第45話 釈放

 翌日も朝早くに騎士団長がやってきた。

 来るなりエマの顔を見て驚く。

「あ、意外に元気そうだな」


 何をいう。

 昨日は夜遅くまでルークが隣に座ってくれた。

 ただ隣にいてくれるだけで、気分が落ち着いた。

 疲れ切っていたけれど、おかげでほんの少し、眠ることができた。

 そうでなかったら、エマの気持ちはどん底まで沈んでいただろう。


 それなのに、気楽に過ごしていたように言われるなんてひどい。むっとしつつもエマが黙っていると、騎士団長は昨日のように椅子に座って話し始めた。

「お嬢ちゃん、今日にはここを出られるかも」

「え?本当ですか?」

 エマが驚いていると、階段を登る靴音がした。

「あ、早速迎えがきた」


 その言葉を聞いて緊張しながら見ていたら、現れたのはゲイリーだった。

 予想もしない大物の登場に騎士団長が言葉を失って直立不動になっていると、ゲイリーは連れてきた騎士に指示して牢屋をあけさせた。

「エマ、迎えにきたよ。釈放だ」

 そうしてエマに向かって手を伸ばすと、外に連れ出してくれた。



 牢屋に入るために登るときは長く感じた階段は、降りる時はあっさりと短く感じた。その階段を降りながらゲイリーは釈放になった経緯を話してくれた。

 昨日の捜査でエマの持ち物から毒が見つからなかったこと、そしてエマがレイチェルを殺害する動機がないことから、ひとまずは証拠不十分、犯行に至る動機がないと判断されて釈放になったようだ。


 ただ、エマの行動はなんらかの形で監視される。

 だけど、仕事も復帰していいし、夜はヘイルズ家に帰っていいという。

 エマを見張るのは後見人で、王女と外出して大騒ぎになった後からエマの後見人はヘイルズ家になっていたから、ゲイリーが迎えにきたということらしい。


 塔を出ると、太陽の光を強く感じて、思わず目を細めた。

 たった一晩閉じ込められただけなのに、全てが眩しく感じる。


「ルークは?」

「今は仕事をしている。ルークが迎えに行くと言ったけれど、私の方がいいだろうと思って」

 ゲイリーはルークじゃないけど許してくれ、と笑った。


 大貴族の家長が後見人として自ら迎えにくるということは、エマがとても重要な人だと周りにアピールすることになる。

 そうすることで変な中傷から守るつもりなのだろう。

 有難いことだけど、ゲイリーも忙しいのに申し訳ない。


 エマは立ち止まると、ゲイリーに頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしてすみません。ルークにも迷惑がかかると思って」

 今回のことではヘイルズ家にも大きな迷惑をかけている。

 特に大事な御曹司が面倒ごとに巻き込まれるなんて、家長としては嫌だろう。

 エマにできることは、すぐにヘイルズ家を出てどこか他に行くことだ。


「あの、私はすぐに出ていきますので」

 だけどゲイリーはその言葉に驚いて目を丸くして、そしてしみじみと笑った。

「気にしなくていいよ、エマ。ルークはね、君を助けたいんだ。だから君が気にすることはない」

「でも……迷惑がかかるので」

 ゲイリーはエマから視線を逸らすと遠くを見るような目になった。

「ルークは嫌だったらはっきり言う。だから嫌だなんて思っていないよ」

 そう言ってゲイリーは笑うと、小さな声で昔の話を始めた。


「あの子は子供の頃から大人びた子供で、何かに夢中になることがなくてね。何をしても誰よりも上手くできてしまうから、何かに全力で取り組むこともない。冷めた子供だった」

 ゲイリーの目が少し細められて、懐かしむような目になった。

「だけど、何にも一生懸命になれないってことは、何も愛していないってことだ。自分の子供がそんな大事な感情を知らずに生きていくのかもしれないって、親ながら心配したよ」


 ルークの子供時代の話を聞くのは初めてだった。

 だけど、それを聞いて驚いた。


 エマが知るルーク・ヘイルズはいつも子供っぽく言い合いをしたり、怒ったり拗ねたり、忙しいルークだった。

『小さな貴公子』なんてあだ名が嘘みたいに、エマの前ではごく普通の少年で、

 そして、エマは済ました顔をしたルークより、隣にいるルークが好きだった。


 拗ねた顔も、

 ムッとした不満そうな顔も、

 試験で1番になって自慢そうにエマを振り返る顔も、

 それからとても楽しそうに笑う顔も

 全部、昨日のことみたいに鮮やかに思い出せる。

 

 昔のルークも今のルークも、たくさん胸の中に残っている。



「そんなルークが魔法学校に入ったら楽しそうにしていてね。あの子は毎日エマの話ばっかりしていたよ。だから私もエレノアも初めて君に会った時、初めて会った気がしなかった。エマも我が家の一員みたいな気持ちだったんだな」

 ルークがエマの恥ずかしい話を二人に話していたことは、すでに知っている。

 エマですら忘れてしまいたい、くだらないことを親に話していたルークに、いつか文句を言おうと思っていた。


「恥ずかしいです……忘れてください」

「忘れないよ。面白いからね」

 そう言ってゲイリーは笑った。

 ルークのお父さんらしく、それなりに意地が悪い。


「エマがうちに来てからは、ルークと話すことも増えて、私たちも嬉しくてね。あの子と夜会に行くことがあるなんて思わなかったよ。それも全部……エマのおかげだと思っている」

