幕間

Interludo  それぞれの日常


 都内某所にある、占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン


 その店内の奥にある古びたカウンターで頬杖を突きながら、九尾天全は大きく欠伸あくびをした。

 外では朝から小雨が降りしきっており、往来おうらいに人通りはない。

 空には暗雲が漂い、日の光もない。

 客足もまったくなく、九尾はひまを持て余していた。

 この季節特有の湿気を含んだ冷たい空気。

 こんな鬱々とした日は、どうしても思い出してしまう。

 過去に犯した失敗の記憶を――




 九尾天全の霊能者としての失敗は、あのスウェーデン堀の一件を除けば過去に二度。

 一つは六年前。

 ある骨董品を除霊する事になった。

 九尾が見たところ、その品に宿った悪霊の力は大したものではないように思えた。

 さっそく除霊に取りかかり、何の問題もなくはらえた……かに思えた。

 依頼者も涙を両目に溜めながら、何度も九尾に礼を言って、除霊の済んだその骨董品と共に家へと帰っていった。

 すべては終わった。九尾はそう考えていた。

 ……しかし、その悪霊は狡猾こうかつだった。

 本来の力を悟られないように隠し、除霊をされた振りをしていたのだ。

 悪霊の演技に九尾も依頼者もすっかりと騙されてしまった。

 数日後、依頼者が自宅で何者かに殺された事を知った。そして例の品は彼の家から跡形もなく消えていた……。

 未だに犯人も、その呪いの品も見つかっていない。

 しかし、九尾は確信していた。自分が取り返しのつかない失敗をし、依頼人は呪い殺されたのだと。




 もう一つは、最初にして最大の失敗――

 それは瀬戸内海に浮かぶ夜鳥島ぬえじま箜芒邸くのぎていでの事。

 あの忌まわしき魔境に棲まう悪霊になすすべもなく、命からがら逃げ帰った。

 多くの犠牲を払って……。

 脳裏に蘇る苦い記憶と共に、九尾の瞳に暗い復讐心の炎が宿る。


「いつかまた、あの島へ……」


 しかし、自分はあの強大な存在に……あの最悪の怪異に……打ち勝つ事ができるのだろうか。

 箜芒甕子くのぎみかこの亡霊に……。

 思考が陰の方向へと引きずられる――

 その時、頭に思い浮かんだのは、あの二人の女子高生の顔だった。


 あの二人なら、あるいは……。


 そこで九尾はかぶりを振ると、自嘲気味じちょうぎみに微笑んで独り言ちる。

「わたしったら、何を考えているんだろう……」

 あの最悪の心霊スポットに彼女たちを連れていける訳がない。

 九尾はそこで思考を中断させた。

 すると、カウベルが鳴り客がきた。

 九尾は慌てて立ちあがり、営業スマイルで客を迎え入れた。




 何事もなく十一月最初の日曜日になった。

 この日は気候も穏やかで昼過ぎからは、晴れ間も覗いていた。

 そんな中で、藤女子では第五十七回『藤花祭』が、開催された。

 晴れやかな雰囲気の学校の裏手にある、東校舎の二階だった。

 普段は視聴覚室として使われているその教室は、休憩所となっていた。

 折り畳みの会議机と椅子が幾つか並べられている。

 この日は一般公開日だったので、保護者や他校の生徒など藤女子の生徒以外の姿も見られた。

 その一角での事……。

「何なんですか! 先輩と私は凄く忙しいんです! 邪魔しないでください!」

 と、まくし立てるのは一年生の犬吠麻子であった。

「……あ、ハイ」

 あまりの剣幕に桜井はたじろぎ、半歩だけ後退りする。

 桜井は、茅野循、西木千里、速見立夏と共に校内を回っていた。

 その最中に、この視聴覚室の休憩所に立ち寄ったところ、あのゴニンメサマ事件の依頼者である倉本百子と入り口でばったり鉢合わせた。

 あまり関わりたくない相手だったが、社交辞令的に軽く挨拶をしたところ、隣にいた犬吠麻子が唐突に声を張りあげたのだ。

