第2話

 「ん、ん~・・・」


 カーテンの隙間から差す日の光のせいなのか、思わず眠りから覚めてしまった。

 スマホの画面をタップして時間を確認すると、時刻は6時25分。

 いつもよりも5分早く目覚めたということになる。

 残りの5分をどのように過ごそうか。

 もう少し寝ていたい気もするが、5分程度の2度寝じゃ物足りなくて逆にストレスが溜まってしまいそうだ。

 そう思い立ち、ゆっくりと身体を起こす。

 目に刺激を与え過ぎないようにこれまたゆっくりとカーテンを開ける。


「う……」


 ゆっくりカーテンを開けてもやっぱり眩しいものは眩しい。

 まだ寝ぼけているせいか、そんな簡単なことすら考えられず自然の力に圧倒される。

 窓は開けっぱなしで寝ていたため、太陽の光と同時に少し湿った暖かい空気が同時に身体に触れる。

 昨日、友助が前橋さんの話をしたからなのか、なんか懐かしい夢を見た気がする。

 今となっては良い思い出で、もう二度と戻れないあの日の夢を。


 ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ


 スマホのアラームの設定をオフにするのを忘れていたいので、音が鳴ってしまった。

 慌てて停止。

 あまり音が大きすぎると家族を起こしてしまうため音量は控えめだ。

 朝には強い方なので、音が小さいとしてもこのアラームらしい機械音を聞けばすぐに目を覚ますことができる。

 以前は好きなキャラクターボイスを目覚まし代わりにして、爽やかでスイートな目覚めを演出したこともある。

 しかし、結果は癒され過ぎて逆に眠気を催し、学校に遅刻しそうになった。

 それ以来アラーム音は、あらかじめスマホ内に実装されている機械音にセッティングしている。


「ぅわぁ~~っ……」


 大きなあくびをしながら、まずは着替えるために壁にかけてある制服に袖を通す。


「おはよう」

「……」

「まだ眠そうね。寝顔はちょっぴり可愛かったわ」

「……」


 ……ん?

 何か話しかけられている気もするが、ここは俺一人だけの部屋だ。

 誰かがいるはずなんてない。

 まだ寝ぼけているのか。

 それにしても懐かしい音色だ。

 きっとあの夢のせいだろう。


「君はいつまでたっても変わらないわね。ここまで無視されるとさすがに傷つくわ」


 まるであの夢みたいなやり取りだ。そろそろ頭も起きてきたし、先に顔を洗ってくるか。


「君に言ってるんだよ、太田直行君」


 ……えっ?

 はっきりと声が聞こえる。

これは夢じゃない?


 そう思い、その声のする方向に身体を向き直す。

 するとそこには、


 ————机に寄りかかりながらまっすぐ俺を見つめる、前橋静香の姿があった。


「えーーーーー!」


 やばっ、と思わず大声を出してしまった口を両手で遮断する。


「やっとこっちを見てくれたわね」

「ま、ま、前橋静香?」

「そうよ、私は前橋静香」


 ここにいるのがさも当然という自然な佇まいで前橋さんが目の前にいる。


「待ってくれ。そうだ、これは夢だ。さっきの夢の続きなのかもしれない」


 そうに決まっている。だって前橋さんは……


「いいえ、これは紛れもない現実よ。受け入れられない気持ちも分かるわ。だって死んだはずの私が、今あなたの目の前にいるんだもの」

「そ、そうだ。前橋さんは事故で亡くなって、学校の机の上には、昨日まで花が置いてあったはずだ」


 目の前にいるなんてことはまずありえない。

 だとしたら、今目の前にいるのは何なんだ。


「でも、なぜだか気付いたらここにいたのよ」

「ていうことは幽霊なのか?」

「確かめてみる?」


 無表情のまま、前橋静香っぽい何かがゆっくりと近づいてくる。


「うっ、やめろ」


 じりじりと壁際まで追い詰められた。


「大丈夫よ、痛くはしないから」


 手を伸ばせばすぐに届く距離。

 目の前には、そこまで大きくもなく小さくもない女の子。吸い込まれそうな大きな瞳。

 前橋さんっぽい何かが俺の顔を目めがけて手を伸ばす。


「ひっ」


 なすすべもなく、目をぎゅっと閉じる。

 何なんだよ、朝から。

 あの夢のせいなのか?

 久しぶりにあの日のことを思い出したから罰が下ったのか。

 いいじゃないか、女の子とちゃんとコミュニケーションを取れた良い思い出なんだから!

 そうやって誰に向けてるのか分からない何かに救いを懇願していると、


「ほら痛くないでしょ」

「ん?」


 恐る恐るぎゅっと閉じていた目を開けていく。最初は薄目でゆっくりと。

 すると視界に広がるのは黒いセーラー服の袖だった。

 ん? 袖?


「うわ~~!」


 驚くことに、前橋さんの手が俺の顔面を通り抜け、しわ一つない袖が目の前にあった。


「ね? 痛くもなんともないでしょ?」

「た、確かに」


 前橋さんの手は俺の顔を通り抜けている。そして何も痛みも、感触すらもない。

 でも、


「ち、近い!」


 すぐさまその場から離れる。

 本当だったら肩がぶつかってもおかしくない距離感にも関わらず、すんなりと移動できた。


「これでわかったでしょ? 私は確かに死んだ。でもここにいるの」


 なんでこの人はこんな状況にも関わらず自然に振舞えるんだろうか。


「じゃあ、本当に君は……あの前橋さんで、幽霊だっていうのか?」

「そうみたいね」

「嘘だろ……」


 さっきまで部屋の中に差し込まれていた日の光がすっかり消えてしまった。

 おそらく曇ってきているのだろう。

 まだ梅雨はあけていないし、今日は雨が降るのかもしれない。

 しかし、今はそんなことどうでもいい。

 天気予報を確認しないととか、洗濯物はどうしようかとか、朝食はどうしようとか、今は考えられない。

 目の前に広がる夢みたいな現実と向き合わねばならないこの状況において、そんなことはミジンコほども重要な事項ではないからだ。

 突然の出来事に、俺はしばらくその場に立ち尽くし、彼女を見つめることしかできなかった。

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