 ゲイリーは思い出し笑いをする。

 3人で行った夜会のことを思い出したのかもしれない。


 父親という印象がないゲイリーだったけれど、その顔はごく普通の父親の顔だった。

 本当に、ごく普通の、どこにでもいる子供の成長を案じる父親だった。


「だからルークがエマに対してする事を、私たちは止めるつもりはない。エマがあの子にとってどれだけ大切かわかっているからね」

 だけどそこで急に顔を真剣なものにして、エマを見た。


「ヘイルズ家を継ぐ人間なら、この先もっと大変なことがある。これくらいの事は一人で片付けてくれないと困る」

 家長らしい顔で言って、すぐにいつもの穏やかな顔になった。


「家族のこともちゃんと守れない人間に、家は継がせられないよ」


 そう言ったゲイリーの顔は驚くほどルークに似ていた。


「たくさん頼ってやって。エマに頼ってもらうのが、あの子は嬉しいし、エマが他の人を頼ったら、きっと機嫌を悪くする。もし、エマのために戦えって言われたら、迷いなく戦うよ」

 確信めいた口調で言って、ゲイリーはエマを見た。


「相手が王様でも皇太子でも神様でも悪魔でも、あの子はきっと引かないよ」


 そんなとんでもないことを、ゲイリーは確信を持って言った。


「でも、もしエマが嫌だったらいつでも拒否していいからね」

 じっと見つめられて、エマは顔を赤くした。


 エマがどうするかなんて、ゲイリーはきっとお見通しなんだろう。

 そう理解して、なんだかとても恥ずかしくなった。





 明日は仕事復帰するけど、今日はこれからヘイルズ家に帰ることにした。

 でもパトリシアにだけは挨拶しておくように言われてゲイリーと一緒に王女の部屋に向かう。

 王宮の中に入ろうとして、とある部屋の窓が開いているのに気がついた。


 2階のベランダから体を出してずっとこっちを見ている白い騎士服を着た人が誰か、エマにはすぐにわかった。


 エマがじっとその方向を見ていると、ゲイリーがその視線を追って、その人を見て、それから深く頭を下げた。


 そこはレイチェルの部屋だった。



「皇太子様はあれからずっとレイチェル様につききりだ」

「……そうなんですか」

「まあ、当たり前だろうな」


 今のエマの前に皇太子が姿を出すことはできない。

 普通に考えて大問題だ。

 だから、これは偶然を装った、何かだ。


 高貴な人は簡単に窓辺に立ったりしない。

 だから、この行動には深い意味がある。


 わかっていても、きっとお互いの気持ちを伝える術はない。

 あんな事件の後でエマと皇太子が話すことは不可能で、

 でも、レイチェルの思惑通りに皇太子とレイチェルが結婚したら……

 この先、エマが皇太子と話すことも顔を合わすことも、ないかもしれない。


 だとしたら、この先はこんなふうに遠くからお互いの姿を見るのが

 二人にとって当たり前の距離になる。


 そう考えると、胸が重くなるのを感じた。


「行こう」

 しばらくするとゲイリーがそう言ってエマを促した。

 小さく頭を下げて、エマはそこから離れた。


 背中に痛いくらいの視線を感じながら。



 ******


 ゲイリーとパトリシアの部屋に行ったけれど、王女は部屋にいなかった。


 どこにいるのかと探しに部屋を出る。気まぐれなのはいつものことだけど、どこに行ったのだろうと思いながら探す。

「エマ、君は帰りなさい。君を送ったら、私は王宮に戻るから、もう一度挨拶にくるよ」

 疲れているエマを見て、ゲイリーが言ってくれた時、エマとゲイリーの元に走ってくる人がいた。


「ゲイリー様!」


 その若い男性はゲイリーの部下らしく、ゲイリーは驚きながらも気安く声をかけた。

「どうした?今日の午前は呼ぶなと言ってあっただろう」

「すみません」

 走ってきたその人は膝に手をついて呼吸を整える。

 その様子から、かなり焦って探していたのだとわかった。


 息を整えながら、エマをチラリと見て話すのをためらう。それを見てゲイリーは彼の肩に手を当てて、エマから離れた。

 エマには聞かれたくない話なのかと思って、エマは二人から距離を取ると、二人は肩を寄せて小声で話し合う。

 すぐにゲイリーの顔がこわばった。


 何事かと思って見ていたら、話が終わったゲイリーはエマへ振り返った。



「エマ、いい知らせだ」

「え?」

「エマの無実を証明する人が出てきた」


 ゲイリーはそう言ってエマに歩み寄ると嬉しそうに微笑んだ。


「パトリシア王女が証人を見つけた」

「王女が?」

「エマが毒を入れていないと証言しているらしい」

 行こう、ゲイリーはそう言って先に歩き出した。



 エマを一番に助け出してくれたのは、ルークでも皇太子でもなく


 パトリシアだった。





 ******


 その場所に着いた時、もうすでにそこにはたくさんの人が集まっていた。

 皇太子、ルーク、それから王女。

 今回の捜査の責任者となる法務大臣と、部屋の隅にはエマを尋問していた騎士団長もいた。

 つまり、エマとゲイリーは最後だった。


 二人が入ると、パトリシアの正面に座っていた人がこちらへ顔を向けた。


 その人を見てエマは驚いた。



 だって、その人はレイチェルの側仕えの一人だったのだ。





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