「もう、こんな不躾ぶしつけな人たちなんか放っておいて早く行きましょ、先輩。二人だけの思い出たっぷり作りましょうね?」

「……うん」

 と、緩慢かんまんに頷いた倉本の眼は完全に死んだ魚のそれだった。

 頬もけており、目の下のくまも酷い。

 腕を引かれ、フラフラと立ち去る倉本に向かって茅野は「それじゃ、またの機会にでも」と手を振る。

 すると、犬吠が凄まじい形相で茅野を睨み返してきた。

 四人は唖然としながらも視聴覚室の中に入り窓際の席に腰をおろす。

「何なのかな? あれ……」

 桜井がお好み焼のパックにかかった輪ゴムを外しながら不安げな顔で言った。

 すると速見が苦笑しながら……。

「噂では、犬吠さんと倉本先輩、付き合ってるらしいっすよ」

 と、声を潜めて言った。

 すると、桜井が得心した様子で頷く。

「じゃあ、倉本さんはちゃんと吹っ切れたんだね」

「幸せそうで何よりだわ」

 茅野はどこか皮肉めいた口調でそう言って、甘い缶珈琲のリングプルを開けた。

「あれ、幸せなのかなぁ……」

 西木は曖昧な表情で首を傾げ、たこ焼きに爪楊枝を刺した。

 そして何気なく窓の外を見ると……。


「あっ!!」


 唐突に声をあげる。

 桜井、茅野、速見は何事かと、窓際に寄った。

 すると、その学校裏手の人気のない場所で、オカ研顧問の戸田純平が可愛らしい少女と向き合って何事か話している。

 ショートヘアでボーイッシュな格好をしており、小学生三、四年程度に見える。

 体型はすらりとして目鼻立ちも整っていた。

 それを見た速見が……。

「ついに、やりやがりましたね。あの先生……」

「いやいや、流石の・・・戸田センでも、まさか学校内で小学生を連れ去りだなんて……」

 西木は自分の目で見た物が信じられないようだ。

「いや、あれは、たぶん戸田センセの娘だよ」

 そこで桜井がきっぱりと言う。

 すると速見と西木がまったく同時に「嘘っ!」と声をあげた。

「本当よ。以前、本人の口から聞いたのだから間違いはないわ。戸田先生は既婚者よ」

 茅野が補足すると、再び速見と西木は「嘘っ!」と声を揃える。

「いやいや、茅野っち。それ、絶対に叙述じょじゅつトリックだって」

「そうですよ。だって、あの子、遠目に見て解るぐらい、めっちゃ美少女っすよ? どこに戸田先生の遺伝子が……」

 やはり、二人は信じられないらしい。

 桜井は茅野と顔を見合わせて肩をすくめ、苦笑する。

「戸田センセの嫁と娘の実在を証明するのは、幽霊よりも大変そうだね」

「本当にね」

 そこで茅野が黒板の上の時計を確認して、腰を浮かせた。

「そろそろ、校門に弟が来る頃だわ。迎えに行ってくるから、ここで待ってて」

「いってらー」

 と、西木は手を振る。そして速見がアリスのチェシャ猫のように笑った。

「西木先輩、知ってます?」

「何が? 速見ちゃん」

「循先輩の弟、無茶苦茶イケメンなんすよ」

 そこで茅野が右手をパタパタとさせ、

「西木さんは歳上好きだから、うちの弟にはきっと興味を持たないわ」

「歳上キラーだからね」と桜井がつけ加える。

「いや……まあ、肯定も否定もしづらいけど……」

 西木が苦笑する。

「それじゃあ、行ってくるわね」

 茅野はひらひらと右手を振り、桜井と共に視聴覚室を後にした。


 後日『藤花祭の時、戸田純平が小学生女子を連れ去ろうとしていた』という噂が生徒たちの間で流れた。

 しかし、一部の者たちは『流石の・・・戸田先生でも、学校内では・・・・・やらないだろう』と彼を擁護・・した。

 それにより、この件は『迷子の女の子の親を探してやっていた』という無難なところで落ち着いた。

 もちろん、桜井と茅野がとなえた『戸田純平は既婚者で娘がいる』というを信じる者は誰もいなかった。





(了)

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