【07】中途の家


 あの熊のぬいぐるみはいったい何なのか……茅野は呪いの囁きによって気が散り、まとまらないながらも懸命に思考を続ける。

 すると、そこで桜井が、また顔の前を払う仕草をしながら唐突に滝沢へと問うた。

「そういえば、あのゆーちゅーばーの人とはどこで知り合ったの?」

「知り合ったというより、向こうから突然、連絡があって。私の事を調べたみたいで……」

 滝沢は呪われていなかったので、あの家の危険性を認識していなかった。だから、スウェーデン堀たちに立ち入る事を許可した。

「最初は、自主製作映画の撮影に使いたいから、あの家への立ち入りを許可して欲しいという話でした」

「自主製作映画? まあ自主製作映画といえばそうかもしれないけどさあ……」

 桜井が少し憤慨した様子で頬を膨らませる。

 滝沢は苦笑する。

「まさか、あんな使われ方をするだなんて思いませんでした。初めからそうと解っていれば、断ったと思います。やはり自分の生まれ育った家がお化け屋敷呼ばわりされるだなんて嫌ですから」

「当然だよね! って……まあ、あたしらもお化け屋敷呼ばわりして、勝手に入っちゃったけど」

 しょんぼりと肩を落とす桜井。

 しかし、滝沢は気安い笑みを浮かべる。

「いえ。それは良いんです。ろくに管理もできずに放置している、こちらにも問題はありますから」

「……で、堀さんも、今の私たちと同じように貴女の元へとやってきたんですね? 呪いを解く鍵を求めて」

 茅野が話を軌道修正する。

「そうです。あの日、駅から家に帰ってきたら、あの男が門の前で待っていて……」

 因みに彼女は現在、県庁所在地にある医療福祉の専門学校に電車で通っているらしい。

 そして、ちょうどその日は、滝沢と同居していた親戚……叔父と叔母は出掛けており、家に誰もいなかったのだという。

「それで……あの男が血走った目で、呪いがどうとか、変なモノが見えるとか言い出して、十二年前の事や兄について色々と尋ねてきて……」

 堀の様子は明らかにおかしく、更に撮影の件で騙されたと感じていた彼女は、彼を拒絶しようとしたところ……。

「逆上した、と……」

 茅野の言葉に滝沢は頷く。

 当たり前だが、彼女は呪いだなんて話は信じていなかった。

 そのときも何かの撮影で、カメラを隠し持っているかもしれないと疑ったのだという。

「……でも、あの男だけじゃなくて、貴女たちからもそんな話を聞かされて……今は半信半疑ではあるけれど、あの家には良くない影響を人に及ぼす何かがあるのだと、そう思い始めています」

「その後、堀から、もしくは富田という人物から連絡はありましたか?」

「いいえ。まったく。一応、警察の人はパトロールを強化すると言ってはくれましたが……」

 やはり怖いのだろう。

「それなら安心してください。恐らく彼は、もうそれどころじゃないと思いますから」

「はあ……」

 気の抜けた返事をする滝沢。

 そんな彼女に茅野は改めて問うた。

「私たちは、呪いを解く為の鍵を探しています。そこで、質問したいのですが」

「ええ、私に答えられる事ならば……」

「率直にお尋ねしますが、お兄さんを殺したいほど怨んでいた人物はいませんか? もしくは、その日、お兄さん以外の家族が旅行に出た事を知っていた人物は……」

「なぜ、そんな事を聞くのですか?」

 怪訝そうに首を捻る滝沢に、茅野は自分の推測を聞かせた。

 十二年前の当日、何者かに追い詰められた信二は押し入れに閉じ籠り、そこで運悪く火災が起こってしまったのだと……。

「……行きずりの強盗か何かであればお手上げですが、もしも私の想像が正しいのなら、呪いを解く条件は、お兄さんを死に追いやった犯人を探す事なのではないか、と……」

 茅野の話を聞いて、滝沢はすぐに首を横に振る。

「たぶん、それはないと思います」

「それはない? なぜです?」

「まず、兄は人付き合いが苦手な人だったので、怨みを買うほど深く付き合っていた人なんかいなかったと思います」

 当時の滝沢信二は自室に閉じ籠り、ひまがあればパソコンのキーボードを叩いているような人間だったらしい。学校も休みがちだったのだとか。

「それと、実は消防へ火災の通報をしたのは兄なんです」

「え?」

 予想外の情報に茅野は目を丸くする。

「……つまり、お兄さんは押し入れに隠れる時、電話を持ち込んでいたって事?」

 桜井が首を傾げる。

「そうです。携帯電話とノートパソコン。ペットボトルが押し入れの中で兄の遺体と一緒に見つかりました。だから、もしも誰かに殺されそうになっていたのだとしたら、兄は助けを求める事ができた訳です。でも、そういった通報はなかった」

