【02】スキップ


 二人はほこりの積もった薄暗い廊下を進む。

「随分と荒らされているわね」

「仕方ないよ。廃屋の宿命だよ」

 桜井は肩をすくめて、

「結局、この家で起こる現象って何なのかな? 幽霊? 宇宙人? 超能力?」

「どうかしらね。まずはそのアスポーツ現象に何者かの意思が介在かいざいしているかどうかを探る必要があるわね」

「ああ。それは大事だね」

 桜井が頷く。

「いずれにしても、物が勝手に移動するなんて、そそるわね」 

「普通なら百億パーセントあり得ない事だしね」

 ……などと、いつもの調子で呑気な会話をしながら、問題の書斎の洋扉前に辿り着く。

「ここが、問題の部屋ね……」

「鍵、壊れてる」

「ピッキングの腕試しができないのは残念だけれど、まあいいわ」

 茅野が扉を開けた。

 そうして扉口から室内を見渡し、感想を一言。

「この部屋は、あまり荒れていないわ」

「そうだね」

 二人は室内に足を踏み入れた。一通り撮影を済ませる。

「起きないね。アスポーツ現象」

 桜井が何処か残念そうに眉尻をさげる。

 すると茅野が本棚を上から下まで眺めて提案した。

「取り合えず、西木さんの先輩の彼氏が体験した時と同じ状況を再現しましょう」

「同じ状況を再現?」

 桜井が首を傾げる。

「梨沙さん、思い出して。西木さんの話では、アスポーツ現象はどんな時に起こったのかしら?」

 桜井は、しばし眉間にしわを寄せて考えたのちに両手を叩き合わせた。

「部屋を物色している時……つまり、あたしたちも部屋を物色すればいいんだ!」

「正解よ。梨沙さん」

「うわーい」

 無邪気に喜ぶ桜井。

 そして、茅野は床に落ちていた本をドアストッパー代わりにして扉を開けっ放しにし、部屋のすぐ外にバッグから取り出した三脚を立てた。

 そこに回しっぱなしのデジタル一眼カメラを取り付け、再び部屋に戻る。

「それじゃあ、始めましょう」




 裏庭に面した窓の外では、背高せいたか粟立草あわだちそうが黄色い花を咲かせていた。

「鍵が掛かってる……と」

 桜井は入り口右側の壁にあった納戸から離れると、書斎机の方へと向かい、パソコンをためつすがめつ観察し始めた。

「そのパソコンのハードディスクからデータをコピーしたいところだけど、生憎と道具がないわ。持ってくるんだった」

 残念そうにそう言って、茅野が本棚から無造作に一冊を抜き取る。

「物理の教科書……」

 他にも問題集や参考書などがある。すべて高校の物だ。

「学生……じゃないわね。学校の教師……」

「……かもしれないよ」

 と、桜井がクリアファイルから抜き取った紙を見ながら言う。クリアファイルは書斎机の上にあったブックエンドに差してあった物だ。

「“教員各位”だって。これってセンセへの連絡のやつだよね?」

「どれ?」

 茅野が桜井の元へとおもむきプリントを覗き込む。

 どうやら体育祭関連の連絡といくつかの教師向けの注意事項が書かれたプリントだった。

「確かに先生へと向けられた物ね……。『来津高校第三十五回体育祭について』」

 茅野がプリントに記された文字を読みあげる。

「すぐ近くの学校だ」

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

「じゃあ、この部屋の主だったのは、来津高校の教師だった……」

「でもさー」と、そこで桜井が疑問を口にする。

「何かしら?」

「前に戸田センセから聞いたけど、学校の教師って転勤が多かったんじゃなかったっけ? ここ借家?」

 茅野は首を振る。

「いいえ。まだ住人の私物が放置されたままって事は、借家ではなく持ち家でしょうね。教師でも持ち家を持ったり結婚したりすると、自宅から通える範囲での転勤で済むようになるらしいわ」

「教師はブラックって、戸田センセがぼやいてたけど、その辺りは融通されるんだね。流石に」

「まあ、そうじゃなかったら、色々と不都合だもの」

「そういえばさあ」

「何かしら?」

「ここの持ち主の旦那さんって、何で死んだんだっけ?」

「言われてみれば聞いてないわね。西木さんの話の中でも、その辺は触れられていなかったわ……でも」

 と、茅野は入り口の左側の壁に吊るしてあったカレンダーを見る。

「あのカレンダーが当時のままだったとしたら二〇一一年……八年前ね。このディスクトップは相当な骨董品だけれど、八年前ならまだ現役で動いていてもおかしくはないわ。八年前の事故や事件の記事を後で検索してみましょう」

「うん」

 と、返事をした桜井に茅野はプリントを手渡す。

「机の引き出しの中はまだ見てないわよね?」

「うん。そだね。これから」

 と、桜井がクリアファイルにプリントをしまおうとした、そのときだった。


「は……!?」


 桜井は目を丸くする。

 手に持っていたはずのクリアファイルがなくなっていた。そして、すぐ目の前にいたはずの茅野の姿が忽然こつぜんと消えている。

「はああああ!? ……循……?」

 流石の桜井も突然の親友の消失に動揺を隠せない。


「循っ!!」


 次の瞬間だった。

「梨沙さん、慌てないで」

 なぜか茅野が、書斎の入り口の外……カメラの前に立っていた。

「びっくりしたよ……急に消えるんだもん」

 そう言って桜井は、安堵あんどの笑みを浮かべた。




「そのとき不思議な事が起こった……ていうナレーションが頭の中に流れたよ」

「いや、実際に不思議な事は起こった訳だけれど」

 と、苦笑する茅野。

 そうして室内を見渡すと、桜井の手にあったクリアファイルは元々あった位置に戻っていた。

 取り出したプリントもクリアファイルの中にしまわれている。

「……で、アスポった気分はどーお?」

 桜井がワクワクと両手の拳を握り締め、瞳を輝かせて問う。

「アスポったて……」

「で、どうなのさ?」

 茅野は顎に指を当てながら思案して答える。

「それがよく解らないのよ。突然、目の前の景色が変わったというより、書斎の中にいない事に突然気がついたみたいな……」

 そこで、いったん言葉を区切る。

「そう。まるで、時間が飛んだような……」

「……循が部屋を出た事に気がつかず……『結果』だけが残った」

 桜井が「うむむ」と腕組をして唸る。

「まあ取り合えず、カメラの映像を見てみましょう。きっと面白い物が映ってるはずよ」

 そう言って茅野が扉口の向こうで回しっぱなしだったデジタル一眼カメラに手を伸ばす。

 すると……。

「あれ? おかしいわね」

「どしたの?」

 茅野はカメラへと伸ばした手を止めて桜井の質問に答える。

「少しだけ、最初にセットした位置からカメラの向きがずれている……」

「ふうん……。カメラもアスポったの?」

「さあ、どうかしら。取り合えず、動画を再生して見ましょう。考えるのは、それからよ」

 そうして、茅野はカメラのサブモニターで動画を再生する事にした。

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