【File06】クリスタルパレス

【00】不気味な男


 それ・・が最初に目撃されたのは、真冬を名残惜しむかのように寒風吹き荒ぶ三月の中頃の事だった。

 タラバガニのような重機のアームが、コンクリート片の入ったシートの包みを摘まみあげる。それをダンプの荷台にぶちまけた。

 けたたましい音と共に砂埃すなぼこりが舞い散る。

 そこはかつて美容室だった建物の解体現場だった。

 解体工の諸田宏もろたひろしは、大振りのハンマーを手にダンプの荷台へとよじ登る。

 このコンクリート片をリサイクルセンターへと運ぶにあたり、大きな破片をできるだけ小さく砕く作業をこれから行おうとしていた。

 諸田はようやく仕事にも慣れてきた二年目である。

 解体工は辛い肉体労働だが、安全面から日が暮れる前にはだいたいの仕事は終わるし給料も中々いい。

 元々身体を動かす事を苦に感じていなかった諸田は、この仕事にやりがいを見いだしていた。

 同じ職場の先輩も厳しいながら気さくで、いい人たちばかりだった。

 今は色々と指導を受けながら、大型車両の免許習得の為に勉強中であった。

 トラックの運転ができるようになれば、今より給料があがる。

 その日を夢見て、諸田は今日も肉体を酷使する。ダンプの荷台でハンマーを振るい始めた。

 打撃音と共に飛び散った細かい欠片がゴーグルやヘルメット、防塵マスクに当たる。

 それでも、ひたすらにハンマーを振るい続ける。

 気温は身を切る冷たさだというのに、汗が真夏のようにヘルメットの内側から流れ出す。

 それでも諸田はハンマーを振るい続ける……。

 そうして粗方、目につく破片を砕き終わった直後だった。

 ふと視線を感じてそちらの方を見ると、トラックの脇で誰かが自分の事を見あげているのに気がついた。

 見た事のない男だった。

 髪の毛はボサボサで遠目に見てもフケが浮いているのが解った。肌は浅黒く不健康で、着衣は襤褸布ぼろきれのように汚れていた。

 どこかの浮浪者だろうか。諸田は胡乱うろんげな表情で首を傾げる。

 同僚たちが作業を行っているのは、トラックを挟んで、その男が立っている側とは逆方向だった。

 男の存在に気がついているのは諸田だけである。

「オイ、おっさん。どっからきたんだよ?」

 その男は何も答えない。今度はもう少し強い口調で言う。

「オイ、おっさん! 何か俺に言いたい事でもあんのか?」

 やはり男は何も言葉を発しない。

 かわりに口角を釣りあげて、ニタリと不気味に笑う。

 ひび割れたボロボロの唇の隙間から黄ばんだ汚ならしい歯がのぞいた。

 諸田は、その男の態度にカチンとくる。

「何だ? 馬鹿にしてんのか!?」

 と、そこでダンプの運転手で、先輩の徳井とくいがやってくる。

「おう、宏、どうした。誰と話をしてんだよ?」

 諸田は振り向いて徳井に答える。

「あ、先輩。そこに変な男が……」

 と、言いながらもう一度、目線を戻すと……。

「……あれ?」

 男の姿はいつの間にか煙のように消え失せていた。




 株式会社オカシンは、ビルや各種店舗の改装、住居のリフォーム、ハウスクリーニング、解体などを一手に引き受ける、この地方では有名な会社だ。

 その本社屋での事。

 社長の岡崎政直おかざきまさなおは、夏の終わりの夕暮れ時、帰路に着く為に社長室から玄関を目指していた。

 時折、すれ違う社員たちと気のよい挨拶を交わしながら、この日の晩酌のつまみはどうするか、それとも久々に寄り道でもしていくか……などと思案を巡らせていた。

 そして玄関ホールに差しかかり、暇そうに受付カウンター内を箒で掃いていた女性社員に挨拶をして、玄関の自動ドアへと向かおうとしたそのときであった。

 夕日の射し込む硝子戸の向こうに、見た事のない男が立っている事に気がついた。

 格好からすると浮浪者のようだった。

 髪の毛はボサボサで遠目に見てもフケが浮いているのが解った。肌は浅黒く着衣は襤褸布ぼろきれのように汚れていた。じっと、無表情で立ち尽くしている。

「何だ、あいつ……」

 岡崎は玄関ホールの中央付近で足を止めると、その男を睨んだ。

 そういえば……と、岡崎は思い出す。

 ここ最近、耳にした噂の事を……。

 突然、不気味な男が現れて、いつの間にか跡形もなく消え失せる。

 幽霊だと言う者もいたが、岡崎はまったく信じていなかった。

 どうせ、くだらない嫌がらせの悪戯だろう。一発、どやしつけてやる。

 岡崎はそう意気込んで、再び足を踏み出そうとした。

 すると、そんな彼の背後から受付カウンターにいた女性社員が怪訝そうに声をかけた。

「社長。どうされました?」

 岡崎はカウンターの方を振り向き、女性社員に向かって言った。

「おい。警察を呼べ」

「はい?」

 何を言っているのか解らないといった様子で、小首を傾げる女性社員。

 岡崎は苛立ち、声を張りあげる。

「そこにいる男だよ!」

「はい?」

 眉間にしわを寄せ、ますます訳が解らないといった様子の女性社員。

「そこにいるだろ! 小汚ない男が……」

 岡崎はそう言いながら再び自動ドアの方へ振り返る。

 すると、男がニヤリと笑い、黄色く汚れた歯を見せて笑った。

 その瞬間、男の姿が、すう……と、透けていって消え失せる。

「あ……ああ……」

 それを見た岡崎は、あまりの怖気おぞけに膝を折り、その場に座り込んでしまった。

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