4月

91 かっこよく出来ない

 こんにちは。


 昨日は日付が変わる前に日課のエッセイを書いて、予約で公開しました。

 いつもよりも早く家族が起きている間にお風呂に入って、お爺ちゃんインコを預けて。

 

 昨日も書いたように昨晩が越えられるかどうか、という状況だ思っていたので、私は徹夜するつもりでインコに付き添ったのです。

 昨日の選択の結果は案の定、どうしても手から離れたくないと、たとえ一緒に寝転がった状態で顔が真横にあってもダメで、必死で手に乗せてほしいと訴えて来る。仕方なく手に載せて、上らかの手のひらをかぶせて。

 そうすると安心して目を瞑るのに、手に乗せないと目を見開いて、もう声が出なくなった嘴を開けて訴えて来るのです。


 本当に朝から刻一刻と体力が無くなって、見る見るうちに何もできない状態になってしまいました。

 朝一は止り木に留まる事が出来たのに、私が気が付いた時点では吊るされているヒュッテに体を預けないと止り木にも止まりない状態だった。それなのに、今まで怖がってヒュッテの上に足を乗せたことなんてしなったのに、そこを這って私のところまで一直線にやって来て抱っこしてほしいと訴えた。


 その時から私の手で寝続けて、日付が変わるころには脚も動かせないようだった。指もぎゅっと握ったまま。羽を時々バタつかせるのだけれど、それも左右対称の広げることができない。

 多分、視力も弱くなって殆ど見えていなかったのではないかと思う。



 この子は、家で生まれた最後の子で、生まれた時から末っ子だった。


 実際末っ子であることは事実なのだけど、それだけじゃなく末っ子体質というか。末っ子に生まれたってそのように育たない事も「その子の個性」としてあると思うのだけれど、この子は根っから末っ子気質だった。

 どんなところがかというと、とにかくずっと愛されキャラ。末っ子だからもうみんなインコの扱い方に慣れているので、嫌なことをされないから周りの物全ては友達で敵なんてこの世にいないと思っている。だからずっと素直で、優しくて、性格が良くて。そしてすごく甘えん坊だった。

 お客さんで来ても、誰にでも触らせてくれるし噛まない。噛んでも痛くない。コザクラインコの顎の力は尋常じゃなく強力で、くちばしも尖っているので軽く噛んでも血が出る事なんてザラ。しかも気性が瞬間湯沸かし器で怒るスピードが速い。それがコザクラインコの普通です。そんななか、敵がいないと思っているでずっとのほほんとしている穏やかな性格。


 人が大好きで、途中里親で譲り受けてきた男の子のコザクラインコとペアになってしまって(コザクラインコは同性でもペアになります。気が合った友達みたいな感じで)親分肌のその子に「人間にヘラヘラするんじゃない!」と叱られ、非行に走った(笑)時期もありましたが、その親分肌の子が突然死してしまってからは、人の手が大好きな子に戻って……というより、インコは寂しくて死ぬことがある動物なので、愛情が私にすり替わるように、構い続けたからなのですが。

 私にとって我が子以上の存在です。さし餌もしたし、18年間褒めちぎりながら育ててきたので。

 飛ぶのも他の子に比べて下手で、鈍くさいからよく捕まるし、紙をこより状に噛み千切るのもへたくそで、水浴びも上手にできない、というか水が怖い。でも全部「上手!天才!何をやっても上手なんてすごい!なんでもできる!」と言い続けて来たのです。インコだって劣等感があるので、出来ないと落ち込むんです。飼い主からしたら、かわいくて性格が良くて……いや、生きていてくれるだけで満点なんですけどね。


 そんな18年を思い出しながら耐え切れずに泣いている気配が途切れると、目を開けて本当に私が居るのかどとうか確認していました。

 

