84 違和感の正体

 こんにちは。


 私の住んでいる地域では、昨日桜の開花宣言が出たのですが、今日車窓から見る景色は、けっこう咲いてました。

 しかも、用事のあった駅では今日から野球が開幕らしく、観戦客でごった返していて。


 あぁ、時間は刻々と過ぎて行っているんだなぁと、実感していました。

 何かを成し遂げようが、何もしないでじっとしていようが、等しく時間は進んでいくんですね。

 あと一週間ほどで桜は満開だそうです。

 あぁー、毎年だったら、ひぃちゃんのお弁当でお花見なのにな。


 

 ところで今晩、髪長姫のアニメ映画が地上波で放送でした。

 私は今日は見ていないのだけど。

 原作の童話はそれなりに好きなんだけど、じつはアニメ映画は腑に落ちないところがあって好きではないのです。

 原作はかなりシンプルだし、あの制作会社がアニメにするにはかなりの改変と肉付けをしないといけない事は分かるのですが(原作はプリンセスでもないし)、あんなに良い子に育っているのに、大きくなるまでの間に関わった人は母親の魔女だけだとするなら、育ててもらった恩もだけど、良い子に育ったという事は二人の関係は良かったはずなのに、切り捨てるのがあっさり過ぎて、その辺りがなんかモヤモヤして繰り返し見ることができない作品なのです。


 でも今日、とある別の意見を見てなるほどなぁ~と。

 あのお話は毒親切り捨て自立する話だと。そしてその人は情緒不安定になる彼女にも共感できると。

 目から鱗でした。

 確かにアニメの、素直で天真爛漫で自由な一面を持っている主人公らしい性格を除けば、そうなんだろうなぁ~と。長編アニメにする時点で、大多数の人に好かれるキャラクターにしなければいけないので、その辺の矛盾は仕方ないので取っ手付けたとして、根本的な部分は取っ手付けた部分以外なんだなぁって。


 私はきっと、その取っ手付けたワザとらしい主人公像が気に食わなかったんだな。長年のモヤモヤが晴れた気がしました。異質な感じがすごくして。そこに引っかかってしまっていた。


 そもそもの話。原作は、お隣夫婦にチシャ菜を盗み食いされた代償として奪った娘を、塔に隔離して大切に育てていたのに、育ての親(魔女)に内緒で部屋に男を連れ込む話なので……どれもこれも行き過ぎている行動なんだけど、男を連れ込む娘も娘だし、育ての親なら箱入りにしたい気持ちも分からんではないし……でも子離れも必要だなぁとおもったり。

 しかし、解釈は毒親だったんだなぁと。


 原作の主人公の親はチシャ菜泥棒だから、ヒーローが元泥棒になってしまったんだろうか?

 ……まぁそれは良いとして。


 自分が体験したことのある人の意見は強いなぁ、と思いました。

 それ以上の説得力はないもんなぁ。

 実体験を上回ることなしですね。辛い目には遭いたくないものだけれど。

 

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