【06】調査


 二〇一九年十一月二十一日の昼頃。

 西新橋の少し奥まった路地にある喫茶店だった。

 未だに昭和の雰囲気を残す小ぢんまりとした店内には、香ばしい珈琲の薫りが漂っていた。

 外に面した壁は全て硝子張りで店内は明るい。L字型のカウンターには、茶色いビニール革のストゥールが並んでいる。

 今時珍しく店内での喫煙が可能で、そこかしこから紫煙が立ちのぼっている。

 その窓際の席で、九尾天全はスーツ姿の若い男と向き合っていた。

 神経質そうな銀縁眼鏡に整った顔立ち。

 彼の名前は穂村一樹ほむらいつき

 一応は警察関係者で、キャリア組のエリートであるらしい。

 しかし九尾は彼が警察内で、どういう立場にあり、どこに所属して、どんな仕事をしているかなど、まるで知らない。

 ただときおり、その手の案件・・・・・・を九尾の元へと運んでくる。

「禁煙やめたんだ? これで何回目だっけ?」

 九尾はレトロな硝子皿に乗せられたプリンアラモードをスプーンですくい口の中に入れた。

 すると穂村はマイルドセブンのフィルターを唇から放して、もうもうと煙を吐き出す。

「ああ。勘違いしているようだが、俺は禁煙が趣味なんだ。禁煙をする為には煙草を吸わなくてはならない。解るか?」

「あっそ……」

 九尾はジト目で呆れ、再びプリンアラモードを口にする。

 すると穂村が煙草の灰をトントンと灰皿に落として話を切り出した。

「そんな事より、頼まれた件、調べておいたぞ」

「おお。流石は我が心の友よ」

 おどけた調子の九尾を無視して穂村は、A4サイズの封筒の中にあった資料を取り出した。

 その紙面に目を落としながら語る。

「数寄屋満明……一度、傷害でパクられてるな。一九六六年だ。前科はそれだけだが、色々とぶっ飛んだ野郎で、当時は、かなりその手の界隈かいわいでは有名だったらしい」

「その逮捕されたのって、やっぱり学生運動がらみ?」

「いいや……身内の喧嘩けんかだな」

 穂村は煙草をふかす。

「……数寄屋には親しくしていた従弟が同じ大学に通っていて、そいつを半殺しにしている」

「理由は……?」

「数寄屋の供述によれば、その従弟が自分を裏切った事が動機らしい。それ以上の事は解らん」

「従弟の方は、何と?」

「それが、すっかり怯えて口をつぐんでしまったのだそうだ。被害届もすぐに取りさげられた。それで、一週間後の事だ。その従弟が入院していた病院で首を吊って死んだ」

 恐らく呪い殺されたのだろう……九尾はピンときた。

「それで、その病室には遺書……というかメモ書きが残されていた」

「何て……?」

「“一族は竜の逆鱗げきりんに触れようとしている”と……」

「逆鱗……?」

 九尾は首を傾げる。

 すると穂村が、

「逆鱗というのは韓非子かんぴしの……」

 と、鹿爪らしい顔で解説を始めたので、九尾は右手をかざし彼の言葉を遮った。

「それは知ってる」

 穂村は少し悲しそうな顔で、眼鏡のブリッジを左手の人差し指で押しあげて煙草を口にした。

「……で、群馬の隠首村の方は?」

「ああ。数寄屋邸の集団失踪の件はかなり有名みたいだぞ。一九六九年の十月頭に事態が発覚。村で大騒ぎになり、ふもとの町の警察が屋敷内に立ち入っている。それによると当時、数寄屋邸で寝泊まりをしていた数寄屋満明らと使用人二十数名が忽然こつぜんと姿を消していたらしい。彼らの私物や車、靴などは全て残されていたそうだ」

「ふーん。日記に書かれていた事は事実なのね……」

「日記……? ああ、君の依頼人の旦那のか」

「そうね」

 穂村にはざっとだが事情は説明済みであった。

「それから、警察の調べによると、失踪が発覚する前の明け方近くに、数寄屋邸の逗留客とうりゅうきゃくの一人が逃げるように村を後にするのを見かけたという証言が、農作業中の村民からあったらしい。これは……」

