【File15】蒐集家の館
【00】封じられていたモノ
二〇一四年六月六日の早朝だった。
その日は気の滅入るような曇天で、小雨が降りしきっていた。動きの速い黒雲が南から押し寄せ、遠雷の
穂村一樹は有楽町の路地裏に銀のレクサスを停めると、傘も差さずに小走りでその殺人現場へと向かう。
古い四階建ての雑居ビルで、一階は中東や東欧などからの輸入雑貨を販売する店となっていた。
店名は『
事件はその倉庫で起こった。
被害者はこのビルの二階に住居を構える店主で、第一発見者は彼の妻なのだという。
彼女は起床後、夫が昨晩より店から帰っていない事に気がつき、様子を見にいったところ、倉庫で頭から血を流して倒れている彼を発見した。
なお発見時には既に死亡しており、店内は荒らされていた。
穂村は入り口に立つ警官に手帳を見せて店内に足を踏み入れた。その瞬間、中にいた刑事や鑑識員たちから
きっと、突然現れた若造の事を
すると、そこで店舗奥のカウンター裏にあるバックヤードの入り口から、いかにも叩きあげといった風貌の屈強な体躯をした刑事が姿を現す。
穂村の知った顔だった。
警視庁捜査一課の
木田は気安い笑顔を浮かべ、入り口の近くで所在なさげにしていた穂村の元へと駆け寄ってくる。
「いやあ、穂村さん、お久し振りですね」
「ご無沙汰しています。木田さん」
「……あの港区のけったくそ悪い放火事件の時以来ですな」
そう言って木田は事件を思い出したのか、顔をしかめる。
「あんときは、穂村さんにお世話になりました」
「いえ。
それは
「……それより、俺が呼ばれたという事は、この事件は
そう問うと、木田は少しばつが悪そうに頭を掻いて、バックヤードの入り口へと目線を向ける。
その向こうには、刑事に聴取をされる外国人女性の姿があった。
歳はいまいち判別できないが、そう若くはないと穂村は感じた。しかし、黒髪のエキゾチックな外見をしており中々の美人である。
「あれ、被害者の……店主の奥さんらしいんですがね。おかしな事を言うんです。……もしかしたら、こっちの気の回し過ぎかもしれないんですが、どうにも、同じ臭いがするんですよ」
「……と、言うと?」
「あの港区のけったくそ悪い放火事件と、ですよ」
その放火事件は、あまりにも現場の状況が不自然で捜査員は一様に頭を抱えた。初動捜査はまったくおぼつかず、結局のところ穂村へとお鉢が回ってきた。
そして彼が仲介した九尾天全の手により見事に解決された。
つまりは、
木田は今回の事件も同種であると見ているらしい。
「刑事の勘なんて馬鹿げてますけどね……」
そう言って自嘲気味に笑う。
「ただ、あの奥さんが嘘を吐いているようには、どうしても思えんのですよ、私には。話に矛盾もないし、見た感じ、薬やコレでもない」
木田はこめかみを右手の人差し指で突っついた。
「成る程。よく解りました」
普通ならば、刑事の勘などと言い出せば冗談だと思われるか、鼻で笑われるだけであろう。しかし穂村が相手にしているのはそうした曖昧な存在なのだ。
割りとこうした第六感じみた感覚は、そっちの領分の事件において重要である事を、これまでの経験からよく知っていた。
特に木田のように、刑事としての経験もあり、一度でもそうした出来事に携わった事がある者の言葉ならば無視はできない。
「それで……」
穂村は被害者の妻に目線を向けて問う。
「彼女は、何と?」
木田は真面目な顔になりメモ帳を開いた。
「彼女の話だとレジにあった現金五万円と共に倉庫にあったいくつかの品が持ち出されているそうです。これがそのリストになります」
木田はメモ帳を破って穂村に渡した。
穂村はリストに目線を落とす。
そこで木田は至極真面目な顔で言った。
「その中に、悪霊を封じ込めた物があるそうです。犯人は、その悪霊にそそのかされたのだと……」
その瞬間、雷光が射し込み店内を青白く染めあげた。
――数ヵ月後。
店主の知人で、この事件の最有力容疑者として名前のあがっていたヤキン・カツィールというイスラエル人の遺体が横須賀の
彼は金に困っており、暴力団員との間で金銭トラブルがあった。
ヤキンを殺害した犯人はすぐに捕まったが、盗まれた品物は消えたままだった。
――それから更に一年後の二〇一五年九月七日。
その部屋の空気を震わせるのは、遠い異国の祈りの言葉であった。
そして、部屋の壁やドアノブ、天井の吊り照明……そこには革紐に繋がれた銀製の
祈りの言葉が終わりに差しかかる。すると遠くからまるでチェーンソーのような音が近づいてくる。
それと共に、部屋の入り口の周りの壁に赤黒い
その光景を見た白髭の男が、大きく目を見開き悲鳴をあげた。慌てて椅子から立ちあがる。
すると、ドアノブにぶらさがっていた
続いて天井や壁のいたるところにぶらさがっていた護符が腐食して、ぶつり、ぶつり……と、床に落ち始める。
白髭の男は再び絶叫する。
その瞬間、通風口から黒い煙のような何かが爆音を撒き散らしながら一気に噴き出した。
それは世界最大級の蜂――雀蜂の群れであった。
その黒雲のような軍勢は瞬く間に部屋に
男は目の前の書斎机に置いてあったICレコーダーを手に取ると、バルコニーへと通じる扉へと駆け寄り外に出た。
しかし、黄色と黒の襲撃者たちの仲間は外にも周り込んでいた。
建物の外壁に沿って、バルコニーの両側から、恐ろしい毒虫の黒雲が突っ込んでくる。
男は悲鳴をあげてバルコニーの手すりに足をかけた。飛び降りようとしたその瞬間に、顔の周囲を数匹の雀蜂がまとわりつくように飛び交い始める。
男は両手を振り乱す。そして足を滑らせ落下した。
雀蜂の羽音を割って鳴り響く、湿った落雷のような音。
花壇の縁の煉瓦で右前頭部を強打し、彼はヒクヒクと四肢を
落下の際に男の手を離れたレコーダーは、花壇に生えた
……それは、しばらくの間、誰にも発見される事はなかった。
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