第9話 大丈夫、痛くしねーから

 海に行った日から数日が経った。

 奏雅そうがは、あの日以来、夕姫ゆうきの様子が少しおかしいのが気になっていた。最初は、あの日体育祭をサボったことで、あとで先生や親から注意を受けたことが原因だと思っていた。夕姫は、登校中に具合が悪くなり、道端で夕方まで休憩していた、という苦しい言い訳をしたらしい。そしてサボることに慣れていないがゆえの罪悪感もあるのだろう。事実、それから二、三日は、夕姫はかなり落ち込んでいる様子だった。

 ところが、何日かしても夕姫の様子はおかしかった。もうそれほど落ち込んでいるようには見えなかったが、なにかこう、挙動不審なのであった。奏雅のほうをちらちらと見てきたり、かと言って目を合わせようとすると逸らしたり、それでもなにかを言いたげな顔でいたり、するのだった。


(……まあ、おどおどしてんのはいつものことだしな……)


 奏雅は、多分この前の喧嘩を見たショックが大きかったんだろう、とか、あの日はちょっと強引に連れまわしすぎたかな、とか、色々考えてみたが、どうもよくわからなかった。

 ただそれでも二人で一緒に帰るのは変わらなかったので、まあ嫌われたわけではないんだろうな、と奏雅は自分を納得させていた。


    *  *  *


 その日も奏雅は夕姫と一緒に帰っていた。

 夕姫は相変わらずこちらをちらちら見てなにか言いたそうにしていたが、奏雅は気づかないふりをしてそのまま夕姫の少し前を歩いていた。そして、もうすぐ分かれ道に着く、そのときだった。


「あ……、あの!」


 奏雅はその声に驚いて振り返った。夕姫が不安そうな顔でこちらを見つめていた。なにを言われるんだろう、と奏雅も少し不安になったが、夕姫は意を決したように続けて言った。


「お、お願いが、あって……!」


 夕姫はそう言って鞄の中を探りだした。


(……お願い?)


 奏雅にはその内容に見当がまったくつかなかった。そして、夕姫は鞄の中から取り出したものを奏雅に見せた。


「……これ」

「え……。 これ、って……!」


 それは、新品のピアッサーであった。


「…………マジ?」


 奏雅がそう聞くと、夕姫は目を伏せながら、こくんと頷いた。言葉に窮した奏雅は、一瞬夕姫の耳に目を移した。その小さな耳は、気恥ずかしさからなのか、真っ赤になっていた。


「……本気か?」


 奏雅がまた聞いた。夕姫は今度はちらっと奏雅の目を見て、もう一度頷いた。


    *  *  *


 次の日の放課後、二人は体調が悪いと嘘をついて保健室で休んでいた。奏雅の発案で、保健室が一番道具がそろっているから、ということだった。

 夕姫は、ベッドに横たわりながら、不安と戦っていた。


(……本当に、いまから開けちゃうんだ、私……。想像すると、息が苦しくなる……。やっぱり、痛いのかな……。お父さんお母さんは、なんて言うだろう……。)


(…………でも)


 夕姫は、海での奏雅のあの横顔を思い出していた。そして、夕陽に照らされたあのピアスを。


(私も、なりたい。あんなふうに、強く、かっこよく。)


「……おい、そろそろいけるぞ」


 そのとき、隣のベッドからカーテン越しに奏雅が声をかけてきた。どうやら保健の先生は用事で出ていったらしい。二人のほかには休んでいる生徒もおらず、いまがチャンス、ということだろう。

 夕姫がベッドから起き上がりカーテンを開けると、奏雅はすでに流し台で手を洗っていた。そのまま背を向けながら、


「じゃあ、そこ座って」


 と、夕姫に椅子に座るよう促した。それから奏雅は棚から消毒液やガーゼを、冷凍庫から凍った保冷剤を取り出し、机の上に手際よく並べた。そして奏雅も夕姫のすぐ横に座り、確認するように言った。


「右の、耳たぶでいいんだよな」


 そう聞かれた夕姫は、小さく頷いた。奏雅はそれを聞いてから、保冷剤をガーゼでくるんで、夕姫の右耳に軽く押し当てた。思ったよりもずっと冷やりと感じたので、緊張してだいぶ耳が熱くなっていたんだ、と夕姫はそのとき気がついた。


「……本当に、いいんだな」


 奏雅が改めて夕姫に聞いた。夕姫は、少しだけ黙ったあと、


「うん……、大丈夫」


 と答えた。それを聞いた奏雅は、わかった、とだけ言って、今度は消毒液をガーゼに浸して、夕姫の右耳を消毒した。夕姫は、奏雅に耳を触られて恥ずかしくてたまらなかったけれど、奏雅がピアッサーを取り出すと、それを見て一気に恐怖が湧いてきた。


「それじゃ、いくぞ」


 奏雅がそう言ってピアッサーを夕姫の耳元に持っていった。夕姫は反射的に目を強くつぶった。


(……怖い。怖い……!)


 夕姫の手が小刻みにふるえた。そのとき、


「大丈夫、痛くしねーから」


 奏雅が優しい声でそう言った。夕姫のふるえはそれでおさまった。


(……不思議だな。この人の声を聞くと、ほっとする……。)


「3、2、1でいくからな」


 夕姫は小さく「うん」と答えた。今度は、なぜか嬉しさが湧いてきた。


「3、2、1、……」



 ――パチン!


(つづく)

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