第45話 ただ会いたいだけだった
「――パパ!」
少女が走ってきた。
「おかえりパパ!」
「……ただいま」
その少女を抱き上げてリビングへ行く。――見知った顔の女性がフライパンを曲芸師のごとく操っていた。
「――おかえりなさい」
「おう。今日のご飯は?」
「野菜炒めよ」
「だからそんな派手にフライパン振ってたのか」
「中国の料理人みたいでしょ?」
「火傷するなよ」
ソファへと座る――後ろから出てきたのは、これまた少女。どこか台所の女性と似ている。
「ねーパパ。新しいネイルが出たんだー。……買ってくんない?」
「ダメよ。あんたこの前新しいやつ買ってもらってたじゃない」
「いーじゃんテスト全部95点以上だったしさー」
「ったく……1個だけだぞ」
「やった!パパ大好き!」
「あんまり甘やかさないでよ、もう……」
膝の上には満足そうに座っている少女がいる。義久は少女の頭を撫でた。
「お前は何か欲しいものはあるか。お姉ちゃんに買うんだからお前も1個くらい買ってやるぞ」
「欲しいもの……遊園地!」
「遊園地って――あはは!」
「こりゃ全財産使わないとなぁ」
「ふふっ、せめて連れてってもらうだけにしてあげなさい」
「えー。じゃあ連れてってー」
「よしよし。じゃあ今週の日曜日に行こうな」
「やったぁ――――」
「――はは、は」
義久は倒れていた。いくら
雨水が鼻に入ってきて苦しくなる。苦痛……のはずだ。だが気持ちよさもある。頭がフワフワとするような感覚もしてきた。
うつ伏せのまま空へ目を向ける。悲しいくらいの
――そこに雨宮はいた。生前と変わらぬ美しさ。生前と変わらぬ
「……」
涙が出てきた。――違う。血涙だ。鼻水――これも違う。鼻血だ。唾液のように血も口から出てくる。
謎の力によって
――ぐしゅ。
なんて音が聞こえた。――腹には深い刺傷ができていた。
(痛い――な)
――ぐしゅ。
――ぶしゅ。
――ズッ。
刺さる。刺さる。刺さる。
血が。吹き出た血が顔にかかった。
(あぁでも……もういいか。十分やっただろう)
まだまだ苦しめるつもりなのか。走馬灯がやってこない。当分は死なないのだろうか。
(海琴……生きてくれ。村雨も……ちゃんといい子に育ってくれ)
雨宮は笑っている。ケタケタと笑っている。『あはは』と。『ギャハハ』と。『ざまぁみろ』と。『私を捨てた罰だ』と。
あまりにも酷い顔だ。あまりにも気持ち悪い顔だ。もう見たくない。そう思って義久は目を
(――――――時雨)
「――いやだ」
死にたくない。
「いやだ……いやだ」
まだ――時雨の顔を見ていない。
「死にたくない……死にたくない……!!」
まだ見ていない。村雨の入学式も。卒業する姿も。ウエディングドレスも。孫の姿も。
まだ見ていない。海琴が自分と共に年老いていく姿を。定年退職した後に行くはずだったもう一度の新婚旅行も。海琴のお墓も。
時雨との姉妹喧嘩も。時雨との仲直りも。運動会も。遊園地で遊ぶ姿も。――時雨の笑顔も。
「いやだぁ!!いやだいやだァ!!死にたくないぃ!!死にた、くっ、ないい!!」
何も残っていないはずの体が。痛みに苦しんでるはずの体が。死にかけの体が。
雨宮から逃げるのじゃなく。待ってくれている海琴と村雨、時雨の方へと
「みことぉ!!むらさめぇ!!……いやだぁ……俺は……おれは……」
雨宮は少し驚いた顔をした後――汚い笑いを見せた。
最後の
「時雨……しぐれぇ……」
手を伸ばす。先には何もない。あるわけが無い。
「顔を……顔を見たい……しぐれの……顔を……」
伸ばしても。伸ばしても。届かぬ闇の先。幻想すらも消え去った。届かないと分かっていても。たった一つの望みを捨てきれず。義久は手を伸ばし続ける。
そんな男に雨宮は手を伸ばす。最期の
逃げられない。逃げる気もない。義久はただ生きたいだけだった。ただ死にたくないだけだった。ただ――家族に会いたいだけだった。
「しぐ――れ――――」
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