【01】禍つ箱


 二〇一九年の十一月二十日の昼前だった。

 都内某所にある占いショップ『Hexenヘクセンladenラーデン』の二階にある客間での事だった。

「九尾先生は禍つ箱という呪物じゅぶつをご存じですか?」

 応接の古めかしい猫足ソファーに腰をおろした七十歳くらいの女性が、対面に座る九尾に問うた。

 名前を藤村幸子ふじむらさちこという。知り合いから本物の霊能力者である九尾天全の話を聞いて、この店にやってきたのだという。

 そんな藤村の質問に九尾は答える。

「ええ。知っています。蓋を開けた途端に周囲へ呪いを振り撒く呪物ですね」

 禍つ箱は島根発祥の呪物、コトリバコの亜種である。

 コトリバコとは違い、蓋が閉まったままでは効果を発揮しない。

 しかし、いったん蓋を開けてしまえば、その周囲で様々な災禍を巻き起こす“呪術爆弾”だ。

 山陰地方のある呪術一派が口伝のみで、製法を伝えていたと言われているが、現代では既に失われている。

 九尾が禍つ箱について解説すると藤村は、

「流石は本職の方ですね」

 と、満足げに頷く。

「……それで、その禍つ箱がどうされましたか?」

 九尾に促され藤村は語り始める。

「実は、先月、夫の丈昭が肺癌はいがんで亡くなったのですが……」

「それはお悔やみ申しあげます」

「……その少し前でした。病床の夫からおかしな話を聞いたのです」

「おかしな話?」

「ええ。先生は、昭和四十四年に起こった新宿のジャズ喫茶火災を知っていますか?」

 九尾は己の記憶を探る。

「ああ。えっと、確か……」

 九尾は自分が知り得ている情報を口にする。

 ……それは、昭和四十四年の九月十六日だった。

 新宿の雑居ビルの地下一階に軒を構えていた純喫茶『風の詩』で、火災が発生した。

 十六名が死亡したのだが、犠牲者のほとんどが中核派の学生運動家だった為、革マル派による内ゲバだとか、そう見せかけて両党派の対立を煽ろうとした公安の仕業だとか……陰謀論者によってときおり題材にされる事件であった。

 因みに公的な記録には、出火原因は厨房のフライヤーの油が何らかの原因で引火したという事になっている。

「そのジャズ喫茶火災を起こしたのが自分たちだと夫は言うのです。禍つ箱によって……」

「それは……」

「最初は禍つ箱というのが何の事か解らず、その……夫は若い頃、学生運動に傾倒けいとうしていて」

 どうも彼女は“禍つ箱”というのが、その手の学生たちの間で使用される“時限爆弾”の隠語であると最初は思ったらしい。

「……それで、色々と調べる内に、その……とんでもない物である事が解って……」

「でも、よく呪いだとか、そういった物を信じようという気になりましたね。いくら病床の旦那さんの言葉とはいえ」

「いや。私の実家は信心深い家風でして」

「成る程」

「それに、私に九尾先生の事を教えてくれた知人が……神楽坂かぐらざかさんというんですけど」

「ああ……」と九尾は納得する。

 神楽坂は様々な霊を引き寄せてしまう厄介な体質の持ち主だった。

 この店にも良く相談に訪れる。九尾にとって常連客である。

「神楽坂さんから色々と話は聞いてますし、彼女に巻き込まれて私も不思議な体験をした事がありますので」

「そうでしたか……」

 そこで藤村はひとつ咳払いをして話を戻す。

「……それで、夫は言うのです。『隠首村に残してきた禍つ箱が気がかりだ。あれを処分してくれと……』と」

「隠首村……」

 九尾は、その不気味な地名をそっと呟く。

 どこかで聞いた事がある……しかし、すぐには思い出せなかった。

 これを尋ねると群馬県の山間にある村なのだと藤村は答える。平成に入って間もなく、村に住む住人がついえて、廃村となったらしい。

「……思えば夫は、ある時からパタリと、そういった活動から足を洗ったのですが……その直前に数日間、どこかへ旅行へ出かけていたように記憶しています」

「その行き先が、隠首村……」

「ええ。多分。村の場所は……」

 九尾は首を横に振る。

「それは、後で調べますので話の続きを……」

「ああ、はい。……先程も言いました通り、夫は全共闘世代で学生運動に傾倒していました。日本をひっくり返す為に、仲間たちと共に、隠首村で、かなり大きな禍つ箱を製作したそうです」

「それが今も隠首村に……?」

 九尾の問いに藤村は頷く。

「その箱を九尾先生に処分して欲しいのです」

「箱は、その隠首村のどこにあるのですか?」

 この質問に藤村がうつ向いて首を振る。

「解りません。それを聞く前に、夫は意識を失ってしまって……具体的な大きさも形も場所も……まったく」

 そのまま、意識を取り戻す事なく、丈昭は死亡したらしい。

 そこで藤村は顔をあげて懇願こんがんする。

「お願いします。九尾先生……夫の心残りを…どうにか晴らしてやってください」

 是非ぜひもない。

 九尾は思った。

 そんな危険な不発弾の如き呪物が、未だにどこかで眠っているだなんて、ゾッとする。

 何とかしなくてはならない。

 九尾天全は、この依頼を受ける事にした。

「解りました。請け負いましょう」

 その言葉を聞いた途端、ずっと緊張ぎみだった藤村は表情をほころばせる。

「ありがとうございます……ありがとうございます」

 そう言いながら藤村は、鞄の中から一冊のノートと古びた鍵を取り出す。

 ノートの表紙には『1969~1970』と記されている。

 鍵は十センチくらいの木製で、真鍮しんちゅうのメッキが施されていた。

「これは……?」

 と、九尾がたずねると藤村は言う。

「夫の書斎の施錠された引き出しの中に、その日記と鍵が……」

 この日記だけ、他の年度の物と別々になっていたのだという。

「何かの手がかりになればと……」

 一九六九年といえば、昭和四十四年――つまり、くだんのジャズ喫茶火災があった年である。

 藤村は応接卓の上に置いた日記と鍵をまるで忌まわしい物であるかのように九尾の元へと押しやる。

「中身は……読まれたのですか?」

 この質問に対して藤村は泣きそうな顔で首を横に振り、

「いいえ。怖くて、開いてすらいません……」

 と、言った。そして、こう続ける。

「夫が……その、まさか、こんな恐ろしい事を……」

 藤村は青い顔で唇を戦慄わななかせた。

 そこで九尾は一つの疑問を抱く。

 藤村丈昭の今際いまわきわの言葉が本当だとするならば、なぜその禍つ箱は開かれる事がなかったのだろうか、と――。

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