「間違いなく藤村さんでしょうね」

 九尾が言葉を引き継ぐ。

 そこで穂村が煙草を灰皿に押しつけてもみ消すと、すっかり温くなった珈琲に口をつけた。

「まあ、そんなところだ。詳しくは、その封筒の中にまとめた資料があるから、それを読んでくれ」

 穂村は取り出した資料を封筒に入れて九尾に渡す。

 九尾は受け取った封筒の中身を覗き、ざっと目を通した。

 数寄屋や隠首村について調べてもらうよう頼んだのは昨日である。それにしては情報量が多く、よくまとまっていた。

「相変わらず仕事が早いわね……」

 最早、変態的ですらある。

「あなた、ひまなの?」

「馬鹿言え。これで貸し一つだ。君に貸しを作りたくて、忙しい中、時間をぬって頑張ったのだから勘違いしないで欲しい」

 ツンデレ台詞ではなく、本心だろう。彼と九尾は持ちつ持たれつの協力関係にあるのだ。

「はいはい……あれ?」

 封筒の中に入っていた一枚の写真。

 そこには長髪のタートルネックのセーターを着た男が写っている。

 どこかの喫茶店か飲み屋の店内らしい。ソファーに腰を埋めて両足を組み合わせている。

 やせぎすで目付きが鋭く、釣りあがった口角が道化師染みて見える。

「この男が……」

「ああ。数寄屋満明だ。その隣に座っているのが例の被害者の従弟の諏訪部誠すわべまこと。暴行事件の数日前に撮られたものらしい。昨日やつの行きつけだったスワンという喫茶店に行ってきた。そこのマスターの提供だ」

「まだ、店やってるんだ……」

「今時、煙草の吸える喫煙店は貴重だからな。都内にある店舗はだいたい網羅もうらしている」

 どや顔をしながら右手の人差し指でこめかみを突っつく穂村。

 やっぱり煙草を吸うのが好きなんじゃないか……と、思ったが突っ込まなかった。

 因みに現在のスワンのマスターは当時のマスターの息子らしい。

 そこで穂村は腕時計を確認すると伝票を持って立ちあがる。

「そろそろ戻らなければならない」

「おごり?」

「ああ。経費で落とす。君はゆっくりプリンアラモードの残りと珈琲を楽しんでいきたまえ」

 そう言ってレジへと向かう穂村を見送りながら、九尾は独り言ちる。

「経費って事は、このプリンアラモード……血税なんだよね……」

 何となく微妙な気分になりつつも、しっかりと完食し店を出た。


 そのあと、三鷹にある藤村幸子の自宅へ向かい、念の為に一九七〇年以降の日記も見せてもらう。

 日記は一九八〇年八月で唐突に途切れていたが、そこまでに隠首村や禍つ箱、数寄屋といった単語は確認されなかった。

 なお、幸子によると、あくまでも彼女の知る限りではあるが、この年の八月に何か特別な事があった訳ではなく、日記を書かなくなったのは何となくだろう……との事だった。





 その翌日の二十二日。

 九尾のもう一つの仕事――占いショップの絡みで、どうしても外せない用事があって丸一日を費やす。

 そして十一月二十三日。勤労感謝の日だった。

 早朝、九尾は隠首村へと向かう為に家を出た。

 取り合えず、隠首村に程近い県境の山間にある温泉地に宿を取る。

 上野から新幹線に乗り込み、シートに腰を埋めながら九尾が熱心に読み込み始めたのは穂村からもらった資料ではなく、旅行ガイドであった。

「よいわね。このぽんしゅ館……仕事が終わったら絶対に行こう。ふーん、そうか。今は新酒の時季なのね」

 ……などど、ぶつぶつ呟きながら、だらしなく笑う凄腕霊能力者、九尾天全。

 しかし、彼女は思いもよらなかった。

 このあと間もなく、あの驚愕きょうがくの光景を目の当たりにする事になろうとは……。

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