第16話 僕の大切な人
怯えるメイドから話を聞くのはとても時間がかかった。
パニックになっているメイドを皇太子の執務室に連行して話を聞いたが、泣いて謝るばかりでまるで要領を得ない。いくら目の前に皇太子や上級貴族がいるからと言って、こんなに泣かれていては話にならない。
早くしろと声を荒げたい気持ちを堪えてルークが辛抱強く話をする。
支離滅裂な話に何回か舌打ちしそうになって必死で飲み込んだ。
なんとか聞き出した細切れの情報だらけの彼女の話を統合すると、予想した通り、エマの外出に変装したパトリシアが同行した、と言うことになる。
メイドは涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭いた。
「お部屋に誰もいなくなってしまうので、戻るまで人を入れるなって言われて……それで」
そう言ってまた頭を下げてすみません、と繰り返す。
「外出したのは魔術師だけだった?」
「わかりません……でも馬車には二人で乗り込んだのが見えたので……」
皇太子が額に手を当てた。
「パティだ」
そして肩をすくめる。
「パティがエマの外出に無理やりついて行ったんだろう」
手の隙間から覗く顔には苦悩が見てとれた。皇太子が大きなため息をつくとそれが静かな部屋に響いて、皇太子の執務室には異様な空気が立ち込めた。
その時文官見習いがドアを開けて入ってきた。
「外出申請書を持ってきました。時間は13時から15時までの予定となっていますね」
「今は?」
「16時になるところですね」
ルークは苦い顔をした。
いくらなんでも遅すぎる。
ただ街歩きに夢中になっているだけならいい。だけどパトリシアと比べて、一応は常識人のエマがついていながら、こんなに遅くまで帰らないことはないだろう。
なぜ帰ってこないのか……。
つまり、時間通りに帰れない何かがあったのだ。
パトリシアのわがままで長引いているだけなら、いい。
そのほかにも馬車のトラブルであれば、まだいい。
最悪は二人の身に何かあった場合だ。
ルークは思わず手をグッと握りしめた。
どうせ最近好んで読んでいるあの小説のための外出だと思うが、エマを巻き込むのはやめてもらいたい。
この国は治安がいい方だが、それでも悪い奴はいるし、こんな時間に若い女性が二人で歩いていたら、それだけで狙われる。
物取りとか暴漢とか、誘拐なんてこともあり得る。
何か、あったのなら……。
考えただけでルークの胸が苦しくなる。
申請書を見ている文官見習いに皇太子が声を掛ける。
「外出の目的はや場所は書いてあるか?」
皇太子の質問にルークは文官の答えより先に返事した。
「おそらく、本屋でしょう」
ルークと視線を合わせた皇太子が、苦い顔になる。
「だろうな」
皇太子が立ち上がると、ルークに声をかけた。
「急いで誰か様子を見に行ったほうがいいだろう。何もなければいいが、万が一何かトラブルがあったら大ごとだ。…パティのことだし、私もいく」
だけどルークはそれを無視して皇太子に首を振った。
「今から全員が準備して出るまでには時間がかかります。私は先に一人で行きます。みなさんは後から来てください」
ルーク、落ち着け、そう言って皇太子が立ち上がった。
「案外、ただパティがわがままを言って本屋の後に辺りを歩いているだけかもしれない。それが一番あり得るだろうし……だからルークも落ち着け。一人で行くのは危ないから、ルークにも誰かがついていくように……」
だけどルークはそれに首を振ってキッパリと言い切った。
「私は先に行きます」
その目を見た皇太子が苦笑いして頷いた。
「わかった。私もすぐに出るようにする。馬の準備を」
皇太子がそう言いながら周りに指示を飛ばす。
その横をルークはすり抜けると執務室の奥においてある、皇太子の剣を手に取った。
それは皇太子の剣だ。
最近は剣の形をした偽物をぶら下げて歩く騎士もいるけれど、これは戦争に持っていくこともある、人をちゃんと斬ることのできる剣になる。
ルークはそれを迷いなく手にして、鞘から抜くと、その刀を軽く一振りして具合を確かめた。
すぐに刀を鞘に戻すと、それを手にしてルークは皇太子を振り返る。
「お借りしていきます」
皇太子は目を丸くして、だけど、すぐに頷いた。
「わかった。頼む」
「あと、皇太子殿下の馬もお借りします」
皇太子の馬は若い雄の馬で体力もあるし、走るのも早い。おそらく王宮の馬の中で一番早い馬だろう。
