第9話「わたしのファーストキスです」


 3日ぶりにVRゲーム「カナン」にログインする。


 兎月の件もあってなかなかゲームをする気になれなかったからだ。


 前にログアウトした場所である宿泊所の部屋が視界に表れた途端にアメリアが抱きついてきた。


 胸元に柔らかいものが押し付けられる感覚が……そして下半身もそれに反応してしまう。こういうところもリアルなんだよなぁ。


「やっと会えた!」


 その目には涙が浮かんでいたような気がした。


「大げさだな。テスト前とか旅行の時とか、1週間くらいログインしなかったことあるだろ」

「前とは状況が違うんだよ」

「状況?」

「……だって今はライバルがいるし」

「……」


 兎月の気持ちは未だに確認していない。あの夢の兎月は俺の中の願望でしかないだろう。


 妹は本当にアメリアに嫉妬しているのだろうか? いや、今は考えたくない。気晴らしのためにとゲームをしているのだから、そういうことに囚われるのはよくないだろう。


 そう思っているとアメリアから、こう提言があった。


「いつもの狩り場に行く?」

「いや、今日はゆっくりしたい……。前にアメリアが海行きたいって言ってただろ。今日はそっち方面に足を伸ばしてみるか」


 気晴らしだ。レベル上げもいいだろうけど、スローライフも悪くない。


「いいの?」

「いろいろあって、ちょっと休みたい気分なんだよ。まあ、おまえも原因の一つなんだけどな」

「……ごめん」


 シュンとなるアメリア。ちょっと前の彼女なら、こんな表情を見せることはなかったのに。


「いいさ、今日はのんびりしようぜ」

「本当にいいの?」

「あんなに海行きたいって行ってたのに」

「ワガママ言い過ぎてマスターに嫌われるの……イヤだから」


 寂しそうな顔に心が押し潰されそうになる。仮想の世界の仮想の人物。そんなものに俺は心を動かされていた。


「安心しろ。おまえを嫌うことはないよ」

「ホントに?」

「ああ、俺はおまえに助けられてきたからな。ゲームでも、精神的にも」

「わたし、マスターの役に立っているんだ。うれしい!」


 アメリアの顔がパッと明るくなる。


 実際、俺はこいつに助けられている。妹と関係が悪化したときも、アメリアがいたからこそ落ち込むこともなく癒されたのだ。


 海の近くまで一度行ったことのある街があるので、ゲートを使って一瞬で移動する。そこからは徒歩でのんびりと目的地を目指した。


 ビキニアーマーではないが、街の防具屋で水泳用の水着を街で買っていく。防具屋で扱いながらも防御力はゼロなんだけどな。


 目の前に海が広がる。この世界で海岸に来るのは初めてだったかな。


「うっわー! おっきな水たまりですね」


 アメリアの第一声がこれだった。


「もうちょっと感動的な台詞はないのか?」

「仕方ないじゃないですか、知識として海は知っていても海を見るのは初めてなんですから」


 思わず『メアリーの部屋』を思い出す。哲学者のフランク・ジャンクソンが論文の中で提示した思考実験だ。


 白黒の部屋で暮らしていたメアリー。でも、彼女には色についての完璧な知識がある。そんな彼女が部屋を出て色彩溢れる世界に一歩踏み出したら、彼女は知識以上の『何か』を学ぶのだろうか? そんな話だった。


 例えば魂の仕組みを解き明かすとも言われている『クオリア』の存在。人の心がただの化学反応であり電気信号の結果であるのなら、メアリーは外界に出ても知識以上のものは得られない。


 でもそこで『新たな何か』を得たのだとすれば、物理情報以上の何かが彼女に働きかけているわけで、イコール唯物論的な物理主義を否定することになる。


 もちろん、それに対する反論などもあって、数学や物理のようなはっきりとした答えがあるわけでもなかった。


「……どうしたんですか? ぼーっとして」


 不思議そうにアメリアに問いかけられる。


「いや、俺もこの世界で海を見るのは初めてだからな」


 とっさにそう誤魔化す。


 けど、考えていたのはそんなことじゃない。目の前のアメリア。彼女はAIの一種で、ゲーム内の架空のキャラクターだ。


 そんな彼女に『心』があるのではないか? そんなことを考えてしまう。馬鹿らしい……そもそも、この異世界そのものが人が創りしものだ。彼女も誰かに作られたに過ぎない存在。


