【12】後日譚


 二〇一九年十二月二十三日、都内某所にある占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』にて。

 九尾天全はカウンター越しに二人と向かい合い、その長い話に耳を傾けていた。

「……それからふもとに戻って、匿名で天井裏の遺体の事を警察に通報した後、宿で休息してからこの店にきたっていう訳なの」

 茅野循が、すべての経緯を語り終える。

 そんな彼女の横顔を見て、桜井は「本当に今回はヤバかったよねえ」と、言った。

 それはまるでゲームか新作映画の話でもするかのような気安さであった。

 九尾天全は呆れ果てて、額に手を当てながらかぶりを振った。

「あなたたち……」

 二人は死にかけた癖によい笑顔である。

 そして、九尾には、その呪われたワインについて心当たりがあった。

「……で、そのワインは」

「もちろん、これだよ」

 桜井がカウンターの上に置かれたままのボトルの包み紙を破いた。すると中からイスラエル産の赤ワインが姿を現す。


 “ガリヤラ・カヴェルネ・ソーヴィニョン”


 そのラベルを見た途端、九尾は嘆息たんそくする。

「……やっぱり、このワインだったのね」

 思わずその言葉を口にすると、茅野と桜井は顔を見合わせ、身を乗り出して食いつく。

「九尾先生は、このワインをご存じなのかしら?」

「センセ、どうなの?」

「そのワインはね、五年前のある事件の際に行方不明になっていた呪物よ……」

 そう言って、九尾は五年前の輸入雑貨店の店主殺し――及び、その容疑者であったイスラエル人の遺体が横須賀の埠頭ふとうで発見された経緯を差し支えのない範囲で二人に話して聞かせた。

