348 水を差すようですが
こんにちは。
ワールドカップも佳境に入りましたね。準決勝戦がフランスとモロッコで、歴史的な背景もありフランスが暴動が起こるかもしれないから警戒しているというニュースを見たのですが。
強烈に好きな人がいたら、ごめんなさい。先に言っておきます。別にサッカーやサッカーを取り巻く文化を批判しているのではないんですよ。ただ、善悪の判断がバグって感情のコントロールできないくらいになるようなら、もう止めちまえと思うのです。頭がおかしい。
試合に勝った負けたで暴徒化して、公共物や店を壊していいはずがない。気に食わない人に暴力を振るっていいはずがない。選手に暴言も吐いていいはずない。
この「応援しているチームの動向でコントロールできないくらいに感情が乱高下する」という状況を味わったことが無いし、体験したいとも思わないから、こればっかりは理解してあげられない。心からチームを応援していても、ボーダーラインがあるでしょう?と思うから。
自分とチームや選手のボーダーラインとか、人としてのボーダーラインとか、法で定められているボーダーラインとか。そもそも気分が悪いからと言って人にそれをぶつけるのも、気分が良いからと言って何をしても良いわけでは無い。セーブしなさい、自分の機嫌は自分でとりなさい、と。
同じ色の感情に染まった群衆の中にいると、そうなってしまうのだろうか。日本でも渋谷のスクランブル交差点などの映像を見ていて、好きな人が集まっているのは分かるのだけど、絶対にわかの人もいるはずで。それでも同じ熱量なのは、空気がそうさせるのだろうか。私も日本が勝ったら嬉しいし、負けても頑張ったね!と素直に思うけれど、あの群衆の中に紛れていても、きっと周りとの温度差に冷めてた自分を感じていると思う。いや、嬉しいんですよ、本当に。でも、お祭り騒ぎをするのとは別と言うか。
でもまぁ日本はお国柄でしょうが、大人しいですよね……。スタジアムや街を破壊したりはしない。
パリ市民のインタビューで「僕はサッカーには興味が無いけれど、暴動には注意している」みたいなことを言っている人がいて、当たり前の話なのだけれど冷静な人もいるんだなぁと。
なんていうか、暴徒化する人々は「暴徒化しても良い」という選択を持っているんだろう。歴史的にサッカーファンは感極まったらこうするのは当たり前、という伝統が受け継がれていて。留め金が外れるのがゆるゆるというか、ハードルが低いと言うか。理性が低いと言うか、民度が知れているというか、結果はただの引き金でうっぷんを晴らしているんだろというか……
ファンが暴徒化した国は、次回の出場は禁止とかしたらいいのに。被害を受ける側はたまったもんじゃないからなぁ。
どうか決勝まで、勝っても負けてもどこの国でも平和に健全に終わりますように。
スポーツ観戦ってちょっといいな、と思っても暴徒化したニュースとか野次とか聞くと心がしおれるんですよねぇ……
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