187 縁

 こんにちは。


 先日テレビで見た俳句の出来を競う番組。

 そこで以前に、母親の事を詠んで高得点を出した方が、前回も母親の俳句を詠まれていたのですが、その内容がお母さんのお葬式の日の俳句でした。


「以前、俳句を詠んだ母が亡くなりまして。その葬儀の時を詠んだ俳句なのですが、」と、そんな感じの言葉で解説が始まって。その瞬間に、あの静謐せいひつな腕の……、なんだか知らないけれど頭の中で勝手に作り上げた、ひんやりとしてタプッともしている二の腕を思い出して。「静謐な二の腕」というワードは俳句の中に出て来るからなのですが。詠まれていない、触感とか体温とか、そういうのもパァァァと頭に流れ込んで。

 知り合いでも無いし一方的に知っている訳でもなのに、まるで親しい方が無くなった感覚になり、俳句の情景もリアルで手を取るように分かって。急に泣いてしまった。


 人との縁が繋がったという事はこう言う事なんだろう。存在や誰かが注いだ想いを知ってしまうと、無関係ではいられなくなってしまう。一度も目にした事のない、一度も言葉を交わしたことのない存在であったとしても。どんな人だったかは知らないけれど、俳句の登場人物として、「母」という記号を通して知っているその存在に想いが寄ってしまう。


 葬儀も親族ともなると、あれよあれよという間に色んな事を決めなくてはいけなくて、決めるだけではなく行動も起こさないといけない。しかも全部タイムリミットが迫っている状態で。同時にリアルな話、財布との相談もシビアに向き合わないといけない。

 大切な人が亡くなったからと言って、悲しみの明け暮れることも許されない。

 ただ淡々とノルマをこなす。疲れも気が付かないほど。周りには必ず誰かがいて、一人にもなれないし。なったとしても頭の中はこなさないといけないスケジュールでいっぱい。

 それがすごく伝わった。

  親族では無く、友達だったとしても、ノルマなんて無くても、直後に真正面から「死」を受け止めることは簡単じゃない。


 そういう全てがまるっと自分の感覚とリンクした。


 私は日々、母親が作ってくれるご飯を全部画像で撮っているのだけど、無意識にいつかは来てしまう「居なくなってしまう未来」の事を恐れているのかもしれないなぁ。

 いや、ずっと家族の誰も居なくなって欲しくはないし恐れているけれど、もっと深い所で予防線を張って未来の自分をどうにか救済しようとしているのかもしれない。それがあったとしても、きっとどうしようもないんだけれど。単なる悪あがき。


 話は戻るけれど、友達のご両親が亡くなった時も、それぞれにショックを受けて来た。

 友達からエピソードを聞いていたり、何かの行事の時に顔を見ていたり、遊びに行ってお世話になったりして、決して親密じゃないけれど知らない関係でも無くて。

 SNSで見る動物が亡くなるのも、悲しくて泣いてしまう。

 本当に縁という物は、あらゆるところへ張り巡らされていて、影響がないと思っている所にだって何かしら影響があるものなんだろう。存在するだけで影響を与え合っている。

 縁とは、そういう深さや濃さや関わった時間で、計れるものではないんだなぁと思った一件でした。



 今日も指の事を考えて短めで。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る