そこまで借りるのかと思わなくもなかったが、ルークの勢いに押されて皇太子は頷いた。
「王宮のものはお前の好きなように、全て使っていい」
でもその返事を全て聞く前に、ルークは黒いローブを翻して部屋を飛び出した。
皇太子の執務室を出ると、走っているような速度で歩いて外に出て馬番に指示して馬屋から馬を借りる。
馬に鞍をつける間に、そっとその馬の顔を撫でる。
黒い毛並みの立派な馬だ。
この馬のことは知っているけれど、皇太子の馬だからルークが乗ったことはない。皇太子と第2王子と乗馬をする時も、ルークは自分の馬に乗っていた。
皇太子の馬はとてもいい馬だけれど、少し気性が荒い。
顔見知りとはいえ自分の主人ではない人間が乗った場合、暴れて振り落とされることもある。もちろん、そんなことで落とされるような腕前ではないとルークは自負しているけれど、馬の考えや行動まではコントロールできない。
だけど最速でエマのところに行くには、この馬が一番いいこともわかっている。
その顔を優しく撫でながら、その黒い瞳をじっと見つめてルークは声をかけた。
「大切な人を助けに行きたいんだ。力を貸して」
その馬はルークの目を見ると、鼻を鳴らして顔を擦り寄せてきた。その顔を優しくさすってやる。その様子からなんとか自分を乗せてくれそうだとルークは安心する。
馬の背に鞍をつけていた馬番の少年が声をかけた。
「準備できました」
それを聞くと、ルークは素早く馬に跨って、その腹を蹴った。
一刻も早く、彼女のところに行かないと行けない。
王宮内をありえない速度で走り抜けて、門番を蹴散らすようにして門を開けさせるとそこを馬に乗ったまま全速で駆け抜けた。
王宮を早馬で駆け抜けるなんてよっぽどのことがないと許されない。
だけど何かお咎めがあっても、構わない。
お行儀よくしていたからって、彼女が助かるわけではない。
それで彼女を失ったりしたら、絶対に後悔する。
ルークは馬の手綱をぎゅっと握って、もう一度馬の腹を蹴った。
走る速度がぐんと早くなる。
馬を走らせながら、ついさっきのことを思い出した。
彼女のことを『大切な人』と口にしたのは、初めてだったことに気がついて、こんな時なのに思わず笑みがこぼれた。
そう。
今まで口にしなかっただけで、彼女はとても……
本当に何にも代え難い、大切な人なんだ。
一度口にしたら、その思いはルークの心の中ではっきりと形を持った。
これから先は、自信を持って何度でも言えるような気がした。
彼女はとても大切な人なのだと。
******
エマがよく行く本屋のことは知っていた。
あの恋愛小説の騒動が起きた後に、時折本を買いに行かされると文句を言っていたエマに、話のついでに本屋について聞いたことがあるのだ。
「本屋さんの場所?」
「そう。君はどこまで行っているの?」
その時のルークは、もし今度エマがお忍びをする時に自分の時間が空いていれば、一度くらい彼女と一緒に出かけてもいいな、という考えがあった。
だからそれとなく場所を聞いておこうと思ったのだ。
「街の一番大きな本屋さんよ。ほら、街の中心の屋台街の終わりから少し歩いたところ。魔法学校にも近かったから、覚えていない?」
エマが説明した本屋はルークにも覚えがあった。
魔法学校の時も、その本屋に通う学生はたくさんいたことを思い出す。すぐに、その場所が思い浮かんだ。
「あそこが一番おいてあるんですって。確かにいつもいっぱい置いてあって、新作もすぐに入荷するから、どの本がいいのか迷ってしまうのよ」
「ふーん。じゃあ、君もそこで自分用の本を買うんだ」
何気なくそう言ったら、エマはとても嫌な顔をした。
「だから、私は読んでないわよ」
「じゃあ、どうやって選んでいるわけ?」
エマは自慢げに笑った。
「店員さんがね。選んでくれるの」
ルークはほんの少し片眉を上げた。だけどエマは気が付かずに話している。
「その人、すごく詳しくってね、この作家がどうとか、新作のおすすめとかなんでも知っているから…もしかしてパトリシア王女が行ったらその人と気が合うと思う」
楽しそうに笑うエマに、ルークはなんでもないことのように尋ねてみる。
「一応確認だけど……その人って男?」
我ながら心が狭いとは思うけれど、確認せずにはいられなかった。
だけどエマは今度こそ嫌な顔をした。
「女性よ」
その時のエマの苦い顔と対照的に、ルークは自分の顔が自然に笑顔になったことを自覚していた。