 昨日の選択。

 私は結局インコの気持ちを優先させた。最後までずっと手のひらに乗せていた。

 本当はブラケースの中で保温しながら酸素を入れてやったりするのが良いのでしょうね……きっと病院へ連れて行ったら、入院でそのような処置になるんでしょう。

 でも、あの子の手の上に乗りたい必死な姿を見ていたら、その選択は出来なかった。まず病院へ移動はありえなかったけれど。外出すらストレスですからね。



 最後と言うのは、映画やドラマの様にかっこよく終われるものでは無いのです。


 彼は何度も羽を歪に広げて私の顔に突進したいような素振りをしていたのですが、その意味が分からなくて。嘴を顔にくっつけると、納得した様に収まるものだから、不安だったり寂しかったり、死が怖かったりするのだろうか?と思っていたのです。実際、それはその通りなのかもしれない。インコにそんな概念があるはずないと言われればそうなのかもしれないけれど。でも必死に私の手に執着する彼を知っているから。人は1人で知らない道を行きたくないものでしょう?


 午前三時を過ぎた頃、あまりに羽を広げるから「どうしたいの?したいようにさせてあげるよ?」と言って起き上がった。喉が渇いたのかもしれないとも思ったし。

 私が体を起こし、被せていた手のひらとフリースが取れると、今までで一番大きく羽を広げた。バランスを崩して落ちそうになる躯体を支えながら「大丈夫!大丈夫!落ち着いて!」と言ったのが最後。力尽きた彼は、その後ぐったりと動かなくなってしまった。


 物語なら、最後を察知して「行かないで!」とか「今までありがとう」「一人にしないで」などどいうものでしょう。その後も「長い間お疲れ様」とか「がんばったね」と。


 その羽を広げたタイミングで終わりなんて思っていないから。そんな事がでかけられるはずもない。

 祖母の時もそうだった。

 そろそろ今日だという日に親族が集まって。いつからか、その時を待っているような心境にも思えて来て、それが嫌だったりおかしくもあったり……最後の言葉をかけるタイミングなんて上手くいかない。


 かっこよくなんて終われない。


 あの羽を広げるのは発作のようなものだったのでしょう。

 心臓が暴れたり、苦しみが突きあげて来るのを体で現したような、それを抑えるような。それを前に亡くなった子たちの経験で知っていたはずなのに。残念ながら結びつかなかった。

 だというのに私が体を起こして、環境を変えてしまったものだから、あと数回は鎮めることが出来たかもしれない発作がピークになってしまったのかも。

 私の行動が残念過ぎる。


 最後の言葉も、聞こえるタイミングでかけてあげられなかった。

 

 今日は送るための花を買いに走った。なんか卒業シーズンが終わったからか、花屋さんか仏花に使えそうなものしか無くて四軒ハシゴした。

 結局白のトルコキキョウと売れ残りのミモザ。

 彼の尾羽は二枚だけ黄色になっている。コザクラのノーマルは緑と青が基本の赤と黒が入っているのに。これはペアだった子が亡くなった時、悲しみで体調を壊して黄色い羽が生えたのだ。寂しさと悲しみの色。でも愛情の色。その黄色が彼らしくて、他のコザクラインコにはない彼だけ特徴だから、その黄色のミモザにした。


 今私は、彼が最後に私の肩で糞をしてしまったフリースを着ている。汚いと思うでしょ?確かにそうなんだけど、インコ飼いというものは、そんなに気にしないんですよ……頭にされたりしても……。

 拭いたとはいえ、その後が残っていて……これが洗濯出来ないのです。

 だってもう彼に糞を落とされることなんてこの先一生無いのだから。彼が私の肩に留まってくれた証。

 と言っても、洗濯はそのうちしますけどね……。


 寂しくて仕方ないです。

 あまりに彼との13年間が幸せで当たり前の日常だったから、悔しいのに彼の色んな仕草や出来事や事件や……そう言う事が思い出せない。

 だってキャラクターの濃い他の子に比べて、本当素直で優しい子だったから。一緒にいるとずっと心地のいい木陰で日向ぼっこをしているような、そんな時間を過ごせる子だったから。

 

 あぁ、やだな。何一つキマらない。

 物語の様に、気持ちよく終わらせてあげたかったし、終わらせたかった。

 そんな事を考えながら、でも命が体から出て行ってしまったことを受け止められずに、昨晩は紋々と過ごしました。

 

 かっこいい人生なんて無理なのは分かっているけれど、生き死にの時の気持ちの伝え方くらいは思う通りにしたいものです。


 

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