【10】本気モード


「取り合えず、今度はあたしがここで熊さんとにらめっこしているから、循がコルクを探して、とっとと悪霊を封じちゃってよ」

 ……と、桜井は軽い調子で言ったが、茅野は神妙な表情で首を横に振る。

「それが、そうも簡単な話でもないのよ」

「……ん? どゆことなの?」

 桜井が首を傾げた。

「コルクを見つけて悪霊を封じたとすると、その熊は悪霊の支配から逃れて正気に戻る事になる」

「まあ、そうだね」

「そうすると、熊は迷迭香ローズマリーを怖れなくなるでしょう?」

「ああ……」

 桜井も事態の厄介さを理解したようだ。

「そのまま、熊が逃げてくれればよいけど、梨沙さんに襲いかかってくるかもしれないわ。恐らく悪霊もそれを見越して、熊をそこから動かす事はないでしょうね。そうすると、私は無闇に悪霊を封じる事ができなくなる」

「つまり、今度はあたしが囚われのお姫様になっちゃったって訳か……」

「その通りよ。たまには悪くないでしょう?」

 茅野の問いに桜井は「まあね」と肩をすくめる。

「……取り合えず、そっちの方も何とか考えるわ」

「よろしく、勇者様」

 と、言って桜井はひらひらと右手を振って熊に向き直る。

 茅野はベランダを後にして書斎へと戻った。




「どうにか、コルクのありか、もしくは悪霊の真名を推理できないものかしら……?」

 茅野はいったん目を瞑り、深く深呼吸をして集中力を高めた。

 そして書斎の中をうろうろと歩き回りながら、情報を整理する。すると、新たな疑問が沸き起こった。

「そういえば、コルクではなく、なぜ、瓶の方は寝室に転がっていたのかしら?」

 例えば瓶を処分できないにせよ、動物を操ってどこかの高所……例えばベランダの手すりとかに置いておく事はできたのではないだろうか。

 そうすれば、何かの拍子に瓶が落下すればわざわざ人間をそそのかすまでもなく、破壊する事ができるではないか。

 ……そこまで考えて茅野は、ぴたりと足を止める。

「もしかして、悪霊は、動物を操って瓶やコルクを移動させる事そのものができない?」

 そう独り言ちてから、すぐに首を横に振る。

「いや、違う……」

 そしてポケットの中のレコーダーを再び再生する。

 しばらく早送りして、ある箇所で止めた。


『これから、その祈りの言葉と奴の名前を続けて唱える。瓶とコルクを見つけだして……』


 そこで再びレコーダーを止める。

「“瓶とコルクを見つけだして”とあるわ。小見山氏が隠したのかしら? ……いいえ。それも違う」

 再び思案顔をしながら歩き回る。

 ぶつぶつと独り言を口にしながら……その様は、さながら狂人のようであったが、これが彼女のいわゆる“本気モード”であった。

 そして、茅野は閃く。

「……悪霊が動物を操ってどこかに隠した。小見山氏が隠したのなら、隠し場所をここで言わないのはおかしい。悪霊を封じるのに必要不可欠な瓶とコルクの所在に関して“見つけだして”などという曖昧な言い方はしない。つまり、このレコーダーを録音した時点で小見山氏も瓶とコルクのありかを知らなかった」

 茅野は右手の人差し指をメトロノームのように振りながら、更に続ける。

「小見山氏は晩年、人との交流を絶っていた。……という事は、小見山氏の周囲には、彼の意思に反して瓶やコルクをどうにかできるような第三者もいなかった。この事から察するに恐らく悪霊が、動物を使ってコルクと瓶を移動させ隠した可能性が高い。……ならば、なぜ、瓶はあんな場所に無造作に……」

 茅野は寝室へと移動する。

 扉口に立ち、部屋を見渡したところでまた閃く。

「もしかして、それが精一杯なの……?」

 悪霊には瓶やコルクを処分する為のあらゆる行動が禁じられているとするなら……悪霊は瓶を、この館へと訪れた者たちに処分させようと考えたのではないか。

 例えば、ああして無造作に転がしておけば誰かがゴミとして処分してくれるかもしれない。

 そうでなくとも、探索に訪れた侵入者たちが瓶を壁に投げつけたり、思いきり蹴飛ばしたり……気安い悪戯心で、そういった行為に及ぶかもしれない。

 そこまで考えて茅野は己の推測をまとめる。

「悪霊は瓶やコルクが高い確率で破損する可能性のある行為……そして少なくとも瓶がまだこの館にあるという事実から、谷底など人の手が届かない場所に破棄する事も禁じられているのではないかしら……」

 当然ながらこれは、何の確証もない仮説である。

「無造作に放置して第三者に処分させる。もしくは、そそのかして、おどして処分させる。どこかに隠す……それしかできないのだとしたら? 瓶は誰かが処分してくれる事に期待して放置するしかなかった。ならばコルクは……自分の真名に刻まれたコルクは……」 

 茅野は頭をぐしゃぐしゃとかきみだし、そして次の瞬間、大きく目を見開く。


自分の真名を知られ・・・・・・・・・たくなかった悪霊は・・・・・・・・・コルクを隠した・・・・・・・……この家のどこかに」





「何かが……何かが引っ掛かっている。何か根本的な部分で違和感が……ずっと、何かが……」

 それは、これまでの確証を持たない仮説が真実である事を指し示す道標であるような気がした。

 茅野はまた狂気じみた様子でぶつぶつと呟きながら寝室の外に出る。

 そして、入り口の前で何気なく立ち止まり左手を向いた。

 階段。その奥の斜向はすむかいにあるトイレの入り口。そして屋根裏への入り口からぶらさがる壊れた梯子。

 その瞬間、彼女は違和感の正体を思い出す。

「そうだ。そもそも、あの遺体はなぜ、屋根裏に? 頼子さんは、いったい何をしようとしていたの……?」

 やはり、蜂の駆除……ではあるまい。

 あのレコーダーやポケットの中の迷迭香ローズマリーかんがみるに、彼女も悪霊の存在を認識し、何とかしようとしていたであろう事は明白だ。

「もし、彼女が今の私と同じ推測をして、隠されたコルクを求めて館の中を捜索していたのだとしたら……?」

 そこで屋根裏を探索中に、雀蜂に刺されて死んだ。

 悪霊に操られた蜂は迷迭香ローズマリーが苦手だが、他の蜂はものともしないだろう。

 彼女は悪霊がすべての蜂を操れると勘違いしており、その蜂はすべて迷迭香ローズマリーが苦手であると思い込んでいた。

 だから、彼女は有り得ないくらいの軽装だったのだ。

 その事に気がついた茅野は思考を更に先へと進め、そして、ついに結論に到る。

「……コルクの隠し場所……だいたい解ったわ」

 茅野は肩を揺らし笑う。

 自分の不甲斐なさに呆れているのだ。

 頭を抱えゲラゲラと笑う。

「答えは最初から目の前にあったのね……うふふふ」

 この館でコルクを隠すのに、もっとも安全な場所。そして、人間の手が届かないという程ではない場所……。


「雀蜂の巣のある屋根裏!」


 茅野は壊れた梯子に飛びついて、再び屋根裏へと戻った。

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