。似た者姉妹なのである。
呆れつつも妹は問うた。
「そのお姉ちゃんたちが泊まったところって……」
姉が答える。
「白蝶旅館よ」
「やっぱり……」
「どうしたのよ?」
「いや……」
そこで桜井は、不意に視線を感じて後ろを振り向く。
薄暗い店内の片隅にある観葉植物の鉢……。
その右隣に小さな人影が立っているような気がした。
(了)
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