第10話 現実と焦燥と
森が開けた先、二つの崖がそそり立った谷間の道。
「何だここ……」
道の上には木の槍が付いた柵が取り付けられ、並び立つ崖の上には見張り小屋が設置され———まるで要塞のようだった。
道はかなり急角度の坂になっていた。村の方向から来た紅雄たちの位置の方が高く、そこから下り坂になって下まで続いている。
「せい!」「やあ!」「はぁ!」
野太い男たちの声が聞こえる。みやれば、村の男衆が木の棒を持ち、一斉に付いていた。
男衆は統率の取れた動きで、ひたすら虚空を突いている。
「何やってるの?」
「おお⁉ ベニオどうしてここに?」
男衆のリーダー格の髪を逆立てたグラントがやってくる。リックは先ほど他の男衆の戦闘に立ち、みなの指揮を執っていた。
「わしが連れてきた。グラントよ、ベニオに真実を話そうと思う」
「そうですか。村長が決めたことですから、私たちには異論はありません。じゃあ、ベニオ元気でな」
紅雄に手を振るとグラントはまた男衆の前に立ち、突きの練習の指揮をとり始めた。
元気でな……?
ゆっくりしていけよ、とかお前も一緒にやるかい、とかそういう言葉をかけるべき場面じゃないのか。
まるで軍事訓練をしているような男衆を眺めて、グラントのかけた言葉の意味を考え始める。
「ベニオ、お前には男衆が何をやっているように見える?」
「軍事訓練」
どう見ても槍で相手を突く練習、それにしか見えない。
「その通りじゃ、男は来るべき、避けられない脅威に向けて精一杯の努力をしておる」
大げさな、と思った。魔王の勢力が強いと言っても、こんな田舎村に攻撃を仕掛けには来ないだろう。それに、村の人間は基本的に農夫だろう。その彼らが鍬持つ手に槍を持たせているということは……あれ?
「もしかして、敵が来てるのか? 魔王の軍勢が」
そうとしか、考えられない。そうだとすれば、男衆が昼間村を出る理由も、村人の言動にも合点がいく。
違ってくれと祈りながらビオ村長の返事を待つが、ビオ村長は頷き、谷間の道の先を指さした。
「その通りじゃ。この谷間の道の向こうは広大な平原が広がっておる。その平原を超えると国境の砦があるのじゃが、そこが一ヵ月前に突破された」
「じゃあ、魔王軍が」
「もうすぐ来るじゃろうな。伝令によると、もうすぐそこまでゴブリンの軍勢は迫っておるらしい」
今は静かな草原がゴブリンの軍勢で埋め尽くす光景を想像し、ゾッとした。
「メイデン村は丁度、王都パーティクルと魔王の城を結ぶ道の上にあってな。この谷間の道を通ってメイデン村を通過するのが、最短ルートなのじゃよ。だから、魔王軍が王都に進軍するときにはどうやってもここを通るのじゃ」
すーっと、地面に線を書きながら説明するビオ村長。
「ゴブリンの軍勢、先遣隊はもうすぐ来る。ただの農夫しかおらんメイデン村はその先遣隊にすら敵いはしない。こうやって軍事訓練をしておるのも付け焼刃じゃ」
「村長、逃げよう」
ビオ村長の手を握る。
「村を捨てて逃げよう。そりゃ家を捨てるのは辛いことかもしれないけど、命をなくすよりははるかにましだよ」
「五十六人。それがメイデン村に住んでいる村人の数だ」
「それが?」
「この国、パラディウスにはそれだけの数の人間に
ハッとした。
逃げたところで、どうにもならないんだ。魔王に侵略を受けて、他の村も余裕がない。
どこの村も、六十人近くの難民を受け入れる余裕はないのだ。
「どの村からも疎まれ、石を投げつけられるだろう。皆食料も与えられずに餓死するか、良くても奴隷に身を落として、辛い日々を送り続けるしかない」
「だから……だから、俺に期待したのか?」
ゴブリンの軍勢が迫っているからこそ、紅雄のチート能力に賭け、魔王の軍勢の元仲間で敵になるというリスクを考慮しつつも生かしていたのは、そのためだったのだ。
だからこそ、『
「俺は、あんたらの期待を裏切った、なのに……」
「お前は全く悪くはないじゃろ。わしらが勝手に期待をして裏切られた。それだけじゃ」
「そうだとしても……いや、だったら何で優しくした? そんな敵がすぐそこまで迫っているんだったら、少しでも戦力が欲しいんじゃないか? どうして俺にあっちに加われと言わなかったんだ?」
軍事訓練をしている男衆を指さす。
「ホ~ッホッホッホ!」
ビオ村長は可笑しそうに笑った。
「何が可笑しい。一つも面白くねぇぞ」
「お主の細腕一つ加わったところで、ゴブリンの軍勢を倒すことなどできはせんわい。足手まといになるのが落ちじゃ。そんなことよりも、もっといい考えがあったのでな」
「いい考え?」
ビオ村長は笑うのをやめ、真剣な顔をして、紅雄に向き合う。
「ベニオ、お主は村を出よ。ミントを連れて」
「ハァ⁉ できるわけないだろ」
ビオ村長の言葉に、若干の怒りが沸いた。あれだけ親切にしてもらったのに、彼らを見捨てて逃げるという不義理が自分できるわけがない。
「頼む」
「…………」
ビオ村長は深々と紅雄に頭を下げた。
「五十六人は無理でも、一人二人なら受け入れてくれる村もあるだろう。王都に行ってもいい。お前は生きて、ミントと添い遂げてくれ。それが私の最後の願いだ」
「最後って、そんな寂しいこと言うなよ」
「ベニオ、お主は『ワタリビト』ゆえにこの世界での生きたかを何も知らん。故にこの一週間で、この世界で生きていけるように仕事のやり方を教えたのだ。今のお前ならどこ村に行ってもやっていける」
「……ッ!」
あのしごきにはそんな意味があったのか。
「そして、覚えておいてくれ。パラディウス国のはずれにあった小さな村のことを。そこには穏やかな人たちが暮らしていたこと」
ビオ村長に肩を掴まれる。
杖をつき、片手で、しわしわの手。それでも肩をぎゅっと握る手は力強かった。
「…………」
紅雄はもう言葉を発するどころか、頷くことも、首を振ることさえできなかった。ただ、谷間の道には男衆の「セイッ! ハッ!」と訓練の声が空しく響き渡っていた。
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