第34話

 午前中で授業を終えた宏樹は、コジマベーカリー二号店で、晶と二人でレジの業務に就いていた。


「ありがとうございました」


 宏樹が接客を終えると、先ほどから宏樹をチラチラと見ていた晶が声を掛けてきた。


「ねえ、ひろくん。朝、瑠璃ちゃんと何を話してたの?」


 朝、宏樹と瑠璃の教室でのやり取りを見てから、晶は二人が何を話しているのか気になっていた。聞く機会をうかがっていた晶は、ようやく同じ業務になるとさっそく話を切り出した。


「あ、ああ……今は仕事中だから後でいいかな? この後、瑠璃が来て帰りながら話をする予定だから、晶も一緒に話をしよう」


「二人の大事な話を私が聞いてもいいの、かな?」


 瑠璃と宏樹の話し合いと聞いた晶は不安そうにしている。朝の宏樹と瑠璃のやり取りを目の当たりにした晶は、二人に何かあったのではないかと勘違いしていた。


「ああ、晶にも関係のある話だし聞いてほしい」


「私にも……? うん、分かった。仕事が終わった後だよね?」


「六時くらいに瑠璃が来るから、帰りにどこかでゆっくり話そう」


 晶も明日の日曜日は開店から出勤予定なので、宏樹と同じ十八時に退勤となっている。


「Aセットでアイスコーヒーで」


 区切りのいいタイミングで、客がレジに来たため二人は業務へと戻った。




「いらっしゃいま――瑠璃、ずいぶん早かったな」


 カフェブースの清掃をしていた宏樹が、客と思って挨拶をしたのは私服に身を包んだ瑠璃であった。


「読書でもしながらゆっくりしようかと思って早く来たの」


「そっか……瑠璃、晶も一緒に連れて行ってもいいか?」


「宮古さんも?」


「ああ、学校で今朝、俺と瑠璃と話してるのを見てたらしくて、気になっているみたいだ」


「宮古さんもここで働いている以上、無関係じゃないし知っていてもらった方がいいかもね」


 デリシオッソカフェとの買収契約では、コジマベーカリーのスタッフはそのまま雇用継続の条件が盛り込まれていた。久宝パンに買収されたとなると、今後は契約が変わる可能性がある。


「そうだな……後で伝えておくよ」


「宮古さんの姿が見当たらないけど、出勤してるのよね?」


「今は事務所でPC作業をしてるよ」


 晶はPCの作業が得意で事務系の業務もこなすようになっていた。


「やあ、宏樹くん。社長はいるかい?」


「ふ、藤沼社長!? 今日は何かご予定がおありでしたか?」


 不意に声を掛けられ振り向くと、そこには藤沼社長の姿があった。


 ――今日は藤沼社長が来る予定だったっけ……?


「いや、今日は近くに来たから寄っただけだよ」


「そうなんですね。あいにく社長は本店の方に出勤してますので」


「そうですか……それじゃあ、コーヒーでも飲んで休憩してから帰ることにします」


「あ、あの……」


 突然の藤沼社長の登場に驚いたのは宏樹だけではなく、瑠璃も同じく戸惑っているようだ。それもそのはずで、買収した会社の社長が目の前にいるのだから。


「そちらは?」


 藤沼社長は瑠璃に目を向けた。


「藤沼社長、こちらは自分の同級生で久宝パンの社長のご息女です」


 宏樹が藤沼社長に瑠璃を紹介する。


「久宝政光の娘で瑠璃と申します。藤沼社長、お初にお目にかかります」


 瑠璃は緊張した様子もなく、瑠璃は堂々とした態度であった。普段から目上の人に接することが多いのだろう、それは自然に身に付いた所作であった。


「おお、貴女が久宝社長のご息女でしたか。私はデリシオッソカフェの代表取締役社長、藤沼真己です。お初にお目にかかります」


 さすがの藤沼社長も少し驚いているようだ。


「久宝さん、お茶でも飲みながら少しここでお話しませんか?」


「え? えーと……」


 お茶に誘われるとは思っていなかった瑠璃は、返答に困っている。


「会社の話とか難しい話じゃなくて、世間話ですよ。宏樹くんのこととかね」


 あくまで世間話をしようと宏樹の名前まで出し、瑠璃の警戒心を藤沼社長は解こうとしているようだ。


「藤沼社長、ここではなく事務所の方でお話しませんか? 瑠璃が自分のことで何を話すか分からないので、お供させていただきます」


 藤沼社長と一対一では瑠璃も話しづらいであろうと、宏樹は冗談を交えて事務所での会話を提案した。


「べ、別にアンタのことで話すことなんでないわよ!」


 微妙なツンを披露をする瑠璃である。


「はは、宏樹くんと瑠璃さんは、ずいぶんと仲が良いみたいだね」


「まあ、瑠璃とは保育園から一緒ですから」


「そんなに長い付き合いとは……なるほど、それじゃあ、仕方がないかな」


「何がですか?」


「いや、独り言なので気にしないでください。それじゃあ、お言葉に甘えて事務所にお邪魔させてもらおうかな」


 藤沼社長の独り言の様な呟きを宏樹が聞き直したものの、はぐらかされてしまった。


「それじゃあ、瑠璃も一緒に事務所へ行こうか」


 宏樹は藤沼社長と瑠璃を引き連れ、店内の奥の方へと向かった。


「藤沼社長、飲み物を用意します。何がよろしいですか?」


 宏樹は事務所の来客用のソファーに案内した藤沼社長に注文を伺う。


「それじゃあコーヒーをお願いするよ。宏樹くん、仕事中に突然お邪魔して悪いね」


「いえ、今は暇な時間ですし、そろそろ休憩時間ですので気にしないでください」


「あ、あの、コーヒーは私が淹れてきます」


 近くで事務作業をしていた晶が遠慮がちに、給仕役をおずおずと買って出てくれた。


「晶は作業中だし、俺がやるよ」


「いえ、キリが良い所まで入力作業は終わらせたので……大丈夫です!」


「そっか……じゃあ、お願いしようかな。僕はコーヒーで。瑠璃は何にする?」


「宮古さん、私は紅茶をストレートでお願いします」


「はい! しばらくお待ちください」


 晶はパタパタと靴を鳴らし、事務所を出ていった。




「お待たせしました」


 事務所に戻ってきた晶がトレーから飲み物をテーブルに並べた。


「ありがとう。えーと……宮古さん? でしたか?」


 藤沼社長が晶にお礼を言おうとするが、名前がうろ覚えのようだ。


「藤沼社長、紹介します。こちらはアルバイトの宮古さんです」


「宮古さん初めまして。私はデリシオッソカフェの社長で藤沼真己まさきです」


「デリシオッソカフェの!? お、お初にお目にかかります。アルバイトの宮古晶です。よろしくお願いします」


 晶はデリシオッソカフェの社長だと知って驚いているようだ。コジマベーカリーが買収されて一番偉い人が突然現れたのだ、緊張するなというのは無理な話である。


「こちらこそよろしくお願いします」


「では、藤沼社長、ごゆっくりどうぞ」


「宮古さん、私のことは気にせず、そのまま仕事を続けてください」


 大事な話し合いをすると思っていた晶は気を利かし、事務所を出ていこうとするが、それを藤沼社長が引き止めた。


「は、はい、分かりました」


 そう言うと晶は作業していたPCに向かい、作業を再開した。


「都さんに気を遣わせてしまったようで申し訳ないね」


「いえ、そんな……」


 企業の社長という来客で、ただの高校生でしかない晶は恐縮しているようで、未だに緊張しているようであった。

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