 桜井が頭を両手で押さえ込む。

「うわあぁー、じゃあ、お兄さんは何で閉じ籠ったまま逃げなかったの? もう訳が解らないよ……」

「それに関しては、私も何とも……」

 滝沢は申し訳なさそうにうつむく。

 すると、次の瞬間だった。


「ひょっとして、まだ途中なのか……」


 茅野が大きく目を見開きながら言った。

 その表情は、どこか狂気じみて見えて、桜井はぞっとした。

「だ、だいじょうぶ? 循……」

 恐る恐る尋ねると、茅野はおもむろに立ちあがる。

「滝沢さん」

「はい?」

 怖々と茅野を見あげる滝沢。

 そんな彼女を力強い眼差しで見据えながら茅野は言った。

「私たちはこれからもう一度、あの榛鶴の家に行ってきます」

「は……?」

 滝沢は困惑する。

 茅野は次に桜井の方を見る。

「梨沙さん、行くわよ! 全てを終わらせに」

「……という事は、呪いを解く方法が解ったんだね?」

 茅野は、その相棒の言葉に力強く頷き返す。

「ただ、この方法で上手く行くかは解らないわ。もしかしたら呪いは解けないかも。でも少なくとも、これ・・が何なのかは解ったわ」

「いいよ。当たって砕けよう。あたしは循を信じるよ」

 桜井は残った麦茶を飲み干して、その空になったグラスの底を応接卓に叩きつけた。そして、立ちあがる。

「それでは滝沢さん。我々はこれで失礼させて頂きます」

「えっ、ア、ハイ」

 戸惑い、半笑いで頷く滝沢。

「梨沙さん。まずは準備する物があるわ」

「がってん!」

 二人は、バタバタと慌ただしく居間を後にした。すると、

「あら。お昼、出前を取ろうと思っていたのに、どこへ行くのよ?」

 遠くから桜井の母の声が聞こえる。

 独り取り残された滝沢は呆然とする。

 このとき、居間の古めかしい時計の針は、十二時三十分を回ったところだった。




 ちょうど、桜井と茅野が榛鶴市に着いた頃だった。

 そこは県庁所在地の駅の南口。

 雑踏の中、富田憲吾は九尾天全と向き合っていた。

 九尾天全はまさに年齢不詳といった外見であった。

 ぱっと見は若いのだが雰囲気が落ち着いており、それなりに年齢を重ねているようにも思えた。

 全体的に色が薄く、頬にはそばかすが浮いている。どうやら北欧系のハーフのようだ。

 裾丈の長い黒のワンピースを着ており魔女じみている。

 挨拶を済ませると九尾は富田に質問を発した。

「それ……何ですか?」

 彼女の言うそれとは富田が手に持ったビデオカメラである。

「いえ。今回の事を記録しておこうと思いまして……」

 ばつが悪そうに笑う富田に、九尾天全は呆れた様子で肩をすくめた。

「構いませんが。これ、配信するんですか?」

「ええ。できれば、そうしたいと考えています」

 すると九尾は、その表情にあからさまな嫌悪感をにじませる。

「ならば、わたしの顔は映さないで頂けますか?」

「え……ああ、はい。後で目線を入れておきます」

 と、答えながら富田は内心で思った……もったいないと。

 肩口までのダークブロンド。白蝋のように青ざめた肌と大きな瞳。通った鼻筋。

 九尾の顔立ちは恐ろしく整っていた。どこかのファッションモデルを思わせる。

 その美貌を踏まえ、富田は脳内で素早く打算を巡らせた。

 修正は最低限の目線のみで済ませて、九尾の美貌をアピールする。

 美人霊能者として評判になれば本人だって悪い気はしないはずだ。そうなれば、改めて出演交渉をして再開後の『The Haunted Seeker』でご尊顔をお披露目する。

 これは、新たな金づるだ……きっと登録者数も跳ねあがるに違いない。

 富田はよこしまな笑みを浮かべる。

「……さん。富田さん……」

「あ、ハイ」

 狸の皮算用に没頭していた富田は我に返る。

「早く、貴方のお友達のところへ行きましょう」

「あ、解りました」

 九尾と富田は駐車場へと向かった。




「あたし、これが終わったら、循と夏祭りで一緒に花火を見るんだ……」

「やめなさい。縁起でもない」

 茅野と桜井は発狂の家の玄関を潜り抜ける。

「まずは、あの熊のぬいぐるみを探すわよ」

「了解」

 二人は注意深く廊下を進む。

「……だんだん、酷くなっているわ。梨沙さんもでしょ?」

「うん」

 桜井は顔の周りを飛び交う虫を払うような仕草をしながら言った。

「赤い女の人、最初は見てるだけだったけど、段々と触ってくるようになってきた。循は?」

「ずっと、囁いている声……何を言っているのかはっきりとしてきたわ」

「何て言っているの?」

「ただシンプルに『死ね』と『殺せ』よ」

「……確かに怖いけどさ」

「けど、何?」

「循って普段から、“死ね”とか“殺せ”とか、そんな歌詞の曲ばっかり聴いてるじゃん。それと何が違うの?」

「まあ違わないわね。リズムとメロディと和音がないだけで」

「やっぱ、結構違うじゃん」

「それは兎も角、ああいう曲を普段から聴いていなければ、耐えられなかったでしょうね……私は今頃、盛大に発狂していたわ」

「役に立つもんだね。そういう曲でも」

 ……などと、言葉を交わしながら家の奥へ奥へと進んでゆく。

 そして二人は一階の風呂場に着いた。

 脱衣場の磨り硝子の戸は割れており、タイルの隙間は黒黴くろかびで埋まっていた。外に面した磨り硝子には裏庭の木陰が映っている。

 桜井と茅野が浴槽を覗き込むと、そこには……。

「あったよ」

「ええ。ここに戻っていたのね・・・・・・・・

 空っぽの浴槽に例の熊のぬいぐるみがあった。

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