193 推し

 こんにちは。


 SNSで、一つの信仰だけで生きるのじゃなくて、推しやペットや色んなものを心の中に住まわせなさい、というようなものを読んだのですが。日本人は昔から信仰ひとつにしても、それをやってますよね。日本古来の八百万の神だけに飽き足らず、神さままで輸入して七福神を作ったり。そういう意味では、昔から推し活におおらかな民族だったのかもしれません(笑)


 私自身も痛感している事だけれど、一人の中に色んな考え方が同居していて、稀に不破を起こすけれど、それなりに折り合いを付けて生きている。もし何か一つだけのルールが正しいと妄信してしまえば、いつか矛盾がストレスになるだろうし、色んな考え方を自分の中に同居させておくことも大切だと思います。


 前にちらっと登場した宗教二世の方は、宗教施設で監視されながら生まれ育ったっぽい事が書いてあったのだけれど、そんなエリート教育が施されそうな状況で育っていても、妄信している親とは考え方が異なって成長したという事は、宗教に携わる人々や親が、自分に対してや他者に対して、もしかしたら客観的に見ると本人自身にも矛盾した言動をしていたのかもしれません。違和感は疑問に変わり、疑問は不信変わる。確かに自分で考えることを止め、全てをシャットアウトすると、ある面では楽なのかもしれないけれど、無意識下においても、事実と感じている事の違いや葛藤は目を瞑っても無視できない、押さえつけられないのが、人間というものなのでしょう。


 ちらっとテレビで見聞きしたのだけれど、宗教団体は公に多額のお布施は強要していないけれど、収入の十分の一は収めないといけないとか言っていたけれど……信仰ってお布施なのかなぁ……。もちろん仏教でもお布施というシステムは有りますよ。檀家が少なくなって大変になっているというのも事実だし。でも、それって月謝みたいなものでは無いからなぁ。

 役に立ちたい、という思いはもちろん信仰心の一つだけれど、お金や労働の割合を決められているのは宗教じゃなくて、お金集めのシステムだよなぁ。教祖が決めた教徒同士を結婚させるのも、スムーズに集金出来るシステムの構築の一つでもあるし。確かに全く違う宗教の「熱心な教徒同士」の同居は相互理解がありば無理ではないでしょうが、生活のサイクルや食べ物も大変そうだし、それが財布を同じとする家族となると、トラブルは起こりそうなので、回避するのは理解できますが。


 話を戻しますが、色んな物を信仰しなさい(大切にしなさい)というのは、人生を楽しく過ごすには「色んな趣味を持ちなさい」という事と同じですね。

 ひとつの趣味の予定が潰れても違う趣味で時間を過ごせたらハッピーだし、趣味によって出来た友達も多岐に渡れば、トラブルが起こった時もダメージは少ないし。目が悪くなったり、体力が衰えたりで出来なくなる趣味があっても、違う趣味が人生を埋めてくれる。

 信仰も、こっちの神さまはこう言っているけれどお地蔵さまは助けとくれるとか、推しが尊いからハッピーとか。親はダメって言うけれど尊敬している漫画家さんは「とりあえずやってみろ」って言っているとか。

 自分の中の矛盾をポジティブに肯定したり、赦しを与えたり。そうやって右往左往しながら生きていくしかない。

 結局生きて行く事自体が、迷いと気づきと悟りの繰り返し。全て自分で学び選ぶしか仕方がない。宗教は先人が教えてくれる「心が楽な生き方の教科書」というだけです。神さま仏さまにだって心は縛れない。


 話は少し変わるのですが、どんなに良好な関係の親だろうと大人になるにつれ、言動に疑問を持ってしまう日が来ます。

 小さい頃は大人の言っている事、とりわけ親の言っている事はすべてが正しくて正解だったのに、ある時、そうじゃないんだなって分かってしまう。妄信的な信仰が揺らぐ瞬間。正しい揺らぎなのですが。

 親だって人間し、自分も大人になってみて、大人の中身は大人では無い事を知るし。

 これが、大人になる一段階なのかもしれないですね。


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