 前にも考えたことがあった。


 架空のキャラクター自体に好意を持ったりするのは割と普通のことだろう。


 だが、愛情となると別物である。


 架空のキャラクター愛してしまうなんて、病んでいるにもほどがある。


 そもそも俺は、兎月に似せてアメリアを作ったのだ。だからアメリアに愛情を抱いているのではなく、妹に対して……。


 いや、それこそ病んでいるな。


「ねぇねぇ、はやく泳ご!」


 砂浜まで駆けていくアメリアを俺は「待てよ」と追いかけていく。


 本当は何もかも忘れて彼女と遊べたらよかったのかもしれない。けど、頭に浮かんでくるのは兎月の姿。


 もしアメリアに感情があり自我があるならば、俺は相当酷い事をしているのかもしれない。


 装備変更コマンドを使って一瞬で水着に着替えたアメリアは、砂浜の波打ち際に足元が浸かるくらいまで走って行く。


 彼女に買ってやった地域限定の水着は防御力ゼロで泳ぎのスキルが+1される『魅惑的なビキニ』だ。


 そして彼女は、急にこちらへと方向転換して近づいた俺に水をばちゃりとかける。


「あははははは」

「おい! まだ装備変更してないんだぞ」

「いいじゃないですか。濡れてもアイテムボックスに入れておけば一瞬で乾くんだし、それよりもマスターも着替えましょうよ」

「待てっつうの」


 俺が装備変更であたふたしている間も、何が楽しいのかアメリアは水をかけながらはしゃいでいる。


「くっそー! これでもくらえ! スローウォーター!」


 装備変更で『イケメンの海パン(※魅力+3)』に履き替えた俺は反撃に転じた。


「きゃはは! なんですかそれ、魔法の呪文みたいだけど実はただの英語って、中二病ですかマスターは」

「いいんだよ。こういうのはノリで。そもそもこの行為自体がなんの意味もないんだから」

「まあ、知能下げてバカ騒ぎするのも楽しいですね」

「たまにはな」

「しょっちゅうやってたら、それこそアホの子ですよ」

「おまえに言われたかないわ」

「ひっどいなぁ、マスター。わたしは少なくとも脳筋じゃなくて知的が売りのサポートキャラなんですよ」


 そのわりにはマウントとりたがったり、俺のことをからかってきたりするけどな。


「それより泳がないのか?」

「泳ぐだけが海の楽しみ方じゃないですよ。というか、わたし泳げませんけど」

「え?」

「だって、泳ぎのスキルを振ってくれなかったじゃないですか。まあ、マスターもほとんど振ってませんけどね」

「そういや、泳げなくて海で溺れた場合ってどうなるんだ」

「普通にHPが減って、なくなれば死亡扱いじゃないですか? デスペナ付きますよ」

「それは気をつけないとな」

「だから、波打ち際でこうやって楽しむのが安全な遊び方なんですよ。リアルでもそうじゃないですか」

「そりゃそうだ」


 そうやって、しばらくはアメリアとはしゃぎまくった。これではただの海辺のデートであり、ただイチャイチャしているだけだともいえる。


 とはいえ、兎月に見られるわけにもいかないので、観戦モードにはパスワードを設定して簡単には見られないようにしてきた。


 思う存分アメリアとイチャイチャ……いや、楽しむことができるのだが、兎月のことを考えると「これでいいのか?」と心が痛む。


 はしゃぎすぎても無駄に体力は使う。スタミナがなくなればゲームの中とはいえ、息があがって動けなくなる。


「ちょい休憩」


 波が到達しないところまで後退し、砂浜にぱたりと倒れ込む。


「えー? もうスタミナ切れですか? ゲーマーとしてスタミナ管理ができないって問題じゃないですか?」

「単純にハメを外しすぎただけだよ。そもそも敵がいないんだからスタミナ管理なんて必要ないだろうが」

「何言ってるんですか。わたしというラスボスがいるじゃないですか」

「おまえ、いつから俺の敵になったんだよ」


 俺がそう言い返すとアメリアが急に真面目な顔をして近づいてきて、座り込むと俺の顔を覗き込む。


「マスターには、わたしを攻略してもらわないといけないんです」

「攻略? どういう意味だよ」

「こういうことです」


 彼女の顔がさらに近づくと、その唇が俺に触れる。


「な! おまえ!!」


 思考が混乱する。


「えへっ! わたしのファーストキスです」

「ちょっと待て」

「待てませんでした」


 いたずらな笑みを浮かべるアメリアにドキリとする。


「マスターが望むのなら、それ以上のことも可能ですよ」


 彼女は自分の背に手を回すとビキニのトップスを外そうとした。


 その行為が何を示すのかは、さすがの俺でも理解できる。


 いいのか?


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