******
目的地の本屋まで着いた時には、夕日が辺りを照らしていた。本屋から離れたところに黒い馬車が停まっているのに気がついて、馬を走らせる。
そこにいたのは若い男性の従者で、その馬車は黒い簡素な馬車に見えるけれど王宮で使用するものだとルークにはすぐにわかった。
「おい!」
ルークは馬をその馬車の前で止めると、馬の上から従者に声をかけた。
「皇太子の専属魔術師のルーク・ヘイルズだ。皇太子の使いで来ている。質問に答えろ」
従者は頭を下げて頷いた。だからルークはそのまま話し続けた。
「今、何をしている」
座り込んでいた従者は困った顔をして立ち上がった。
「女性に頼まれて本屋に連れてきたんです」
「何人だ?」
「二人です」
その返事に思わず苦い顔をした。
本当にみんなの予想通りだと思う。
「それで、本屋から戻った後、少しここで揉めて…結局屋台街に行くことにしたので、言われた通りここで待っているのですが……いつまで経っても帰ってこなくて」
そこで従者は顎を屋台街に向けた。
屋台街は遠くから見ても何か混乱があったのがわかる。通りを挟んで両側に並んだ屋台は倒れたり商品がばら撒かれていたりして、人も混乱したように右往左往している。
「あっちの屋台街で騒ぎがあったみたいで、いつまで経っても帰ってこないし、何かに巻き込まれたんじゃないかと思って……王宮に報告に行くか迷ったんですけど」
「待っていて正解だ。あと少しで応援が来るからそこで待っているように」
「はい」
ルークはそこで馬を降りると、馬を撫でて落ち着かせた。屋台街は狭く馬で入ることはできない。
「ここで待っていて」
そう馬に声をかけると、理解したように鼻を鳴らして返事をしてくれた。
屋台街は、まるで何かをひっくり返したような大騒ぎだった。道の上に散らばった商品を避けて歩く。黒いローブを着たルークがその中を歩いていくと、みんなが恐れたようにその姿を遠巻きにじっと見ている。
その中を歩きながら、じっとルークを見つめる野菜を売る屋台の店主と目があった。ルークはその主人に声をかける。
「何があったのですか?」
主人は苛立たしそうに鼻を鳴らした。
「ここらでいつも悪さしてる若い奴らが騒いだんだよ」
「若い奴ら?」
主人はそこで思い出すような顔をした。
「そうそう。いつもあの奥で溜まっててさ。店の人間を脅して商品を奪ったり、女に声かけたり乱暴しようとしたり、やりたい放題なんだよ。今日もここで大騒ぎしやがって」
そう言いながら思い出したのか、また苦い顔をした。
「今日はどんな騒ぎを?」
胸騒ぎを悟られないように平静な顔を意識しながらルークは尋ねる。
店の主人は舌打ちした。
「なんか若い女性を追いかけてたな。確かにちょっと見た目がキレイだったからどっかのお嬢様だったんじゃないのかな。……良い迷惑だよ」
「どっちへ行きましたか?」
主人は少し先の細道を指差した。
「あの奥で叫び声がして、そこに入って追いかけて行ったよ」
ルークは素早くお礼を言うとそこに向かって駆け出した。
予想していた中で最悪の展開になっていることに、気が狂いそうなほどの怒りと焦りを覚える。
ここからさらにどこかに連れ去られていたとしたら、夜になると捜索は困難になる。
なんとしてここで捕まえないといけない。
細い路地裏の道は汚くて暗かった。
少し先に進んだところで脱ぎ捨てられた靴を見てルークは思わず息を呑んだ。
座り込んで手に取ると、その靴は汚れて壊れている。
簡素に見えるけれどちゃんとした作りは、下町の人間の靴ではないことを証明している。
これは、貴族の靴だ。
壊れて捨てたのか、それとも連れ去られる途中で脱げたのか…。考えたら気持ちが冷えるのを感じた。
それがどちらのものかはわからないけれど、ここに二人がいたことは間違いない。
「エマ」
辺りを見渡すけれど、そこには誰もいない。
その先へと慎重に足を進めながら、ルークはエマを探す。
頼む。
間に合ってくれ。
そんな思いを胸に早足で歩く。
視線の先に、何かが動いた。それが人影に見えた。
この先にエマがいる。
姿を見たわけではないけれど、この先にエマが絶対にいるような気がした。
腰に挿した剣に手をかけながら、ルークは前へと足を踏み出した。
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