 なお警察にも心霊事件を担当する穂村のような人間がいる事や、ときおりその穂村から自分が依頼を受けている事などは口止めされているので伏せた。

「……そんな訳で、そのワインの所在はずっと不明だったのよ」

 つまり、この二人は“ヨハン・ザゼツキの少女人形”そして“隠首村の特大禍つ箱”に続いて、またまたお手柄だったという訳だ。

「成る程。被疑者死亡のまま捜査は終息し、そのまま呪われたワインの行方はやぶの中という事ね?」

 と、茅野がカウンターの上で湯気を立てるティーカップに口をつけた。

「警察からしたら呪われたワインなんかどうでもいいだろうしね」

 桜井が得心した様子で頷く。

「そうね。警察が相手にするのは人間の犯罪者だけだから」

 嘘を吐きながら、後で穂村に連絡してみようと、九尾はそう心に止めた。

「それじゃあ、この瓶はわたしに預けてくれるわよね?」

「当然。その為に持ってきたんだし……しっかり可愛がってやってよね?」

 と、桜井が瓶を九尾の方に押しやる。

 それを手に取った瞬間、九尾の頭の中にヘブライ語のささやきが流れ込んできたが無視する。

「……で、この瓶はいいとして、そっちの箱は?」

 九尾は茅野の持ってきた箱に、何か禍々しい呪物を見るかのような目を向ける。 

 茅野が意味ありげに微笑みながら、箱の包みをほどく。

「……これは、瓶の預け賃よ。駅で買ってきたの」

 それはケーキ屋の箱だった。箱を開けると美味そうなチョコケーキがワンホール入っていた。

 真ん中には“Merryx’mas”と書かれたプレートと、サンタの衣装に身を包んだ熊さんが鎮座ちんざしていた。

 九尾は瞳を輝かせる。

「あら、気が利くわね」

「九尾センセの事は同じスポットマニアとして、そんけーしてるし。こんな時くらいは奮発しないと」

 と、桜井が胸を張る。

「いやいや、わたしはマニアじゃないから。プロだから」 

 九尾は呆れ返りつつも、この二人も可愛らしいところがあるではないかと、ちょっとだけ思い直す。

「わたしはてっきり、蝮でも出てくるのかと……」

 冗談めかして笑うと、茅野が「あるわよ」と言ってリュックの中から百円均一にあるようなプラスチックのボトルを取り出す。そこには、一匹のねじれた蝮が入っていた。

 まだ生きているが、どうやら悪霊の支配を逃れ、冬眠に入ったらしい。ぴくりとも動かない。

 そして、それを見た九尾の顔が青ざめる。

「ちょっ……あなたたち……」

 如何なる怪異にも怯む事のない九尾天全も、多くの女性と同じで蛇は苦手であった。これが一般的な反応といえるだろう。

 しかし、茅野はいとおしげな眼差しでボトルの中の蝮を見つめながら言う。

「蝮酒にしようと思って持ってきたの」

「完成するまで二、三年は掛かるから大人になったら乾杯しようって。……その時はセンセも呼ぶよ」

「いっ、いや……いいから! は、早くしまってよ」

 九尾が、しっ、しっ、と右手をはためかせる。

「あら。蛇は苦手だったかしら?」

 茅野はきょとんとした表情で首を傾げた。

「……そもそも、蝮に平気で触れるあなたたちの方が絶対におかしいからっ!」

「あんがい、毒がなければ可愛いよ?」

 桜井がボトルをつんつんと突っつく。すると蝮がぬらりと身じろぎした。

「もういいから、早くしまってー!」

 九尾は改めて思った。

 悪い子らじゃないのは解っている。腕も立つ。それも認める。

 でもやっぱり、この二人はちょっと苦手だと……。




 結局、二人はそのまま九尾の家に泊まっていった。

 そして翌日の朝食は桜井が担当する。

 どうやら『Hexenladenヘクセンラーデン』にくる時に、食材を買っていたようだ。

 当然ながら、最初は不安をおぼえた九尾であった。

 しかしできあがった鰯のオイルサーディンと茹でキャベツ、にんにく、鷹の爪とレモン汁を使ったパスタは、かなり美味しかったので驚く。

 なお茅野は桜井が料理を作ってる間、ボトルの中の蝮をながめてニヤニヤしていた。

 朝食が終わると二人は帰路に着くために『Hexenladenヘクセンラーデン』を後にして、新宿のバス乗り場へと向かう。

 二人を見送った後で、九尾は穂村にメッセージを送り、呪われたワインが手元にある旨を知らせた。

 するとその日、閉店した後で穂村が店にやってくる。

 誰もいない店内の奥のカウンターを挟んで向き合い、暖かい紅茶をすする二人。

「そうか……これで胸のつかえが取れた」 

 穂村はそう言ってマイルドセブンをふかす。

 基本的に穂村の所属する部署は『人命が即座に失われる可能性、もしくは、捜査の進捗しんちょくに重大な支障をきたすレベル』の霊障や超常現象が確認できなければ、捜査権がおりない。

 人員や予算がそれほどたくさん割かれている訳ではないので、噂話程度では動く事ができないのだ。

 この『Shalomシェローム』店主殺しも、被害者の妻による呪われたワインに関する証言が、非常に信憑性の高いものだったにも関わらず、穂村はまったく動けなかった。

 この事件で起こった事を並べると、単なる強盗殺人で犯人が盗んだ物の中に呪われているとおぼしき品があるらしい、というだけだからだ。超常的な被害は何も起きていないように見える。 

「……これで、上も少しは柔軟な対応をしてくれるようになればよいのだが」

 穂村は自嘲気味じちょうぎみに笑う。そして、以前より疑問に感じていた事を九尾に問う。

「しかし、その二人の女子高校生とは何者なのだ……あの隠首村の特大禍つ箱を見破ったのも、その二人の片割れなのだろう?」

「まあ……そうね」

 九尾は説明に困り苦笑する。

「君の話が本当なら、相当な腕利きの“狐狩り”になれそうだな……」

 “狐狩り”とは九尾のように警察の要請で怪異の解決にあたる民間の協力者を表す隠語であった。

「……それが、能力を持っている訳でもなく、しかも普通の女子高校生などとは、にわかには信じられないな」

「まあ普通じゃないんだけどね……あはは」

 そこで、穂村が銀縁眼鏡の奥にある双眸そうぼうを穏やかに細めた。

「……一度、会ってみたいものだな。下手な新米よりずっと使えそうだ」

「やめておいた方がいいよ……多分」

「なぜだ?」

 きょとんと首を傾げる穂村に九尾は鹿爪らしい顔で言った。

「色々と常識外れ過ぎて、何かこう……疲れる。悪い子たちじゃないんだけどね。わたしも何度も助けられているし」

「そうか。どんな怪異にも怯まない腕利きの君がそういうのだから余程だろうな……」

 穂村はどこかいたわるような表情でそう言って、すっかり温くなったティーカップを持ちあげた。






(了)

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